水飲み鳥の歌

   何喰うて 生きているかと 尋ねても
   うんうん頷き 水飲むだけで

 野に棲む鳥のように天敵に怯えることもなく、否応なく競争社会に生きる我々人間のように、数値目標があるでなく、無心に水飲むだけで平和に生きられるとはうらやましい限りだが、水飲み鳥は、何はなくとも水さえあれば生きていけるのだろうか。

 最近では見かけることが少なくなった昔懐かし昭和の鳥は、力学、熱力学そして環境教育にとって極めて有用な教材である。アインシュタインもその仕組みに驚いたと伝えられるが、水飲み鳥は何を‘生きる糧’にしているのだろうか。

水飲み鳥のしくみ
  水飲み鳥は、図1のようなガラス容器のなかに、揮発性の液体のジクロロメタンとその蒸気を閉じ込めた玩具である。 水に濡れたフェルトで覆われた頭部から、水が蒸発し気化熱が奪われると、頭部の温度が下がり、中のジクロロメタンの蒸気が凝縮し、その圧力も下がり、鳥の首を通して液体が吸い上げられると、腹部の液溜めの液面が下がり、腹部の液溜めの蒸気は等温膨張を強いられる。

 等温膨張によって腹部には外部から熱が流入し、液溜めでは、蒸発が生じ、液体が上昇しても、飽和蒸気の状態が保たれる。飽和蒸気圧は温度のみで決まるので、液溜めの蒸気は温度も圧力も一定に保たれる。頭部と腹部の圧力差が仕事をし、液体は位置エネルギーを得てガラス管の中をさらに上昇する。

 液体が上昇するにつれ、重心が上がり、支点のまわりの力のモーメントが変化して、鳥は傾き、ガラス管の首の下端が液溜めの液面から浮き上がると、鳥の頭にまで登ってきていた液体はガラス管のなかを今度は胴体部に向かって一気に流れ落ちる。このとき、温度も圧力も低い頭部の蒸気と、温度も圧力も高い腹部の蒸気とが混じりあい、鳥の内部でエントロピーが発生する。

 液体が流れ落ち、重心は下がり、鳥は再び頭を持ち上げ、混じりあった蒸気も、頭部と腹部に二分される。この動作を繰り返しながら鳥は動き続ける。水飲み鳥は、力学現象と熱現象とが巧く連動し合って動く熱機関である。頭部と腹部での熱の出入りが水飲み鳥の運動をひき起こし、それが頭部からの水の蒸発を促進させている。

 一見、エネルギー源なしで動き続けるように思える水飲み鳥だが、腹部の飽和蒸気の等温膨張と、水の蒸発による頭部の飽和蒸気の凝縮とによって、差し引き、外部から熱エネルギーを取り入れ、それを運動エネルギーに変え、かつ、外部にエントロピーを捨てている不可逆サイクルである。

 水飲み鳥を密閉した箱の中に、水の入ったコップも一緒に閉じ込めると、箱の中の湿度が上がり、鳥は頭から気化熱を充分放出できず、数分で動かなくなる。玩具の水飲み鳥も、自然界の動植物と同じく、外部にエントロピーを放出することができる非平衡の環境のなかでしか生きながらえることはできない。

負のエントロピー
 量子力学の建設に多大な足跡を残した物理学者の一人、シュレーディンガーは、その著書「生命とは何か」のなかで「生物体は負エントロピーを食べて生きている。」と述べている。負のエントロピーを食べることは、正のエントロピーを外部に放出することであり、それは生命であることの必要条件であるが、十分条件ではない。生命活動をしない水飲み鳥も、さらに都市も工場も内部で発生したエントロピーを放出しなければ、その機能は麻痺し活動を続けることはできない。

 工場の場合、原料と製品だけを見ればエントロピーの大きな原料が入り、エントロピーの小さな製品となって出ていくように見えるが、工場は、そのほかにエントロピーの小さな電力や化石エネルギーを取り入れ、エントロピーの大きな排熱や工業廃棄物を外部に放出している。工場に出入りするすべてを考えれば、工場も全体としてエントロピーを外部に出すことによって生産活動が維持されている。
 
 負のエントロピーを食べるという言い回しが、当時一部の、しかし、少なからぬ人々に誤解を与え、インターネットの書込みなどでは、今なお、それを引きずっているようである。負のエントロピーを食べて活動するのは生命だけではない。

 シュレーディンガーは、負のエントロピー云々によって生命と非生命を区別しようとしたのではなく、1940年代、まだ、生命現象は物理法則の及ばぬ、神の領域とされていた時代に、生命現象も非生命現象と同じく、熱力学第一法則はもとより、熱力学第二法則の制約から逃れられないことを述べたのである。

熱力学第二法則に対する誤解
 エントロピーの増大則とも呼ばれる熱力学第二法則はとかく誤解されやすい法則の一つのようである。孤立系では、系の状態は秩序から無秩序へと向かい、その逆は決して起こらないが、系が孤立系でなければその限りではない。

 かつて、ジャボチンスキー反応を、ジャボチンスキーに先駆けて発見したベローソフの論文を、編集委員会は、そんな現象が起こるはずはないとして掲載を拒否したという。また、創造論者は今なお、ダーウィンの進化論は熱力学第二法則に反するとして進化論を受け入れることを拒否している。第二法則を曲解し、科学的事実を否定するという過ちを犯していよう。

 生命の誕生も成長も進化も、ベローソフの死後、ジャボチンスキーによって再発見され、最近ではベローソフ・ジャボチンスキー反応とよばれるようになった、化学における振動反応も、第二法則に反してはいない。

 第二法則について、もう一つ、卑近な例をあげれば、臍で茶が沸かせるかという問に、ほとんどが否と答える。大学で熱力学を学んでいれば、「他に痕跡を残さず低温の物体から高温の物体に熱を移動させることはできない」というクラウジウスの原理を持ち出して、熱力学第二法則に反するから不可能だと答えるだろう。しかし、クラウジウスの原理は、「他に痕跡を残さず」という条件がついているのを忘れてはならない。

 環境に痕跡を残すことを許すなら、臍で臍より熱い茶を沸かすことも、臍で氷を作ることも、氷で茶を沸かすことも可能になる。懐で草履を温めて立身出世をし、天下人となっても、それを科学とは呼ばない。しかし、臍で茶を沸かすしくみを考えたとき、その原理は、熱機関、ヒートポンプ、ガス冷房、冷熱発電、レーザー冷却に応用され、科学の新しい地平が一気に開ける。身近には、車のエンジン、家庭のエアコンや冷蔵庫がつくられ、我々はその恩恵を受けている。

地球と水飲み鳥
 我々の棲む水の惑星地球も、エントロピーの小さな熱として、太陽から可視光線を取り入れ、海の水を蒸発させる。空気の平均分子量28.8に対し水蒸気の分子量は18だから、水蒸気を含んだ湿った空気は軽くなって、水蒸気を上空へと運ぶ。水蒸気は冷やされ、雨となって地表に降り注ぎ、そのとき放出される潜熱はエントロピーの大きな赤外線となって、冷たい宇宙空間に放出される。

 水飲み鳥では、揮発性液体が体内を移動することによって、非平衡の室内から負のエントロピーを取り入れる役目をしているのに対し、地球は、図2のように、海と大気圏の水循環によって非平衡の宇宙空間から負のエントロピーを取り入れている。地球という巨大な水飲み鳥は、太陽と宇宙から、負のエントロピー、つまり、エクセルギーを得て、それを自らの懐のなかの、鳥たちに、我々に、そして、机上の水飲み鳥にも、分かち与えているのである。水飲み鳥も能天気に水だけ飲んでいるのではなかったようである。

   ニセ鳥も 喰うていたんだ 鳥なみに
   命の糧のエクセルギー

生命と非生命
 生命、非生命の区別なく、自然界はあまねく物理法則に支配されていることを見抜いたエルヴィン・シュレーディンガーの慧眼は、その後、生物学に物理的手法が取り入れられる契機となり、DNAの二重らせん構造が発見されるなど、分子生物学は飛躍的に発展した。

 それから、70年以上が経過した今、人工知能AIの登場によって、人間そっくりの動きをする自律型のロボットが実現し、生命と非生命との距離は急激に縮まったように思える。今後、人工知能は様々な分野に進出し、人に代わって車を運転し、宅配することなどあたりまえの時代となるだろう。そして、場合によっては人間以上に、その代役をやりこなし、やがて、失敗しないロボットの美人外科医が人を手術する日も来るかも知れない。

 人工知能の情報処理の速さには人間は完全に脱帽だが、人工知能が天才棋士を負かし、太陽系外惑星を発見しても、それは大量の情報を瞬時に処理することによって人間のモノマネをしているに過ぎないようである。いくら鳥を真似ても鳥にはなれない水飲み鳥とさほど変わらないのではないだろうか。

 生命のしくみは、30億年の進化の歴史のなかで創られた最高の傑作であり、産業革命以後200年そこらの時間で人間の技術が到達できるレベルとは思えない。人工知能が人間のモノマネでなく、自己の存在を認識し、感情を持ったとき、人工知能の研究者は‘創造主’になれよう。そんな日が来るとは思えないが、今後、人工知能が人間社会に大きな影響を及ぼすことは確かであろう。

   AIが 人の真似して 人負かす

―水飲み鳥に見とれ、カザルス鳥の歌に聞き惚れながら―

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