野崎参りは屋形船で参ろう
どこを向いても菜の花ざかり
粋な日傘に蝶々がとまる
呼んでみようか土手の人
直立不動の歌手、東海林太郎が昭和十年に歌った野崎小唄である。最近ではフロンガスによるオゾン層の破壊が進み、紫外線の害が懸念され、もっと早くから日傘をさす女性もいるが、当時は、女性が日傘をさしはじめるのは五月頃からであったと思われる。そして、大阪の慈眼寺、野崎観音への参拝である野崎参りも五月初旬である。
菜の花に誘われた蝶々の舞う初夏の堤防を日傘をさした女性が歩く。「夜目遠目笠の内」屋形船の酔客ならずとも、声をかけたくなる情景が目に浮かぶ。
しかし、現在の菜の花ざかりは、一般にはそれよりずっと早く三月頃である。筆者のこどもの頃に比べても、菜の花の季節がかなり早くなったような気がする。
野崎小唄から八十年が経過した今、二酸化炭素濃度の増加によって、炭酸同化作用が促進され草花の生育が早まり、菜の花ざかりの時期も早まったのだろうか。それとも、グローバル化のなかで新しい菜種の品種が外国から入ってきたのだろうか。
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