へそで茶を沸かす方法?

はじめに

 リンゴが樹から落ちてもほとんどの人は驚かない。サルが樹から落ちれば話題にはなっても、誰もそれを不思議なことだとは思わない。しかし、地面に落ちていたリンゴがひとりでに跳び上がったと言えば、そんな嘘は誰も信じない。エネルギー保存則にも日常の経験にも反するからである。

 冬の凍てつく朝、上司の草履をふところで温めた話に驚き呆れても、草履が体温まで温まるのを誰も不思議なことだとは思わない。しかし、へその熱でへそより熱い茶を沸かす仕組みを発明したと言えば、昔も今も一笑に付されるだけで、それ以上何を言っても相手にされない。

 馬鹿馬鹿しいことの例えとして用いられる臍茶の話だが、現代の科学技術はへその熱だけでへそより熱い茶を沸かす仕組みを作り、へその熱を使って水を凍らせる仕組みを作った。前者の仕組みは産業革命とその後の車社会をもたらした熱機関であり、後者の仕組みはエアコンや冷蔵庫に応用されているヒートポンプである。温度差から仕事を取り出すか、仕事をして温度差を創り出すかの違いであり、どちらも、現代の我々の生活に密接に関わっている熱力学的な仕組みであり、熱力学の第一法則にも第二法則に反してはいない。

熱力学第二法則

 熱力学第一法則がエネルギー保存則であるのに対し、エントロピーの増大則とも呼ばれる熱力学第二法則には、いろんな表現があり、クラウジウスの原理もその一つである。

 クラウジウスの原理:他に痕跡を残さずに低温から高温に熱を移動させることは不可能である

 クラウジウスの原理は、他に痕跡を残さず、へその熱をへそより高温の茶に移動させることを禁止しているが、他に痕跡を残すことを許すなら、熱力学第二法則は、へその熱をへそより高温の茶に移動させることを禁じてはいない。

熱現象を力学模型で考える
図1 すっとびボール

 弾性体の球がある高さから自由落下し、床と衝突して跳ね上がる場合、跳ね上がった高さが最初の高さを超えることはない。しかし、理科教材として市販されている、すっとびボール(図1)を自由落下させると、床と衝突後、一番上の小球だけが跳ね上がり、その高さは最初の高さを遥かに超えることができる。

 すっとびボールを床からh1の高さから自由落下させると、衝突後、小球だけがh2の高さまで跳ね上がったとしよう。すっとびボール全体の重量をQ1、一番上の小球の重量をQ2、小球を除いた残りの重量をQ0とすると、Q1=Q0+Q2であり、さらに次の式が成り立たなければならない。

左辺は、最初にすっとびボール全体が持っていた位置エネルギーであり、そのうち、Q0の持っていた力学的エネルギーは、床との衝突後、小球に移り、エネルギーを失ったQ0は跳ねずに床に残り、小球だけが跳ね上がる。右辺は小球だけが高さh2の最高点に到達したときの小球の位置エネルギーである。弾性衝突ではエネルギー保存則から両辺は等しくなるが、非弾性衝突では、最初全体が持っていた位置エネルギーが、一部、熱となって失われるので、一般には不等式となる。Q2がQ1に等しければ、h2はh1を超えることはできないが、重量比(Q1/Q2)が充分大きければ、衝突によって少々エネルギーが失われても小球は最初の高さh1より高くまで跳び上がることができる。

 実際、市販のすっとびボールでは、小球が最初の高さの数10倍の高さまで跳び上がる。小球は、それ以外の部分Q0から衝突によってエネルギーを受け取り、小球は高くまで跳ね上がることができる。

 熱力学は、力学とは多くの点で異なるが、すっとびボールに相当する熱力学的仕組みを作り、その仕組みが受け取ったへその熱の全部ではなく、その一部であれば、へそより熱い茶に移動させることはできないだろうか。

へそで茶を沸かす仕組み
   図2 へそで茶沸かすしくみ

 図2のように、熱力学的サイクルをする仕組み、熱機関が温度T1のへそから熱量Q1の熱を受け取り、熱量Q0を温度T0の環境に捨て、熱量Q2を温度T2の茶に与え、仕組み自体は最初の状態に戻ったとする。熱量の保存およびエントロピー増大則から、次の式が成り立たなければならない。

(2)式は熱力学第一法則であり、エネルギーの保存則であるが、この場合は力学的エネルギーは存在せず熱エネルギーだけであるから熱量の保存則である。左辺は仕組みに入ってくる熱量、右辺は仕組みから環境および茶へ出ていく熱量であり、仕組み内には熱の発生源はないので、仕組みがもとに戻るには仕組みに入ってきた熱量と仕組みから出ていく熱量は等しいので、(2)式が成り立つ。

 一方、(3)式の左辺はへそから仕組みに入ってきたエントロピーであり、右辺第一項および第二項は、仕組みから、それぞれ、環境および茶に出ていったエントロピーである。準静的過程ならエントロピーが生成されないので(3)式の両辺は等しくなるが、仕組み内部でエントロピーが発生すると、仕組みが最初の状態に戻るためには、生成された分だけ仕組みから出ていくエントロピーの方が大きくなければならない。

 もし、環境に痕跡を残さなければ、つまり、図2においてQ0=0であれば、図2の仕組みはクラウジウスの原理に反する。へそでへそより熱い茶を沸かせば、必ず環境に痕跡を残すことになる。

 (2)式と(3)式から、

が導かれる。ここで温度Tの関数h(T)を、h(T)=1-T0/Tと定義し、(4)式をこの関数を用いて表すと、

となる。(5)式は、すっとびボールに対する、位置エネルギーの関係式である(1)式とまったく同じになる。物体の重量が熱量に相当し、基準点の床からの物体の高さが、h(T)に相当する。h(T)は、温度T0の環境を基準点としたとき、温度Tの熱源のもつ、いわば「熱源の熱力学的高度」であり、エクセルギー率と呼ばれる。(5)式は、へそから熱量Q1を受け取り、少量の熱量Q2を高温の茶に移し、残りの熱量Q1-Q2=Q0を環境に捨てる仕組みが可能なことを示している。熱量とエクセルギー率の積がその熱量が持つエクセルギーである。同じ量の熱量でもより高温の熱源の熱量が大きなエクセルギーを持つことになる。

 エクセルギー率h(T)はその定義より、h(T0)=0となる。つまり、環境と同じ温度から取り出された熱量はエクセルギーを持たない熱エネルギーであり、環境からの温度が高いほど、そこから取り出された熱量は多くのエクセルギーを持つことになる。温度が無限大に近づくとエクセルギー率は1に近づく。仕事はエクセルギー率1の仕事、つまり、温度が無限大の熱量と考えることができる。エクセルギー率は環境より温度が低い場合は負になり、T→0となるとh(T)→-∞となる。

熱機関の効率

 (4)式においてT2=∞、Q2=Wとすると、 

となる。改めて熱源の温度をT、熱源から仕組みに入って熱量をQとすれば、

となる。(7)式は、高熱源の温度がTで、温度T0の環境を低熱源とする熱機関の効率の式となる。T=∞とすると、Q=W、つまり、仕事Wとは温度∞の熱量、あるいはエクセルギー率が1の熱量と考えることができる。電力も100%仕事に変換できるので電気的エネルギーもエクセルギー率が1の熱量と考えることができる。(7)式で等号が成り立つのはエントロピーの発生のないカルノーサイクルである。熱機関の効率はカルノーサイクル効率を超えることはできない。

冷熱発電

 環境より温度の低い冷熱源が存在すれば、環境を高熱源、冷熱源を低熱源として、そこから仕事を取り出すことができる。今度は温度Tの環境から熱量Q0を受け取り、温度Tの冷熱源に熱量Qを捨て、仕事Wを発生するので、(7)式に相当する効率の式は、

となるが、(8)式の左辺は熱容量が∞の環境から受け取る熱量からどれだけの仕事を取り出せるかの割合であり、それを求めてもあまり意味がない。環境がいくら熱量を放出しても環境の変化はほとんどないが、冷熱源に熱量を放出するとやがて冷熱源が消えてしまう。よつて冷熱源の場合はサイクルが冷熱源に熱量Qを捨てたとき、どれだけの仕事をすることができるかが重要である。今度はQ0=Q+Wであるから、これを(8)式に代入すると、

となる。(9)式は冷熱源の温度を環境の温度の1/nとすると、熱機関が冷熱源に捨てた熱量の最大n-1倍の仕事を取り出せることになる。

ヒートポンプ

 熱機関が二つの熱源の温度差から仕事を取り出す仕組みであるのに対し、ヒートポンプは、仕事またはエクセルギーの高い熱量を注ぎ込むことによつて温度差をつくる仕組みである。低温部から高温部に熱をくみ上げるにはエクセルギーが必要になる。エアコンやガス冷房などはヒートポンプである。エアコンを冷房として使う場合は室内の熱を室外にくみ上げ、暖房として使う場合は室外の熱を室内にくみ上げる。

 温度T0の環境を高熱源、温度Tの冷熱源とする熱機関を逆回転させると、冷熱源から熱量Qをくみ上げるヒートポンプになる。このときヒートポンプが必要とする仕事Wは(9)式の不等号を逆向きにして得られ、

となる。冷熱源の温度Tが環境温度T0の1/nだとすると、(10)式は冷熱源からヒートポンプで熱を汲み上げようとすると汲み上げる熱量のnー1倍の電力量が最低必要であることを示している。これは、少量の水でも、それを深い井戸から汲み上げるには多くの仕事を必要とするのと同じである。

科学技術と熱力学第二法則

 科学技術は、人間を肉体労働から解放し、その生活に利便性をもたらしたが、環境に痕跡を残さない科学技術は存在しない。ふところで草履を温めても、それを科学技術とは呼ばないが、人と草履以外に痕跡を残さない。科学技術によって、へそでへそより熱い茶を沸かすことも、へその熱で氷を作ることも可能だが、その際、環境にその痕跡を残すことを避けられない。

参考:ポッチャン便所からの熱力学

   エクセルギー

  水飲み鳥の歌

コメント

タイトルとURLをコピーしました