とんでる爺さんのトンデモ物理学?

A: 長崎のGさんの仙台での学会発表には皆さん驚いていたよ。(第71回年次大会 東北学院大学2016.3.21)
B: 爺さん、遠路はるばるやって来て、何喋ったのだ。
A: Gさん、抗力が仕事をすると言い出してね。皆、ポカーンと、口開けて聞いてたよ。
B: 君、それは驚いたのではなく、会場全体、呆れ返っていたのじゃないのか。庭に落ちているリンゴが地面からの抗力で跳び上がれば、そりゃニュートンだって、ぶったまげるだろうな。しかし、巨大地震でもない限り、そんなことが起きるはずはない。その爺さん、正気の沙汰とは思えんな。
A: Gさんもそこまで馬鹿なことは言っていないけどね。Gさんの主張は、カンダタが蜘蛛の糸を登るとき、仕事をしたのはカンダタの筋力ではなく、蜘蛛の糸の張力だということだけどね。
B: いや、その場合の張力も抗力と同じく束縛力だから、仕事することはありえんだろう。しかし、日本物理学会は開かれた学会だから、入会して年会費と学会参加費を払えば、誰でも発表できるからな。なかにはそんな発表も出てくるだろうな。
A: しかし、Gさんの場合、自費参加だから、長崎からの旅費も宿泊費も自前だしね。
B: そんなトンデモ説にとりつかれた爺さんなら年金を全部はたいてでも参加するだろうよ。
A: 周りが仕事をしたのは筋力だといくら言っても、Gさんは張力だと言って聞かなくてね。
B: 爺さん、相当に頑固で強情のようだな。
A: Gさん、昔はそうじゃなかったけどね。気弱そうで控え目だったあのGさんがと、僕も驚いているんだよ。仙台学会以後も、一千万人と雖も我往かんと張り切っていてね。
B: 日本物理学会の会員数は、2万人程度だと思うけどな。世界でも物理学関係者は一千万人もいないだろう。歳を取ると、思いこんだら、後先考えず、一人ででも、風車に向かって突撃するようになるのさ。天井に固定されている糸の張力や床からの抗力などの束縛力が仕事をするはずはない。力学の初歩も理解していない爺さんがいきなり学会に乗り込んできて、物理の常識を無視した支離滅裂な自論を展開したのでは、座長もさぞ困っただろうな。野次馬として聞いているだけなら面白いかも知れないが、君も、まともにラ・マンチャの爺さんの相手をするのはやめたほうがいい。頑固で無知な相手と不毛な議論をしても疲れるだけで得るものは何もない。定年後の爺さんなら、学生に教えることはないだろうから、ほっといても実害はないだろうし、そのうち、爺さんも体力と気力が衰え、おとなしくなるだろうよ。
A: それが、Gさんは今も長崎大学のプロジェクトに参加し、中高生に物理を教えているというからね。
B: それは確かにまずいな、由々しき事態だ。放置するわけにもいかず、これは厄介なことになるだろうな。誰も反論しなければ爺さんは、こどもに間違ったことを教えるだろうし、俺の経験からすれば、このての爺さんは、反論されればされるほど、日本物理学会でも絶大な反響があったと触れ回り、ますます元気になるからな。
A: 僕もはじめはそう思っていたけどね。
B: じゃ、君、爺さんをこどもたちから遠ざける妙案でも思いついたのか、爺さんの首に鈴でもつけようというのかね。ま、困った爺さんが現れたもんだ。
A: いや、最近、Gさんの話がだんだん気になりはじめてね。それにGさんが「張力説」を言いだしたのは昨日今日のことではないからね。かれこれ、20年、いやそれ以上昔になるのかな。
B: 誰あろう君が、まさか爺さんに洗脳され、ミイラ取りがミイラになったのじゃないだろうな。しっかりしろよ、気は確かか。仕事は力×作用点の移動距離ではないか。作用点が動かない束縛力が仕事をする訳ないじゃないか。
A: 洗脳?そうだね、僕はGさんの一言で洗脳から解放され目覚めたような気がするよ。広辞苑には、Gさんの言う通り、仕事は力×物体の移動距離と書いてあるんだよ。それに、高校や大学の教科書も広辞苑に倣ったのか、ほとんどの教科書には作用点とは書かれてないよ。カンダタが重力場のなかで蜘蛛の糸を上に向かって移動するとき、カンダタに働く上向きの外力は蜘蛛の糸の張力だけだよ。Gさんは広辞苑の仕事の定義を盾にとって、仕事をしたのは張力だと一貫して主張しているが、それにどう反論したらいいか最近分からなくなってね。
B: 君がそんな弱腰でどうする。広辞苑の定義は物体が質点の場合だろう。質点なら、作用点の移動距離だろうと、物体の移動距離だろうと、物体の重心の移動距離だろうと同じゃないか。
A: でも、大学はもとより高校の物理だって質点の運動だけを取り扱ってはいないからね。
B: それはそうだが、仕事=力×物体の移動距離と書いたときには、そこに物体が質点あるいは質点と見なされる場合という暗黙の了解があるのさ。質点なんて現実にはありえないから、質点と書くべきところを敢えて物体と書いているだけだろう。
A: 物理用語の定義がそんなにあいまいでよいのかな。それに、広辞苑も高校教科書も、質点については、それが何かをきちんと定義しているんだよ。仕事の対象が質点の場合なら、わざわざ定義している質点という用語を使わないのは変だよ。
B: だったら、同じく岩波書店から出版されている理化学辞典を見てみろよ。
A: もちろん、何度も見たよ。理化学辞典には、確かに、仕事は力×作用点の移動距離だと定義されているけどね。
B: そうだ、それが質点も含めて一般の物体に対する仕事の正確な定義じゃないか。
A: でもGさんは広辞苑も理化学辞典も、どちらも仕事の正確な定義だと主張していてね。
B: 爺さんは仕事には二種類存在すると言うのか。
A: ただ、二つの仕事では、その対象が異なると言ってるけどね。
B: そりゃそうさ。さっき言った通り、広辞苑では、仕事の対象が質点の場合であり、理化学辞典では物体一般を対象にしているということじゃないか。
A: いや、そうじゃなくて、広辞苑も一般の物体を対象にしているが、その定義は物体の重心運動に対して外力がした仕事であり、理化学辞典の仕事は、外力が、物体全体に対してする仕事だというのが、Gさんの主張なんだよ。
B: もし、そうだとしても、重心運動も系の運動の一部だから、やはり広辞苑の定義は理化学辞典の定義に含まれるではないか。
A: いや、カンダタ問題のように、外力が束縛力のとき、広辞苑の定義なら束縛力も仕事をする可能性が残されているが、理化学辞典では束縛力は仕事ができないことになる。広辞苑の仕事と理化学辞典の仕事は独立な二つの仕事だと考えざるをえないよ。
B: 仕事の対象を重心運動に限定しても、作用点の動かない張力や抗力がどうして仕事できるんだ。
A: そう、そこがこの問題の一番肝心な点だが、人が床の上で立ち上がる場合、床からの抗力は人の重心運動に正の仕事をし、同時に、人の変形運動に負の仕事をするから、作用点が動かない抗力でも、仕事をすることができるというのがGさんの考えだよ。つまり、束縛力が仕事をするとき、いつも正負一対の仕事を同時にしているから、エネルギーを作り出す必要がないので、力の作用点は動かなくても仕事ができることになるのだよ。
B: それでは、人が床に立っている状態から屈み込むときはどうなるんだ。
A: 屈み込む場合は、逆に、抗力は重心運動に負の仕事をし、同時に変形運動に正の仕事をする。その結果、変形運動に移ったエネルギーは最終的には人体のなかで熱エネルギーになって消費されることになるね。その場合、屈みこむのが、人ではなく、精巧にできたロボットなら、変形運動のエネルギーは熱として消費されることなく、動力源のモーターの回転エネルギーを経てコンデンサーの電気的エネルギーに還元されることになるだろうね。電気自動車のエンジンブレーキと同じことだよ。
B: そんな複雑なことを考えて、力学教育にどんな利点があると言うのだ。エネルギー源は筋力がした仕事であることに変わりはないのだから、素直に筋力が仕事をすると考えてどうしていけないのだ。
A: エンジンブレーキもそうだが、エネルギーの変換を説明するのが簡単になるという利点があるね。
B: それじゃ、君も爺さんと同じく、車の場合も仕事をしたのは車のエンジンではなく摩擦力が仕事をするというのか。
A: そのとおりだね。上下方向の力は釣り合っているので、車に働く外力は車の駆動輪が道路から進行方向に受ける水平抗力、つまり、摩擦力だけだからね。
B: しかし、エンジンがなければ車は動かないじゃないか。
A: エンジンなしでは、確かに車は動かないが、エンジンがないから動かないのか、摩擦力が生じないから動かないのか、そのどちらなんだろうね。どんな強力なエンジンが付いていても、道路からの摩擦力がなければ車は動かないよ。駆動輪を道路から浮かした状態でエンジンの出力を上げれば、駆動輪の回転は速くなるが、車自体は動かないよ。エンジンの力は筋力と同じく内力だから、変形運動には仕事をすることができるが、抗力がなければ重心運動にエネルギーを補給できないよ。
B: 外力が働いても、その作用点が動かなければ、外力は系にエネルギーを補給できないという主張は完全に正しいし、一方、君の言うとおり、外力が働かなければ、内力だけでは、系の運動量も、系の重心運動のエネルギーも変化しないのも、厳然たる事実だが、この議論はいくら続けても堂々巡りじゃないか。
A: 技を仕掛けた方も掛けられたほうも痛いと言うプロレスの足4の字固めのように、双方とも苦しい堂々巡りのこう着状態から抜け出す唯一の出口がGさんが提唱している抗力のする正負同時一対の仕事だと思うよ。車が加速する場合、摩擦力は車の進行方向に働いているが、駆動輪の回転に対しては回転と逆向きに働いている。つまり、抗力は車の重心運動に正の仕事をすると同時に駆動輪の回転運動に負の仕事をしていると考えるべきだよ。
B: それでも俺には爺さんの考えは、従来の仕事の概念を無視し、物理教育を混乱させるトンデモ説としか思えないけどな。正負同時一対の仕事と言っても、結局エネルギー源は、エンジンであることに変わりないではないか。
A: どちらの考えもエネルギーを補給しているのはエンジンだが、重心運動に仕事をするのもエンジンだと考えたのでは、それ以上何も新しい知見は得られないよ。しかし、Gさんの説では、仕事についての従来の記述を一切変更することなく、内力が生み出したエネルギーが、どのようにして系の重心運動に受け渡されるか、そのしくみが明らかにできる。Gさんの学会発表にあったが、ブランコをこどもが自力で振れるしくみもブランコの鎖がする正負同時一対の仕事を考えれば極めて分かりやすく説明できるんだけどね。
B: それでは30数年前、アメリカで発表された論文Pseudowork and realwork 1)について、爺さんと君はどう考えるんだ。
A: その論文には、はじめから、仕事をしたのはエンジンだという前提から議論が展開されている。ところが、論文の著者も、道路からの摩擦力と重心の移動距離の積は車の重心運動のエネルギーに等しくなることを認めている。しかし、それを摩擦力がした仕事だとすると道路がエネルギーを供給したことになり、エネルギー保存則に反してしまう。そこで、その論文では、それを束縛力が重心運動にした仕事とは認めず、仕事に似て仕事でないPseudoworkだとしている。しかし、それこそが抗力が同時にする一対の仕事の片方なのだよ。抗力が同時にする、もう片方の仕事があることを忘れては困るね。僕も含めて我々物理教育関係者はこの30年間、この論文に洗脳され、Pseudoworkという怪しげな言葉に惑わされ、抗力はいかなる場合も一切仕事をしないという誤った先入観を植えつけられてきたのじゃないのかな。物理教育関係者も無意識のうちに対米追従してきのだよ。
 仕事の定義は、人が床の上で立ち上がる場合や車が道路を走る場合のように、対象が質点でなくても、人や車の並進運動を考える場合は広辞苑の定義を用いるべきであり、熱力学のように系の並進運動は考えず、系の内部エネルギーのみを考える場合は理化学辞典の定義を用いるべきだよ。
1) Bruce Arne Sherwood:American Journal of Physics 51, 597 (1983)
謝辞
 長崎大学に赴任して、力学の教材として「蜘蛛の糸」を取り入れてきましたが、それ以来、カンダタの呪いにでもかかったかのように苦しめられてきた、仕事を巡る問題について、日本物理学会誌談話室(2016年2月号)に投稿したところ、多くの方々から物理教育関係のメーリングリストや個人的なメールなどで貴重な賛否両論のご意見を寄せて頂き、大変参考になりました。それは、ときには激しい議論にもなりましたが、架空の人物、A氏とB氏による対話は、むしろ、議論の過程における私の内なる葛藤でもありました。最終的には、私自身は、A氏に代弁させている説に辿り着くことができました。皆様との2年近くに渡る議論で、すべての皆様に納得して頂いたかどうかはわかりませんが、私の頭の隅に立ちこめていた霧はすっきりと晴れた気分です。この間、熱い議論をして頂いた多くの方々に厚くお礼を申し上げます。
          
                               後藤信行

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