ゲンコツ先生の思い出

 昭和二十八年、小学校三年生だった筆者のクラスの担任教師は白髪まじりの坊主頭で、当時もまだカーキー色の国民服を着ていた男の先生であった。算数の宿題を故意に忘れていた筆者は、その先生からよくゲンコツを見舞われたものだが、この年の六月に筑後川が氾濫し、一帯は大洪水となった。

 家や橋が人ごと流され、田植えを終えたばかりの筑後平野は見渡す限りの広大な湖と化し、我が家も、流失こそ免れたものの、一階は水没し、二階に避難していた。そこへ地元の消防団が船で巡回にきて、二階の窓から一階の屋根越しに、食料を差し入れてくれたが、その時の握り飯の米ぬか混じりの味が今も思い出される。

 洪水も収まり、学校が再開されたときのこと、例のゲンコツ先生が「人間は水の泡のようなものだ」と言ったことをよく覚えている。話の続きを聞こうと思っていると、「いや、今の君達にこんなことを言ってもまだ無理だろう。」と、その話はそれきりとなった。

 筆者には泡の意味がますます気になったが、人に見られると恥ずかしいので、こっそり洗面器に石鹸水の泡を立て、それを見つめながら、泡と自分にどんな共通点があるのだろうかと考え込んだものである。

 敗戦でうちひしがれた日本にやっと復興のきざしが見え始めたときに起きた未曾有の大洪水に、人間の無力さや儚さを痛感されたのだろうか。ゲンコツ先生との出会いから半世紀以上の歳月が流れ、あのときの泡の意味を物理学と文学のなかにやっと見出すことができ(文学で綴るエントロピー)、これで長い間、心の隅に置き去りにしていた宿題をどうにかやり終えることができた気分である。

参考:昭和二十八年西日本大水害

コメント

タイトルとURLをコピーしました