秋の京都宇治一人旅2018

 京都の同志社大学で開催された、秋の日本物理学会に出席し発表してきた。発表の内容と目的はすでに本ホームページで予告していたように、カンダタが蜘蛛の糸を登るとき、仕事をしたのはカンダタの筋力か、それとも蜘蛛の糸の張力かという、世間一般から見ればどうでもいいような、しかし、物理教育にとっては、深刻な問題を含み、双方とも譲れぬ、3年近くに及ぶ力学の論争に、そろそろ終止符を打つためである。
 最初の計画では、学会の開催に合わせて、1週間ほど、老夫婦で京都観光をする予定であった。いつものように、妻は3ヶ月前から、ネットでのホテルの予約、桂離宮の入館申込み手続きなどをして、楽しみにしていたようだが、直前になって、なぜか旅行を取りやめたいと言い出した。
 大阪と京都を襲った台風21号、そして、立て続けに起きた北海道地震、その惨状をテレビで見て、妻は不安になったらしい。とくに北海道では地滑りによる多くの犠牲者がでて、被災者が苦しみ悲しんでいるとき、夫婦でノホホンと旅行などしていていいのだろうか、今回の京都旅行は自粛したいと、妻にしては珍しく殊勝なことを言うのである。
 「うん、それがいい、大賛成だ。それなら、我が家の家計も破綻せずに済む。」と同意したものの、学会発表をやめるわけにはいかない。既にホームページと物理関係のメーリングリストで「宣戦布告」までしておきながら、ここで止めたら、理由がどうあれ、敵前逃亡とみなされる。結局、予定を大幅に縮小し、京都には一人で行くことにした。

 京都駅に着いたのは昼、食事を済まし、駅の外に出ると、心配していた天候は曇り。しかし、駅の電光掲示板では大雨警報がでているという。警報を甘く見てはいけないが、雨はまだ降っていない。地下鉄に乗れば、ホテルには10分程で着くが、まだ時間も十分あるし歩くことにした。

 平安京の貴人たちは碁盤の目のような京の通りをゆったりと牛車に乗って行き来したのだろうか。それなら、京都の街に牛車を復活させ、観光客を乗せたらどうだろうか。いや、牛の後について車が走ったのでは京都の街は大渋滞になる。そんなことを考えながら烏丸通りを歩いていると、左手に大きな門が見えた。東本願寺である。そう言えば、田舎のうちのお寺さんも浄土真宗大谷派だった。

 東本願寺の広い境内を歩いた後、再び烏丸通りを半時ほど歩いたら、南北に走る烏丸通りと東西に走る道路御池通りとの交差点、烏丸御池の近くに予約していたホテルについた。 チェックインには少々早いがホテルで明日の学会での論争に向けて作戦を練らねばならない。

 翌日、発表の日、準備は万端、いや、その筈であった。会場に到着し、事前に送られてきていた参加証を首から下げようと思ったら、それがない。ホテルに忘れてきたのだろうか。そんな筈はないと思いながらも300円の手数料を払って受付で再発行してもらった。あとでわかったことだが、会場に持ってきたポーチの中のポケットにちゃんと入っていた。どうも最近は、ちょっとしたことだが、こんなトラブルが多すぎる。いつかはバスに乗る直前、バスカードを探したら、反対の手にしっかりと握りしめていた。脳活としての‘墓造り’も、その効果はあまり当てにはできぬようである。

 学会の発表は、またかと、参加者にうんざりされたのか、それとも主張が少しは受け入れてもらったのか、正面きっての反対意見はなく、たいした質問もなかった。しかし、仕事とは無縁の静力学において、力のつり合いを説明するために導入された抗力が、仕事をするという考えに対し、もはや理屈ではなく、一種の拒絶反応があるように感じた。物理学会に蔓延しているアレルギー性蕁麻疹を完治させるにはまだ時間がかかりそうである。これからも、粘り強く繰り返し主張し続ける他なさそうだ。

 古くからの知人たちに、よく尋ねられる。どうして今頃になってそんなに頑張るのか、昔はボーツとして生きていたのにと。人生の黄昏を迎え、確かにこれまでを振り返れば、事なかれ主義でもめごとを好まず自己主張をせず長いものに巻かれてきたが、蜘蛛の糸に絡まったままでは、極楽はおろか地獄にさえ行けぬ。70歳過ぎて、体力も気力も衰えはしたが、ここは人生最大の頑張り時のようである。

 会場の同志社大学は宇治茶で有名な宇治市に近く、そこには平安貴族が極楽浄土を思い描いて建立した宇治平等院鳳凰堂がある。死んでも極楽には行けそうもないので、それなら生きているうちに、一目でもいいから極楽を見ておこう。

 源氏物語宇治十帖の舞台となった宇治にはもう一つ訪れたい所がある。源氏物語宇治ミュージアムに行けば、物語最後のヒロイン浮舟に会えるだろうか。 

 残念ながら工事のため閉館中!浮舟には会えなかったが、宇治川の畔で原作者の紫式部女史に会うことができた。

 そこには「夢の浮橋之古跡」と書かれていたが、光源氏ゆかりの二人の公達の愛のはざまで翻弄された浮舟が、入水したのは宇治川だったのだろうか。そして僧都に助けられ、俗世を離れて仏門に入り余生を送ったのもこの辺りだったのだろうか。源氏物語最終巻第54帖「夢の浮橋」を、天体の三体問題になぞらえたエッセイ「宇宙の浮舟」を、女史に無断で書いたことを謝っておいた。彼女は終始無言であったが「貴女が描いた浮舟は、今、千年のときを隔てて、NASAの宇宙工学に復活していますよ。」と伝えると、平安京きっての才女は心なしかほほ笑んだように思えた。

 翌日は朝からかなりの雨、ホテルの近くの二条城を見学した後、長崎への帰途についた。 写真は上から二条城入口、中門?、二の丸御殿。

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