檻に繋がれた高校力学

 これまで本ブログで何度も指摘してきたが、「抗力は作用点が動かないので仕事をしない」とする誤った固定観念が、40年もの長きに亘って高校の力学を檻に繋いできたようである。それを檻から解放するには、物理教育界に流布している混乱した仕事の概念を、ニュートン力学に基づき、明確にする必要がある。

 教科書や辞典類の仕事の記述や、実際に力学の問題と解いた経験からすると、力学には、表1のように、三つの仕事が存在していることが分かる。

仕事の定義定義の意味
仕事A力と物体の変位との内積力が物体の並進運動になした仕事
仕事A’力のモーメントと回転角の変位との積力が物体の回転運動になした仕事
仕事B力とその作用点の変位との内積系外から系内に移動した力学的エネルギー
1 力学における三つの仕事

 表1の三つの仕事が力学のどのような場面に現れるかを知るために、①物体が回転せず、並進運動のみをする場合、または回転していてもそれが並進運動に影響を与えない場合、②物体が固定軸のまわりに回転運動をする場合、③物体が並進運動と回転運動を同時して、二つの運動が互いに連動している場合について考えてみよう。①は並進運動のみ②は回転運動のみの単一運動であり、③は並進運動と回転運動からなる複合運動である。それぞれ場合について仕事を表示すると、

仕事仕事Bが現れる意味
仕事Aは仕事Bとして表すこともできる単一の並進運動に対するエネルギー保存則
仕事A’は仕事Bとして表すこともできる単一の回転運動に対するエネルギー保存則
仕事A≠仕事B、仕事A’≠仕事B、仕事A+仕事A’=仕事B複合運動に対するエネルギー保存則
表2 単一運動と複合運動に対する仕事

となる。

①については、仕事Aが仕事Bと同じになることは明らかだが、②についても図1のように回転運動のみの場合、外力Tがする仕事は、本来は仕事A’であるが、結果的に仕事Bと同じになる。

図1 固定軸のまわりの回転

しかし、複合運動③では、仕事Aも仕事A’も仕事Bと同じにはならず、両者の和が仕事Bになる。初等力学では標準的な問題である図2のような円柱のころがり運動に対して、運動方程式からエネルギー保存則を導けば、それは明らかである。

図2 斜面をころがる円柱

 図2のように、傾斜角θの斜面を、質量M、半径α、中心軸の周りの慣性モーメントIの円柱が滑らずに転がるとき、斜面に沿って下方方向を座標xの正方向に選ぶと、転がり運動は、並進と回転の複合運動であるから、その運動方程式は次のように並進と回転の連立運動方程式で表される。

ここで、Fは円柱が斜面から受ける抗力のx方向成分の大きさである。vは円柱の重心が斜面に沿って動く速さ、ωは円柱の回転の角速度である。(1-1)および、(1-2)はそれどれ、円柱の並進運動および回転運動に対する運動方程式であり、円柱のころがり運動は、その運動方程式が、並進と回転の二つの運動方程式からなる連立方程式となる。vωには、円柱が滑らないという条件からvαωの関係がなければならないので、連立方程式の未知数はvまたはωのどちらか一つとFの二つだけだから、連立方程式は、他のいかなる条件を付け加えることなく解ける。あとは数学を用いて解くだけである。

(1-1)を時間で積分すれば、運動量Mv(=P)が求めることができ、(1-2)を時間で積分すれば回転の角運動量(=L)が求められる。PLから、並進運動のエネルギーEも、回転のエネルギーERも、EP/2MEL2/2Iとして求めることができるが、それには、EPERLとの関係式を知っていなければならない。しかし、知らなくても、連立運動方程式(1-1)と(1-2)は、運動量や角運動だけでなく、並進および回転のエネルギーも正しく導くことができる。

(1-1)の両辺に、dx (=vdt)、(1-2)の両辺に、ⅾφ (=ωdt)をかければ、

(2-1)式は抗力Fが並進運動に負の仕事をし、(2-2)式はFが回転運動に正の仕事をしていることを示している。両式は共役であり、加えると抗力のする仕事は消え、

となる。(3)式の左辺は円柱の位置エネルギーの減少あり、右辺は円柱の力学的エネルギーの増し分を表しているので力学的エネルギーの保存則である。以上は、ニュートン力学を素直に適用した結果であるが、この導出法は間違いであるという。まさに青天の霹靂、狐につままれた思いだが、どこが間違いだろうか。

 約40前にアメリカで発表された論文(以下これをPS論文とよぶことにする)によれば、抗力Fは、その作用点が動かないので、仕事をしないのに、(2-1)および(2-2)式に抗力Fのする仕事を「仮定」していることだという。しかし、ニュートン力学は作用点が動くか動かないかで、力を区別していない。抗力は、その作用点が動かないことは確かだが、PS論文は、作用点が動かないことに過剰反応し、だから抗力は一切仕事をしないと一方的に決めつけている。 

 そのため、PS論文では、仕事には真の仕事と、仕事に似て仕事でない擬の仕事が存在するとして、(3)式の左辺のみが真の仕事であり、(2-1)の左辺は擬の仕事であるとして、運動方程式ではなく、(3)式と(2-1)式をもとに議論を進めている。しかし、(2-1)と(2-2)は共役であり、連立方程式をなすペアとして存在しなければならない。(3)式は(2-1)式と(2-2)式の和であり、(3)式には、すでに、(2‐1)が含まれている。そこへ、さらに(2-1)を付け加えれば、ペアを持たない一つの(2-1)式が余る。しかし、孤立した(2-1)式を無視すると並進運動が説明できなくなり、一方、それを、仕事として認めるとエネルギーが余ってしまうというジレンマに陥り、それを擬の仕事なる不可解な仕事のせいにしているだけである。

 連立方程式の片方の式(2-1)を単独の式として扱うという間違いに気づかぬまま、議論を進めたために、(2-1)は力学的な説明ができないが必要な式であるとして、その左辺の仕事は、仕事に似て仕事に非ざる人知の及ばぬ神がかり的な仕事、Pseudworkになってしまったのである。ニュートンの運動法則に従って議論を進めれば、擬の仕事などが現れる余地はない。

 連立方程式の一方だけを切り離し、それを奇を衒って擬の仕事と命名し、当時こそ周りから注目されることになったが、PS論文は二重三重に誤りを犯していることは明白であり、ニュートン力学とは相容れない。もともと、運動方程式は2つの独立な式(1-1)と(1-2)で始まったのに、一つの式を2度カウントしたために、いつも間にか、独立な式が三つになっている。しかし、そのなかの二つは同じ式である。

 抗力は仕事をするか、しないか、その問いに判定を下すことができるのは、ニュートン力学以外にはない。間違ったPS論文を判定の基準とする限り、正しい判定はできない。地球は動いているか否か、その判定を天動説に委ねるようなものである。今回の抗力の仕事を巡る騒動は、40年前に提起されたトンデモない力学理論の間違いに気付かない「裁判官」が引き起こした現代の宗教裁判ではないだろうか。

 抗力は作用点が動かにので仕事をすることはないとして、高校教科書に明記されている仕事Aを否定するなら高校力学は檻から永遠に解放されない。力学は、運動法則というニュートンの手綱によって既にコントロールされている。それを檻から出してもエネルギー保存則に反することはない。抗力が仕事をするときは(2-1)と(2-2)に示されるように、抗力はいつも正と負の仕事を同時にするからである。大学で初等力学を複合運動を学んだことがあるなら、大学で初等力学を教えたことがあるなら、抗力が仕事をするのは自然なことに気付くはずである。PS論文に惑わされ、現行の高校教科書の仕事の定義を変えるようなことがあってはならない。

 「抗力は仕事をしない」という足枷を外され檻から出たとき、質点に限定されていた高校力学は大学の力学につながるだけでなく、日常体験する、懸垂や樹登り、自転車や車が走るしくみ、ブランコ、蛙のジャンプなど、高校力学の応用範囲は、一気に広がり、これまで閉ざされていた自然界の景色が高校生にも40年ぶりに見えてこよう。

    自転車
枝に跳びつく蛙
      懸垂
   ブランコ

 高校力学を受験のための力学に矮小化してはならない。いつまでもPseudoworkという過去の亡霊に憑りつかれ、無意味な宗教裁判を続けて高校力学を理不尽な檻のなかに閉じ込めていては、未来のある高校生を「宗教二世」にするだけである。高校の力学を不当な檻から即刻解放すべきである。

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