老後の過ごし方

 「最近、新聞の文字が見えなくなってね。」「いやー、物忘れがひどくなったよ。」「夜、トイレに起きる回数が増えてね。」「お互い歳はとりたくないものだね。」
 同世代の友人が集まると、いつもそんな話になりますが、歳を取らずに生きていくことはできません。人間に限らず、生きている以上、歳をとるのは自然界の摂理ともいうべきものではないでしょうか。それなら、歳をとって良かったことを考えてみれば、老後をどう生きるか、そのヒントが見つかるかもしれません。
 60歳以上になると、自治体によっては、美術館など、入館料がタダになるところもあります。映画館も割引があります。電車やバスに乗ると、若い人が親切に席を譲ってくれます。これには最初戸惑っていましたが、せっかくの好意ですから、最近では、有難く譲ってもらうことにしています。
 定年後の生活も考えようによっては悪くはありません。当然、給料はなくなりましたが、その代わり自由があり、時間があります。在職中は、特に、パソコンが普及してからは、毎日、山ほどのメールが来て、どうでもいいような書類ばかり書かされ、無精者の私など、定年前の最後の1年は、時効の日を指折り数えながら待っている犯罪者の心境でしたよ。しかし、今は晴れて年金生活者になることができ、その年金も在職中に収めたものですから、それなら、長生きして、一円でも多く、年金を取り返してやろうと、新しく生きる目標もできました。
 確かに、歳をとって物忘れはひどくなりましたが、それが好都合なときもあります。一度見た再放送のドラマも、再度新鮮な気持ちで見ることができます。また、一度話したことを忘れ、同じ話を繰り返すこともありますが、老人なら、周囲もそれを笑って許してくれます。しかし、それこそが老人に与えられた最大の特権であり、それは社会にとっても必要なことです。
 論語に温故知新という言葉がありますが、過去を知ることは未来を考えるためにも必要なことです。しかし、昔のことは年寄りしか体験していません。若い人がこれからどう生きていくか、その選択は当然彼ら自身に任せるとしても、生活様式が大きく変化した戦後のなかで体験してきたことを、これから未来を生きていく、子や孫に語り継ぐことは、老人の大切な役目ではないでしょうか。
 マンゴやナタデココなど、その名さえ知らず、高価だったバナナの、その一本を家族全員で短く切り分けて食べた日があったことを、ケータイやスマホはおろかテレビさえなかった時代、水飴をなめながら、紙芝居にくっついて廻った日のことを、若い世代に、何度も何度も繰り返し語り伝えていこうではありませんか。さまざまなメディアを介しての会話は増えても、人と人との直接の対話が希薄となった時代に、老人は、家庭でも地域でも、もっと必要とされるべきです。
 すでに老人になられた皆様、これから老人になろうとされている皆様、歳をとらなくなったとき、それは棺桶に入るときです。歳をとることは生きていることの証しです。むしろ、積極的に歳を取ってゆこうではありませんか。老人の最大の特権を行使しながら、80歳までも90歳までも、いえ、うまく時の流れに身をまかせることができれば、スキージャンプのK点越えのように、あなたなら三桁の大台だって狙えるかも知れません。

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