山上憶良 

   憶良らは今は罷らむ 
   子泣くらむ
   それかの母も
   吾(あ)を待つらむそ

親バカ今昔物語

宴会

「私、オクラはこのあたりで失礼いたします。家ではこどもが泣いているようですし、妻も私の帰りを待っているでしょうから。

「おいおい、オクラ君。まだ、宵の口だよ。もう少しいいじゃないか。」

「部長!山に帰るカラスを引きとめても無駄ですよ。オクラ君のことはほっといて、さ、大伴部長、今夜は、とことん、飲みましょうよ。」

「そうかそうか、オクラ君は山の上のカラスだったのか!じゃ、カラスは早よう山に帰れ、帰れ!ウィー ♪カラスー なぜ鳴くのー ウィー」

 酒飲みの上司や同僚にからかわれても意に介さず、ケータイ片手に、こどもが泣いているから、妻が待っているからと、宴会の席を途中で抜け出すとは、さすがはオクラ君です。職場では、山上憶良の再来と言われているようですが、誰もが認める子煩悩の恐妻家なのでしょうか。

 そりゃ私だって、昔、幼い娘が熱を出したと妻から連絡があろうものなら、何はさておき、急いで家に帰りましたよ。でも、娘が泣くぐらいで、帰ったことはありません。五十歩百歩?とんでもない!私など、とてもオクラ君の足元にも及びません。次を読んでいただければ、オクラ君の親バカぶりが、いかに凄いかがわかるでしょう。

子らを思う歌

    瓜食めば 子ども思ほゆ 
    栗食めば まして偲はゆ
    何処より来りしものそ
    眼交(まなかい)にもとな懸て
    安眠し寝さぬ

 マスクメロンを食べれば、我が子に食べさせたいと思い、マロングラッセのようなスウィーツなら、なおのこと、子を思い、こどもはどこからきたのかと考えて、瞼に子の顔がちらついて夜も眠れないと言うのですから、これは、もう、尋常ではありません。

 そんなオクラ君ですから、宴会の残りのご馳走もタッパに入れて家族のもとに持ち帰るに違いありません。せこい? 恥ずかしい? いえ、いえ、決してそんなことはありません。
 確かに、そう思われた時代もあったでしょう。しかし、「MOTTAINAI」が世界の共通語になった今では大いに推奨されるべきことではありませんか。

 さて、昔、熱を出していた私の娘も、昨年、結婚し、そして、この度、一児の母になりました。私にとって初孫の誕生です。

 山上憶良の時代に比べれば、世の中は、政治、経済、科学、文化、教育と、あらゆる面で大きな進歩を遂げました。しかし、その道のりは真っ直ぐでも平坦でもなく、途中、いろんな紆余曲折があったことでしょう。

 時代によって、世の常識や考えが180度変わることも、また、ころころと変わって元に戻ることも珍しくはなかったでしょう。しかし、山上憶良の時代も、現代も、そして恐らく将来も、いつの時代にも、親にとって、こどもは、かけがえのない宝であることに変わりはありません。

   しろがねもくがねも玉も
   なにせむに
   勝れる宝 子にしかめやも

山上憶良と大伴旅人

 万葉歌人のなかでも、類い稀な社会派歌人として異彩を放ち、最近では、世のイクメンの間で、その元祖に奉られ、人気上昇中の山上憶良ですが、最初に紹介した「宴を罷る歌」は、いつ、どこで、どんな状況のもとで詠んだ歌だったのでしょうか。遣唐使に随行し、唐に渡ったことのある知識人の山上憶良は、晩年、都から遠い筑前国(現在の福岡県北西部)の国守に任ぜられました。これとほぼ時を同じくして、都から大伴旅人が太宰帥(だざいのそち:大宰府の長官)として赴任してきましたが、二人は和歌を通して親交を深めていきました。

 大伴旅人はこのH.Pの「旧暦の正月」で紹介している大伴家持の父親ですが、旅人が自分の屋敷に、憶良たち、国守を招いて酒宴を開いたときに山上憶良が詠んだのが「宴を罷る歌」です。
そのとき、憶良はすでに70に近い高齢でしたので、家に小さな子がいるはずはありません。酒宴があまり長引いてはと、上司であり親友でもある旅人とその家人を慮り、頃合いを見て、和歌にして切り出したのではないのでしょうか。

 笑いのうちに、それならばと和やかな雰囲気で宴はお開きになり、他の客も、亭主の旅人に礼を述べながら三々五々に帰ったことでしょう。ユーモアのセンスがあり、周囲に気配りのできる憶良の人柄が伺えるではありませんか。そして、彼のそんな人柄は次の長歌にも表われているようです。

貧窮問答歌

  風まじり雨降る夜の雨まじり
  雪降る夜はすべもなく
  寒くしあれば 堅塩取りつづしろひ
  糟湯酒
  うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに
  しかとあらぬ 髭かきなでて 我をおきて
  人はあらじと誇らえど 寒くしあれば 麻襖
  ひきかぶり 布肩衣 有りのことごと きそえども
  寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の父母は
  飢えこごえらむ 妻子どもは 吟び泣くらむ
  此のときは 如何にしつつか 汝が世は渡る

 当時の律令制のもと、重税に苦しめられる農民の悲惨な生活を詠んだ、山上憶良の「貧窮問答歌」の前半部です。
 同じ万葉集のなかの、名もなき兵士やその家族によって詠われた防人の歌のように、この貧窮問答歌には、貧しく厳しい暮らしのなかにも他を思いやる人間の情愛が綴られています。そして、この前半部に続き、後半部もありますが、それを意訳すれば次のようになるでしょう。

 天地は広いというが、私には狭くなったのか、太陽や月は明るいというが、私を照らしてはくれぬ。人は皆そうなのだろうか。自分だけだろうか。人として生まれ、人並みに働いているのに、海藻のようなぼろ布を身にまとい、潰れかけた家の中で、地面に藁を敷いて、年老いた父母、そして妻子が悲しんでいる。かまどには火の気もなく、飯を炊くことを忘れ、蜘蛛の巣が張り、家族はか細い声を出して飢えに苦しんでいる。そこへ、鞭を持った里長が、年貢を取り立てに、怒鳴り込んでくる。

 山上憶良の時代にも、農民に対するお上の施政は「生かさず殺さず」だったのでしょうか。米を作る農民がその米を食べられないという、理不尽さに憤りを覚えますが、朝廷から派遣された役人でありながら、当時の農民の惨状を見かね、それを貧窮問答歌にして世に訴えた山上憶良は、時代の先を見越し、弱者の痛みがわかる人間愛に溢れた人だったのではないでしょうか。やはり、私のような単なる親バカではなかったようです。

現代貧窮問答歌

  世のなかを憂しとやさしと思えども
  飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

 フリーランスで収入が安定せず、今、貧窮問答歌を地で行くような暮らしの娘夫婦でありますが、生まれながらに貧困から逃れることのできない万葉集の農民とは違い、彼ら自らが選択した道です。
 娘夫婦には、いつか、羽ばたいて飛び立ってくれることを期待していますが、たとえ貧しくても、人を騙さず、人に騙されず、正しく、そして、強く生き、授かった宝を、山上憶良のような深い愛情を持って、大事に育ててもらいたいものです。

  孫できて娘夫婦に親バカを
  譲りて次はジジバカバババカ
無題22

千三百年の時を超えて

 万葉集の万葉とは「よろずの言の葉」という意味だそうです。そして、その言葉には、不思議な力、言霊(ことだま)が宿ると信じられていました。

 憶良や旅人をはじめ、都から役人として九州に赴任して来て多くの歌を残した人々は、後年、万葉筑紫歌壇と呼ばれるようになりました。彼らが歩いた大宰府の地には、現在、九州国立博物館が造られ、その周辺を散策すれば、彼らの歌を刻んだ多くの万葉歌碑に出会います。

 今日、2014年7月2日は新聞もテレビも集団的自衛権の閣議決定を巡るニュースで持ちきりですが、世の喧騒をしばし離れて心静かに耳を澄ませば、どこからともなく、憶良の歌が言霊となって聞こえてくるような気がします。それは、孫の顔にも重なって、人として生まれ、人として生きることの意味を、複雑化した現代社会に問いかけているように思えてなりません。今回は物理でもなく、数学でもなく、孫への「愛」を込めて書きました。

ジジバカバババカ

ついでに我が故郷福岡県への提言

 故郷を離れて40年、初孫の誕生を記念したエッセイを書くために、大宰府周辺の観光ルート「歴史の散歩道」を歩きました。50年前に、城島町(現在は久留米市の一部)から大学への通学に利用していた懐かしい西鉄大牟田線で二日市まで行き、そこで支線の大宰府線に乗り換え観光列車「旅人」に乗るとすぐに大宰府駅です。列車名に万葉歌人の名前が付けられているのは、今回、初めて知りましたが、それなら、大伴旅人とともに万葉筑紫歌壇の中心的存在の山上憶良にちなんだ列車も走らせたらどうでしょうか。

 さらに、大宰府の土産と言えば、菅原道真公に由来する梅ヶ枝餅が有名ですが、憶良の名前が入った土産物もよいかも知れません。地元の菓子メーカーと、農学部のある九州大学あたりとで、メロンとマロンを素材にしたスウィーツを研究開発し、土産店の店頭や駅の売店に並べたらどうでしょうか。憶良銘菓「子らを思う歌」とでも名付ければ、世の中の「オクラ君」たちがこぞって買ってくれるでしょう。もちろん、我々「ジジバカバババカ」だって買いますよ。価格は子育て世代と年金世代の懐具合を考えれば800円程度が適当でしょうか。

 本来は学問の神様であったのが、今では、すっかり合格祈願の神様となった道真公が地元にもたらす経済効果に比べれば、山上憶良による経済効果など微々たるものでしょう。しかし、幼児虐待、育児放棄がしばしばマスコミで報じられる作今、遠い昔、奈良時代に、こどもを何物にも勝る宝として深い愛情をもって育てた歌人がいたことを「子育て列車憶良号」や「憶良銘菓」で一般に広めることができれば、県内だけでなく、今、全国で子育てに悩み苦労している夫婦も勇気づけられ、物質文明のなかで現代社会が見失っている、経済効果よりも遥かに大切なものを取り戻せるのではないでしょうか。

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