カンダタとヨーヨーと仕事の定義

仕事についての二種類の定義
 
  定義A:仕事=物体に働く力×物体の(重心の)移動距離
  定義B:仕事=物体に働く力×力の作用点の移動距離
 辞書や教科書は、仕事の定義として、上記の2種類A、Bのうち、どちらかを仕事の定義としている。広辞苑やほとんどの高校の教科書では定義Aを採用し、一方、物理学専門の辞典類では、定義Bを採用しているものもある。二つの定義のどちらかが正しく、他方は間違いだろうか。
 いわゆるカンダタ問題(カンダタが蜘蛛の糸を登るとき、カンダタの重心運動に仕事をしたのは、カンダタの筋力か、それとも蜘蛛の糸の張力か)に、筋力と答える「筋力派」は、定義Aについて、これは物体が質点の場合、あるいは質点と見なせる場合を想定しているのであり、物体一般に対する厳密な仕事の定義は定義Bでなければならないという。つまり、筋力派はカンダタ問題に定義Bを適用して、蜘蛛の糸の張力は作用点が動かないので仕事をしないと主張する。
 しかし、高校の教科書に採用されている定義Aは物体が質点の場合にのみ適用できると言う解釈は誤りである。高校で物体は質点だけとは限らないからである。定義Aも定義Bも、厳密に正しい仕事の定義であり、仕事をされる側の物体も、それが質点でも剛体でも変形可能な物体でも構わない。両者の違いは、定義Aは、外力が物体の重心運動にする仕事の定義であり、定義Bは外力が重心運動のみならず、系全体の運動にする仕事の定義である。定義Aを適用する場合、物体が重心運動以外の回転運動や変形運動をしていても構わない。仕事に関する二つのの定義を取り違え、物体の重心運動にする仕事に定義Bを適用すると、今回のカンダタ問題のような混乱に陥る。
糸の張力がヨーヨーにする仕事
 ヨーヨーの糸を掴んで引き上げるとき、力の作用点も重心も動くが、その移動距離は異なるので、糸の張力がした仕事は、どちらの仕事の定義を適用したかで異なる。仕事に定義Aを適用すると、その仕事は、ヨーヨーの重心運動のエネルギー、つまり、重心の運動エネルギーと位置エネルギーの和の増分に等しく、定義Bを適用した場合の仕事は、系全体にした仕事であるから、ヨーヨーの力学的エネルギーの増分に等しくなる。即ち、二つの仕事では、回転エネルギーの増分だけ異なるが、両方とも正しい仕事の定義である。

 糸を引き上げるとき、糸を掴んだ手の動きを一瞬停止すると、作用点が動かないので、その間だけ、糸の張力は束縛力となるが、ヨーヨーの重心は上がる。そのときも、張力が重心運動にした仕事は定義Aである。
 ヨーヨーと同じく、カンダタ問題にも、糸の張力がカンダタの重心運動にする仕事の場合は定義Aを適用しなければならない。その力が束縛力か否かは関係ない。ただ、束縛力の場合には、系全体にする仕事が、定義Bによって、0になるということだけである。筋力は内力であるから、質点系の力学からカンダタの重心運動には仕事をしない。
定義Bによってのみ仕事がなされる場合
 下の図のように、水槽のなかに、回転可能な羽根車のついた水平軸が取り付けられていて、軸に巻き付けた糸を上に引っ張ると羽根車が回転し水槽の水がかき混ぜられる装置を考えてみよう。
 この場合、水槽全体に働く外力は、重力と床からの抗力と糸の張力である。系の重心は動かないから、三つの力はいずれも、定義Aから、水槽全体の重心運動には仕事をしない。しかし、重心は動かなくても、糸の張力の作用点が動くので、定義Bによつて、糸の張力は系全体に仕事をし、その結果内部エネルギーの増加となつて、水槽の中の水温を上昇させる。
 仕事の定義に、一部、定義Bを採用しているのは、熱力学などの物理では、系の内部エネルギーに、系の重心運動のエネルギーは含めないからである。それに対して、まずは、物体の重心運動が重要な力学では定義Aを採用している。
カンダタ問題に対する張力派の答
 定義Aを適用すると、蜘蛛の糸の張力は、カンダタの重心運動に仕事をする。一方、定義Bを用いると、張力はカンダタの全体運動(重心運動+変形運動)に仕事をすることになるが、この場合は作用点が動かないので、定義Bによる仕事量はゼロである。質点系の力学から、筋力は変形運動に仕事をするが重心運動には仕事をしない。糸の張力はカンダタの変形運動に負の仕事をすると同時に重心運動に正の仕事をしているのである。
とりかえばや物語力学編
 力が系にする仕事なら、その定義は唯一定義Bである。しかし、力が系の重心運動にする仕事なら、これも唯一定義Aである。二つの仕事の定義を混同しては混乱が生じるのは当然である。二つの定義を取り違えることなく、正しく使い分ければ、以前アメリカで提案されたpseudoworkという考え方も必要でなくなり、その利点もなくなる。pseudoworkは、これまで30年間に亘って、力学教育に「とりかえばや物語」と同じ混乱をもたらしただけである。

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