これは抗力のする正負同時一対の仕事Iの続編である。
動力源が系内に存在する場合
40年前にアメリカで発表された論文、Pseudowork and real work:Am.J.Phys.51(7),July1983 によれば、車が走るのはエンジンが仕事をするためであり、車の駆動輪が道路から受ける水平抗力(静止摩擦力)のする仕事はpseudo work であり、real workではないという。
車の運動に力学的エネルギーを供給しているのは動力源であるエンジンであることは当然であるが、エンジンが仕事をしているのは車の駆動輪に対してである。道路からの抗力がなければ、駆動輪が回転するだけで、車の並進運動は生じない。車が受ける水平進行方向の外力は道路から受ける抗力だけである。抗力を受けなければいくら強力なエンジンを搭載していても車は走れない。
エンジンが仕事をして駆動輪が回転し、駆動輪が道路から受ける抗力は駆動輪の回転運動に負の仕事をすると同時に車の並進運動に正の仕事をしている。抗力のする仕事がなければ、動力源のエネルギーは並進運動に伝わらない。
図1のように、ペダルを踏んで自転車の後輪を加速しようとすると、後輪には進行方向に水平抗力Fが働き、抗力Fは後輪の回転運動に負の仕事をすると同時に、自転車の並進運動に正の仕事をする。並進運動が加速されると、前輪には後ろ向きに抗力fが働く。fは並進運動に負の仕事をすると同時に前輪の回転運動に正の仕事をする。
動力学に抗力が寄与する場合、抗力は二つの運動に跨って寄与し、一方の運動に負の仕事をするとともに他方の運動に正の仕事をする。図1の例では、Fは後輪の回転運動と自転車の並進運動とに、fは並進運動と前輪の回転運動とに同時一対の仕事として寄与する。
抗力のする正負同時一対の仕事の例として、もう一つ図2のような懸垂を考えよう。人が腕を曲げて人の重心が上がるとき、人の体重を持ち上げる力は、鉄棒から受ける抗力Fだろうか。それとも、腕を曲げることによって腕の付け根S点に働く上向きの力FSだろうか。一見、後者のように思えるが、FSは人の全体重を持ち上げてはいない。 腕を含む人の体重を持ち上げているのは、鉄棒から受ける抗力Fである。腕を細く描けば済むという問題ではない。
図2の懸垂運動でも、運動方程式は、人の重心運動と変形運動との連立方程式で表され、鉄棒から受ける抗力Fは両方の運動に正負同時一対の仕事として寄与する。人の質量をM、加速度をαとすると、重心の運動方程式は、FーMg=Mα ・・・(1)として定式化できるが、変形運動に対する運動方程式を定式化することはできないが、抗力Fは重心運動と変形運動の両方に関わっていることは次のように説明できる。
懸垂をする人に働く外力は鉄棒から働く抗力Fと重心に働く一定の重力Mgである。これを、図3の右図のように、抗力Fと大きさが等しく、互いに逆向きの力F1とF2が重心に働いていると考えても状況は変わらない。つまり、重力以外に、FとF2の一組の力と単独の力F1とが働いていると考えても、図3の左右の図は等価である。人の筋力は腕の変形運動に仕事をして腕を曲げようとするが、一組の力FとF2は、逆に腕を伸ばそうとする。これは腕を曲げようとする変形運動に負の仕事をすることを意味する。残りのF1(=F)は重心に働き、F>Mgであれば、人の体重を引き上げ、その重心運動に正の仕事をする。懸垂において、抗力Fは人の変形運動に負の仕事をし、同時に人の重心運動に正の仕事をすることによつて、腕の筋力の仕事によって得られたエネルギーを重心運動のエネルギーに換えている。
これまで繰り返し述べてきたことだが、抗力は外部からエネルギーを供給することはできないが、抗力が正の仕事をする場合は必ず、どこかで負の仕事をしている。未だに物理教育編集委員会は40年前の亡霊に憑りつかれ思考停止に陥っているのだろうか、pseudoworkの呪文を唱えるだけで、抗力のする仕事を一切否定したのでは、日常のありふれた力学現象さえ説明できなくなろう。編集委員会がpseudoworkの呪縛から解放され正常な思考を取り戻すことを期待したい。
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