Pseudoworkとニュートンの運動法則

 古典力学の基本原理はニュートンの運動法則だと思っていた。いつの時代にも、異端の説を主張する人々は少なからずいるが、ニュートンの運動法則を、正面切って否定する、いわゆるpseuwork信奉者が多いのに驚いている。これまで何度も描き続けてきた図だが、図1のような円柱の転がり運動の問題を考えてみょう。

図1

 図1の転がり運動の運動方方程式は、円柱の並進運動と転がり運動との連立方程式で表される。

図2

図2の式も、これまた何度も書いてきた数式だから、文字の説明は省略させて頂きたい。図2の(1)式と(2)式からなる連立方程式が転がり運動に対する運動方程式であることはには疑いの余地はない。それなら、図1の転がり運動に関する物理量は全て(1)と(2)から導かれなくてはならない。その物理量とは①円柱の運動量、②円柱の角運動量、③円柱の並進運動の運動エネルギー、④円柱の回転運動のエネルギーである。①と②は、(1)および(2)を時間で積分して得られ、③は(1)を重心の変位で積分することによって得られ、④は(2)を円柱の回転角で積分することに得られる。

 連立方程式(1)と(2)から、①~④は素直に導かれるにも関わらず、抗力のする仕事を何としても阻止したいPseudowok擁護論者は、①と②は問題ないが、③と④は作用点の動かない抗力が仕事をするから誤りだという。それなら、円柱は並進運動のエネルギーや回転運動のエネルギーをどのようにして、獲得するのか、運動量や角運動量を持つだけで、エネルギーを持たない並進運動や回転運動があるだろうか。それとも並進運動と回転運動のエネルギーはどちらも神のお告げによるエネルギー「Pseudowok」として暗記せよと宣うのだろうか、連立運動方程式の中に二度現れる抗力が仕事もしても、エネルギー保存則に反することはない。それでも、抗力のする仕事を一切否定すれなら、それはもはやまともな力学の理論ではない。宗教論争でしかなくなる。運動方程式から数学的に導かれる結果を否定するなら、それは学問ではない。抗力は系全体に力学的エネルギーを供給することはできないが、抗力のする仕事を否定しては、系の異なる運動間のエネルギーの受け渡しが説明できなくなる。運動方程式とも数学とも整合性のない「Pseudowok」は必ずや消え去る運命にあることは古典力学の歴史が証明している。

 また抗力は、本当は僅かながらその作用点が動いているとか、円柱や水平面は、僅か変形しているというのも全く入れられない。机の上を糸車を転がすとき糸車の重さで水平面や糸車が変形して動いているとは考えられない。これもまた、作用点の動かない力は、いかなる場合も仕事しないする妄想の産物である。

 新幹線のような重い車輪では、安全性の観点から車輪の変形は無視できない重要な問題になろう。しかし、だからと言って、車輪が変形することによつて新幹線は走っていることにはならない。軽いおもちゃの新幹線も糸車も変形とは無関係に面上を転がり回転のエネルギーを得て転がることができる。日本物理教育学会会誌編集委員会は[pseudowork信仰」と袂を分かち、ニュートンの運動法則に基づいたまともな査読を行うべきである。

抗力が仕事をしても一切不都合なことは生じない→ 抗力のする正負同時一対の仕事Ⅰ および 抗力のする正負同時一対の仕事Ⅱ

これは古典力学におけるパラダイムシフトなどではない。40年前に迷路に入り込んだ力学教育を、pseudowork以前のニュートンの運動法則に基づいた力学教育に引き戻すだけである。

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