反抗期の1年を振り返れば

 今頃になって反抗期だとは? だが、今、筆者の2022年を漢字一文字で振り返れば、この漢字をおいて他にはない。一般には、ほとんど知られていない定年後の反抗期だが、昔から筆者の知るだけでも、エントロピーは神話だとか、相対論は間違っているだとか、ニュートンやアインシュタインを超える新物理学を構築したとかなど、センセーショナルな説を唱える怖いもの知らずの向こう見ずな御仁は少なからずいた。しかし、もともと、人との論争を好まず、長いものに巻かれて生きてきた小心者の筆者が、まさか定年後になって学会に楯つき、力学の「定説」に抗うことになろうとは、これも定年後の反抗期のせいだろうか。

 鉄棒の懸垂で、人が自らの重心を引き上げるとき、人に働く上向きの外力は鉄棒から受ける抗力だけだが、現在の定説では、仕事をするのは腕の筋力だということになっているらしい。抗力は作用点が動かないので仕事をすると考えてはならず、重心が引き上げられるのは仕事に似て仕事でない仕事、いわゆるPseudoworkが存在するためだという。Pseudowork? 力学に都市伝説まがいの仕事が存在するとは、これまで聞いたことがないが、単純に抗力が仕事をすると考えるのは、時代の急速な変化に取り残された年金生活者の浅はかな考えだろうか。しかし、どちらが正統でどちらが異端か、その問いにはニュートンの運動法則が答えてくれよう。

 静力学において、抗力が仕事をしないのは明らかだが、動力学において抗力のする役割を示すために、まず、図1のように、半径r、質量M、中心軸のまわりの慣性モーメントがIの円柱が傾斜角θの斜面を転がり落ちる運動を考えてみよう。

図1 斜面をころがる円柱

 斜面に沿って、円柱の重心がxだけ移動したときの、重心の速度をv、回転の角速度をωとし、斜面から受ける抗力の斜面に平行な成分をFとすると、次の連立方程式が成り立つ。

 円柱が斜面を滑っても滑らなくても、(1)式は円柱の並進運動に対する運動方程式であり、(2)式は円柱の回転運動に対する運動方程式である。ここで、未知数はvωFの三つであり、方程式を解くには式の数が一つだけ足りない。

 しかし、円柱が滑らずに転がる場合に限定すれば、滑らないのでFは静止摩擦力である。滑らない条件式vを加えれば、未知数の個数と式の数とが一致し、あとは数学を用いて連立方程式を解くだけで、三つの未知数は簡単に求まる。このとき、三つの式から、二つの運動の仕事とエネルギーを求めたあとに、Fを消去するか(解法Ⅰ)、それとも、まず最初にFを消去するか(解法Ⅱ)は数学の問題である。Fを消さずに最後まで残す解法Ⅰでまず解いてみよう。

 【解法Ⅰ】(1)の両辺にvdt=dxを掛け、(2)の両辺にωdt=を掛け、それぞれの左辺を計算すると、

となる。ここで、φは円柱が回転した角である。(3)式は、その左辺で並進運動における運動エネルギーを規定し、同時に、右辺で並進運動に対する仕事を規定している。つまり、(3)式は円柱の並進運動になされた右辺の仕事が、円柱の並進運動のエネルギーの増し分に等しいことを示すとともに、並進運動のエネルギーが、質量と速度の2乗との積の半分になることを示している。同様に(4)式は回転運動に対する仕事と、その運動のエネルギーとを規定している。

 運動方程式から導かれた(3)式と(4)式は、抗力Fのする仕事についての情報を与えてくれる。抗力Fは並進運動に負の仕事をし、同時にそれと同じ量だけの正の仕事を回転運動にしていることが分かる。さらに、(3)式と(4)式を加えると、抗力のする正と負の仕事は打ち消され、

となる。(5)式の左辺は結果的に円柱の全運動エネルギーの増し分が重力がした仕事に等しいことを示し、エネルギー保存則を表している。会計報告に譬えると、(5)式の右辺が重力場から得た収入であり、左辺が全支出である。(3)式と(4)式は収入がどのように使用されたかの内訳を示している。

 次に、転がり運動に対する連立方程式(1)(2)式から、抗力Fを最初に消去する解法Ⅱで解いてみよう。

【解法Ⅱ】先に抗力Fを消去すると、その結果は、

と書くことができる。また、

と表すこともできる。時間で積分すれば、(6)式からvが求まり、(7)式からωが求まる。さらに(6)式からも(7)式からも全体運動に対する仕事(5)式を導くことができる。確かに解法Ⅱは抗力のする仕事など考える必要はなく、解法Ⅰに比べ、極めて簡単である。しかし、解法Ⅱでvωを求めても、並進運動や回転運動のエネルギーを、公式として知っていなければ、解法Ⅱからは、エネルギーが二つの運動にどうに配分されるかが分からない。Fを消去した(6)や(7)式は、もはや転がり運動の運動方程式ではなく、どちらも単一運動の運動方程式に変わり、(6)は並進運動のみ、(7)は固定軸のまわりの回転運動のみの運動方程式である。

 つまり、(6)式は質量がM+I/r2の物体が、右辺で表される一定の力のみを受けて運動するときの運動方程式であり、一方、(7)式は、図2のように慣性モーメントがI+Mr2になるように固定軸がとりつけられた円柱が、右辺で表される一定のトルクを受けて固定軸のまわりに回転する運動方程式に変わっている。図2での抗力は、円柱が固定軸から受ける抗力だけであり、それは運動には関係せず、図1の斜面から受ける抗力Fとは関係ない。

図2 固定軸のまわりの円柱の回転

 解法Ⅱから導かれる(5)式だけで、(3)と(4)式がなければ、二つの運動へのエネルギーの配分がわからない。それは内訳の記載のない放漫経営者のドンブリ勘定の会計報告書のようなもので、会計監査は通らないだろう。

 大学では初等力学の後に解析力学を習うが、初等力学が運動方程式を基礎方程式とするのに対し、解析力学ではオイラー・ラグランジュ方程式から始める。しかし、解析力学もその基礎は初等力学である。ラグラジュアンLは系の全運動エネルギーと系のポテンシャルエネルギーの差であり、解析力学を適用するには運動エネルギーがどう表されるを知っていなければ、ラグラジュアンを作れない。解析力学を用いても、そこから得られる結果は初等力学を超えることはない。

 抗力が仕事をすることは運動方程式から数学的に自然に導かれるとは言え、作用点の動かない抗力が仕事をすることに対し、人は強い嫌悪感を覚えるようである。それは、抗力は作用点が動かないので仕事をするはずがないという固定観念に起因しているのではないだろうか。運動方程式に抗力が現れる場合は、(3)と(4)式が示すように、抗力は正と負一対の仕事として現れるので、エネルギー保存則には反しない。

 40年前にアメリカで発表された論文:Pseudowork and real work[Am.J.Phys.Vol.51(1983)]では、(5)式の右辺がreal workで、(3)式の右辺は抗力を含むので、これは仕事に似ているが仕事をできないPseudoworkと考えた。しかし、(3)式はPseudoworkなどではなく、並進運動になされた真の仕事である。pseudoworkの考えの誤りは、本来一対の式であるべき(3)と(4)式とを切り離して考えたことにある。運動方程式から導かれる(3)と(4)が力学の基本的な仕事であり、(5)は(3)と(4)とを加えた結果に過ぎない。ニュートンの著書「自然哲学の数学的諸原理」から300年以上が経過した今、力学にPseudoworkなどの得体のしれない仕事が入り込む余地はない。

 物理学史を振り返れば、何もない真空中を光が伝わるはずはないとしてエーテルの存在が仮定されたが、Pseudowork説は力学における現代のエーテル説のようなものである。それでも、Pseudowork説を信奉する「正統派」は、力学をニュートン以前の宗教裁判の時代に逆行させるつもりだろうか。

 ここで、最初の懸垂の話に戻り、人の体重をMとして、その懸垂運動について考えてみよう。懸垂は重心運動と腕の変形運動からなる複合運動である。

図3 懸垂

 図3の左図のように鉄棒から受ける抗力をFとすると、人に働く外力はFと人の重心に働く重力Mgであり、重心の上向きの加速度をαとすると、重心運動に対する運動方程式は、

と表される。(8)式から、重力場の中での重心運動に仕事をするのは、鉄棒から受ける垂直抗力F以外にないが、作用点の動かない抗力Fが重心運動に仕事をするためには、人の筋力が変形運動に仕事をし、その変形運動にFが負の仕事をしなければならない。しかし、筋力のする仕事も、人の変形運動も数式化できない。

 そこで、図2の右図のように、大きさがFと等しく、向きが互いに逆向きの仮想的な二つの力、F1F2が腕の付け根に働いているとしても、人の運動に影響はおよぼさない。人には重力以外に三つの外力F1F2F3が働くことになるが、そのうち、力FFは、手と腕の付け根で互いに逆向きに働き、腕を伸ばそうとする。つまり、FF2は、筋力が腕を曲げようとする変形運動を邪魔し、変形運動に負の仕事をしている。残りの仮想的な外力F1が人の体重を上に引き上げることになる。もともとF1F2は存在しないので、抗力Fが変形運動に負の仕事をして重心運動に正の仕事をしていることになる。

 ともに長崎出身の監督とキャップテンとが率いる2022年SAMURAI BLUEならずとも、固定観念に囚われず、古池に跳び込む蛙の運動にニュートン力学を正しく適用すれば、正統と異端とが一気に逆転し、自然界の「新しい景色」を見ることができよう。

 世界中がサッカーで沸いた2022年も、一方では核の使用をちらつかせ世界を恐怖に陥れているロシアによるウクライナ侵攻、そして国内では元総理の暗殺と、激動の年であった。今後、日本を含め世界が軍拡に向かって突き進むか、それを止めることができるか、人間の叡智が試されるときであろう。

 今年に限らず、ここ数年、筆者にとって、1年、1年が、「抗」に明け、「抗」に暮れているが、今年も残り僅か、抗力が仕事する派も、しない派も、半信半疑のどっちつかずの慎重派も、皆様、元気で仲良く、よいお年を!

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