楓橋夜泊

   月落ち、烏啼いて、霜天に満つ
   江楓漁火、愁眠に對す
   姑蘇城外の寒山寺
   夜半の鐘聲客船に到る

 月は沈み、闇夜の空に烏の姿は見えず、その鳴き声だけが聞こえてくる。寒気は辺り一面にみなぎり、今にも霜が天から降ってきそうな気配となった。川辺の楓が漁火に照らされるのを見ながら、船の上で、うつらうつらしていると、夜半の刻を告げる蘇州郊外の寒山寺の鐘の音に、ハッとして目が覚める。

 詩吟でもお馴染みの、冷え冷えとした晩秋の夜の情景を詠んだ張継の七言絶句の漢詩、楓橋夜泊であるが、この詩には、月、霜、音と、いくつかの物理現象が詠い込まれ、それが互いに関連し合っている。

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月齢
 夜半の刻を告げる寒山寺の鐘と相前後して西の空に沈んだ月はどんな月だったのだろうか。満月は日没とほぼ同時に昇るが、月は地球の自転方向に公転しているため、月の出の時刻は、一日当たり30分から70分ずつ程度遅れる。一日当たりの遅れに幅があるのは地球の公転軌道が完全な円でなく、また、公転面が赤道面から傾いているためであるが、一ヶ月後には再び満月となり、月の出の時刻は元に戻る。つまり、月の出の遅れは、29.5日経過して24時間遅れることになるので、一日当たりの遅れにはかなりの幅があるが、平均的には約49分となる。当然、月の南中時刻や月の沈む時刻も同じだけ遅れる。そのため、月の出または入りの時刻が分かれば、その日の大体の月齢、つまり、月の形状が分かる。

 月齢は月と地球と太陽の配置によって決まるが、月は、一日の間にほとんど動かないと考えてよいだろう。月の沈む方向は西方向、つまり、地球の自転方向と逆の方向であるので、夜半の鐘声とともに西に沈んでいった月は、左の図から上弦の月であったことがわかる。

 上弦の月は地球の自転のため、正午に東の空から出て、日没時に南中する。南中時の上弦の月は太陽の光で右半分が輝いて見える。そして、深夜に沈む。

 北の夜空を見れば、地球が回転軸を北極星に向けて自転しているため、星座は天の北極である北極星を中心に左まわりに回転する。一方、南の空の星座は天の南極を中心に右回りに回転する。日本や中国のような北半球にある国では、天の南極は地平線の下に隠れている。

上弦の月出入り

 月も一日の間に、ほぼ、天の南極を中心に右回りに回転する。上弦の月は正午に弦を下に向けて東の空から出て、夕刻に南中し、深夜に沈むときは弦を上に向ける。

 日本にも月の出入りを詠んだ俳句や和歌は多い。次の俳句に詠まれた月の月齢はほぼ満月に近いことも容易に想像できよう。

   菜の花や月は東に日は西に

            蕪村

 太陽と入れ替わるように、日没時に東の空から昇った満月は、深夜に南中し、そして、次の人麻呂の歌のように、東の空が明るみ始めたころ、西の空に沈む。

   ひむがしの野にかげろひの立つ見えて、
   かえりみすれば月かたぶきぬ

         柿本人麻呂

 いずれも極めて短い句のなかに、広大な宇宙の現象が描かれているが、次の道長が祝宴の席で詠んだとされる満月は、道長の当時の権勢を象徴しているかのように、居並ぶ貴族にも、とくに大きく見えて東の地平線から昇ってきたに違いない。

    この世をばわが世とぞ思う望月の
    欠けたることもなしと思えば

 地平線の太陽や月が大きく見えるのは目の錯覚である。大きかった満月も高度が高くなると、通常の大きさに見えてくるが、天頂に近くなるほど、観測者から月や太陽までの距離は地球の半径分ほど近くなる。月が昇るにつれ、地表の観測者は地球の自転のため月に近づくことになるからである。さらにもう一首、柿本人麻呂が詠んだ歌を紹介しておこう。

   天の海に雲の波立ち月の船
   星の林に漕ぎ隠る見ゆ

 現実には星が月の前面にくることはないが、さすがは歌聖と呼ばれた人麻呂である。エッシャーやマグリットよりも1200年も前に、すでに、和歌のなかに、騙し絵の手法をとりいれていたのだろうか。三日月を船に、雲を波に、そして星を林に見立てた柔軟な発想と豊かな感性には感嘆させられる。

白紙委任状
写真はマグリットの「白紙委任状」。絵をどう解釈するかはあなたにお任せという意

 霜のできる原因は、放射冷却によって地面が冷やされ、冷たい地面に触れた空気中の水蒸気が昇華してできるものだが、昔は、霜は天から降ってくるものと考えられていた。

 中国語では雪も霜も「降る」である。日本語では、雨や雪は「降る」、霜は「降りる」と区別があるが、「霜が降りる」という表現もやはり、上から下へ落ちてくることを意味している。一方、西洋ではsnow やrain という語は、それ自体が名詞のみならず動詞も表しているが、frostには空から落ちてくるという意味はないようである。

夜声八町
 露や霜が降りる原因となる放射冷却だが、この漢詩には放射冷却に起因する音響現象が詠まれている。遠く、蘇州郊外から聞こえてきた夜半の刻を告げる寒山寺の鐘の音である。放射冷却によって、地表が冷えた日の夜はとくによく聞こえたに違いない。

 暖をとるために火を使うことが多く、しかも空気の乾燥する年末年始には、昔、小学生たちが拍子木を鳴らしながら、「火の用心、マッチ一本火事のもと」と叫んで、夜の町内を巡回していた。1950年代前半の頃までのことである。こどもが被害者となる事故や犯罪が多発する最近では考えられない光景だが、夜、それもとくに冷え込んだ夜には、拍子木や屋台のチャルメラの音が遠くまで聞こえることを、夜声八町と呼んでいた。町は長さの単位で、1町は約108m、夜の物音は八町先の遠くまで聞こえるという意味である。

 また当時は夜遅く、歌を唄ったり、口笛を吹いたりしようものなら、「ヨゴエハッチョウがさらいに来るぞ。」と親に怒られていた。遠くまで響く夜の物音は隣近所の迷惑であるが、昔のこどもにとって、晴れた夜のヨゴエハッチョウは、雨の夜のフルヤノモリとともに、文字通り、泣く子も黙る、恐ろしい夜の妖怪でもあった。

 先の愛地球博で展示された、となりのトトロの「サツキとメイの家」のような、昔の古い木造家屋に棲みついていた妖怪も、今の建物では、もはやその出番はなくなった。雨漏りする家など、滅多になく、深夜のテレビも、昔ほど音量を気にすることはなくなった。

 しかし、最近のマンションやホテルには、とんでもない新手の妖怪が昼夜の別なく出没するようになったという。企業のモラルハザードが産み落とした現代の妖怪「タイシンギソウ」に対し、こども騙しの昔の妖怪は気象現象がその原因であったが、天気の良い夜の物音はなぜ遠くまで伝わるのだろうか。

波の屈折
 幼稚園の運動会などで、横一列になった五、六人のこどもが一本の竹竿を持って走る競技がある。「台風の目」と呼ぶらしいが、まっすぐ走るときは、こどもたちは同じ速さで走り、折り返し点で進行方向を180度変えるときは、外側のこどもは速く走り、内側の子供はゆっくり走る。さらに、内側のこどもが竹竿を内側に引っ張り、外側の子供に向心力を与えてやれば、外側のこどもは走りやすくなる。

 「台風の目」は遠心力を体験するのに格好の教材であるとともに、波の屈折の法則を定性的に理解する教材にもなる。波の進行方向は常に波面に垂直であるので、その波面を、こどもが持った竹竿になぞえれば、速度の遅いほうに波は曲がることが理解できよう。

 波の屈折の原理は遠浅の海岸に打ち寄せる波からも学ぶことができる。波の速度は沖の深いところでは速く、岸に近い浅いところでは遅くなるので、波は屈折しながら岸に近づき、波面が常に海岸線に平行になるように打ち寄せる。

 目には見えないが、音の波でも同様な屈折が起こる。夜は放射冷却のため地面が冷え、気温は地面に近いほど低くなる。音の速さは気温が低くなるほど、遅くなるので、上方に向かった音は音速の遅い下方に向かって曲がり、それが地面によって反射される。夜の音は空気中での屈折と地面による反射によって地表を這うように伝わり、遠くまでよく聞こえるのである。

 一方、昼間は気温の勾配が夜と逆になるため、音は上方に向かい、昼間の音は遠くへは聞こえにくくなるが、今度は、ビルの屋上では、下からの物音がよく聞こえるようになる。

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サウンドチャンネル
 夜声八町は大気中での屈折と地面による反射を繰り返して音が遠方まで伝わる現象だが、屈折のみによって音が遠くまで伝わる現象もある。
 海中の音速は水温が高いほど、また水圧が高いほど速くなる。海の表面は温度が高く、ある一定の深さまでは、深いほど温度が低くなるので、そこまでは音速も深さとともに遅くなる。しかし、それ以上に深くなると、温度は変わらず、今度は水圧の効果が効き、音速は深くなるほど速くなる。つまり、海中には、音速が最小になる深さが存在する。

 音は音速の遅いほうへと曲がろうとするため、その深さから発せられた音の波は、上に進もうとしても下に進もうとしても屈折のためその深さに戻る。つまり、音がその深さの層に閉じ込められるため、分散が少なく遠くまで伝わることができる。これは、海中にできた音の通り道であり、サウンドチャンネルと呼ばれている。

 この現象は第二次世界大戦中に敵の潜水艦を探知するための軍事的研究において発見された。サウンドチャンネルは通常、水深1000m付近に存在するが、南氷洋ではそれより浅くなり、鯨は、サウンドチャンネルを利用して遠く離れた相手と会話をしていると言われている。

 彼ら鯨はケイタイも持たずに長距離恋愛しているようだが、海中の音速は秒速1.5km程度であるから、相手に届くまで、少し時間かかりそうである。それに対して、もし、光の通り道があれば、情報を光に乗せて遠くまで、ほぼ、瞬時に伝えることができよう。

光ファイバー
 1854年、イギリスの物理学者チンダルは、樽から流れ落ちる水柱の中を光が伝わる現象を発見した。光速は空気中よりも水中が遅いので、水柱のなかに入った光は、水と空気の境界で全反射され、水柱のなかから出られないのである。
 チンダルが発見した現象は台所で簡単に観測できる。まず、水道の蛇口から水を出してみよう。すると、そこにはいくつかの物理現象が観測される。水は水柱をなして落ちるが、その水柱は下にいくほど細くなる。

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 これは単位時間に断面を通過する水の量は、高さによらず一定であるため、水柱の断面積とそこの落下速度の積は一定でなければならない。速度は下に落ちるほど大きくなるから断面積は下のほうが小さくなるのである。しかし、断面積がいくらでも小さくなることはない。ある高さより下では水の表面張力のため、水柱をなさなくなり、それからは水滴となって落ちる。そこで、水道の水が台所の流しの落下点まで、細い水柱をなして落ちるように水量を調節しよう。水の落下点を注意深く観測すると、その部分が光っているのが分かる。光が水柱に閉じ込められて伝播しているのである。

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ステップインデックス型光ファイバー
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グレーテッドインデックス型光ファイバー


 石英やプラスチックを髪の毛ほどの細い糸状にして作られる光ファイバーは、一般に二層構造をしている。コアとその外側のクラッドからなり、コアの屈折率はクラッドの屈折率より大きい。光速は屈折率に反比例するので、ステップインデックス型では、コアとクラッドの境界で全反射を繰り返しながら、光はファイバーのなかを進む。クラッドはその境界面を保護する役目もしているが、室内装飾用などに使われる光ファイバーは径も太く単層構造であり、光はファイバーと空気の境界面で全反射を繰り返しながら進む。

 また、グレーデッドインデックス型と呼ばれる光ファイバーはコアの屈折率が一定ではなく、コアの中心部ほど屈折率が大きくなるように作られている。そのため光は絶えず屈折率の大きいコアの中心部へ向かって曲がるため、コアのなかを蛇行しながらすすむ。この型の光ファイバーは日本の西澤潤一らによって、1964年に考案され、現在では大量の情報を超高速で送る通信技術にとって欠かせないものとなっている。

 光ファイバーにはその他の型もあるが、いずれの型の光ファイバーも、屈折率の違いによる全反射や屈折によって、光の波はファイバーから抜け出せず、ほとんど減衰せずにファイバーのなかを伝播するのである。

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テレビ石

 天然にも光ファイバーに似た鉱物が存在する。テレビ石とも呼ばれるウレックサイトは、繊維状の結晶が平行に結合してできている。そのため、文字を書いた紙の上にテレビ石を置くと、上図のように、紙に書かれた文字が石の上面に浮き上がる。胃カメラなどに用いられるファイバースコープは、多数の光ファイバーを束ねたもので、テレビ石と同じ原理である。

 通信技術に一大革命をもたらした光ファイバーは、中学で学ぶ光の反射と屈折の原理の応用である。しかし、それが情報の大量伝達に使えようとは!

新しい展開は、
  難しいことを勉強して出るものではないんです。
  非常に初歩的なところで捕まえた疑問点というのが、
  大発見なんです。
               西澤 潤一 

コメント

  1. 井村美知子(大村科学サークル事務局 16年度まで) より:

    実験教室の講師を希望していただきありがとうございます。
    「楓橋夜泊」を読ませてもらいました。
    テーマが「楓橋夜泊」となっていますが、小学生向けに副題をつけてもらえないかなあと思いますが如何でしょうか。
    実験教室は楽しみにさせてもらいます。

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