論文:Pseudowork and real work(Bruce Arne Sherwood,Am.J.Phys.51(7),July1983)の冒頭には次のように記述されている。
「車が静止状態から加速するとき、車の力学的エネルギーは、道路から受ける摩擦力によってなされた仕事に等しいように見える。しかし、車の力学的エネルギーはガソリンの燃焼によって得られるのであり、道路から得られるのではない。」
この記述は熱力学的には正しいが、力学としては不十分であろう。車の力学的エネルギーのうち、並進運動のエネルギーと道路から受ける摩擦力がした仕事とは正確に等しくなる。38年前に論文の著者は正確には次のように書くべきであった。
「車が発進するとき、その力学的エネルギーはすべてガソリンの燃焼に起因しているが、車の並進運動に仕事をしたのは、駆動輪のタイヤが道路から受ける摩擦力(水平抗力)である。水平抗力は、車の進行方向に働き、それは駆動輪の回転を妨げる向きである。」
熱力学では系の並進運動は考えないので、車を熱力学の対象とするときは抗力のする仕事を考える必要はないが、熱力学でなく車の運動を力学の対象とする場合には抗力のする仕事は不可欠である。摩擦のない氷の上で車のアクセルを踏めば明らかであろう。そこでは駆動輪の回転を妨げる摩擦はないので、駆動輪はより激しく回転するが、車に並進運動は生じない。車が発進するには、水平抗力が駆動輪の回転運動に負の仕事をして、同時に並進運動に正の仕事をしなければならない。
抗力はその作用点が動かないので、系全体の運動に仕事をすることはできないが、系の並進運動には仕事をする。高校の物理教科書に定義されている仕事の定義は物体一般の並進運動に対する仕事であり、これをPseudoworkだとして、真の仕事の範疇から除外しては、物体の運動のうち、並進運動を物体の第一義的な運動とする高校の物理は崩壊する。
人は誰しも間違う。学会も間違う。科学史の語るところである。間違いながら、ああでもない、こうでもないと議論しながら科学は進歩する。Pseudowork以来、今日までの40年間は試行錯誤のための議論に必要な時間だったようである。間違えて入り込んだ袋小路から抜け出したとき、力学教育はこれまで立ち往生していた40年分の一歩を踏み出すことができよう。
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