仕事の定義についての考察

ベテラン捕手今度、入団してきた新人、凄いよ。

科学者の友人何が凄いの。

ベテラン捕手投げる球がめっぽう重たいんだな。

科学者の友人ボールの質量は野球規約で決まっているんじゃないの。

ベテラン捕手いや、同じ球でもスピードのある球はその分重くなるんだよ。

科学者の友人もちろん、そうだけど。

ベテラン捕手これまでいろんな球、受けてきたが、あんなの初めてだね。彼の球は力があって並の投手の倍重たかったな。

科学者の友人ちょっと待ちたまえ。ボールの質量が僅か0.01%増えるには、ボールの速さは秒速4000 km、弾丸の速さの1万倍だよ。それが倍の質量ともなれば、光速の86パーセント、そんなボールを君はどんなミットで受けたんだい。

 ボールを受けたときのミットの感触をボールの重さやボールの力と表現するのは野球仲間どうしの話では通用しても、物理では、ボールの速さなのか、運動量なのか、運動エネルギーなのか、用語の意味が明確に限定されていなければ混乱する。

 重さや力と同様に、日常会話としては、いろんな意味に使用される仕事も、物理用語として用いる場合は、厳密な定義による共通認識がなければ議論できない。岩波書店の広辞苑には、仕事は次のように定義されている。

 「力が働いて物体が動いた時に、物体の移動した向きの力と移動した距離との積を、力が物体になした仕事という。」

 ブルタニカ百科事典も、日本の高校物理教科書もこれと同じ定義である。教科書や広辞苑などに定義されている仕事を便宜上仕事Aと呼ぶことにしよう。

 当然、定義の解釈が物理関係者の間で異なることなどあってはならない。仕事Aにおける物体とは質点や力学系を含む物体一般であり、また、物体の位置を示す指標は重心であるから、移動距離とは、物体の重心の移動距離である。仕事Aは、力が働き、物体が移動したとき、力と物体の重心の変位の内積として定義されている。一方、広辞苑と同じく岩波書店から出版されている理化学辞典では仕事を次のように定義している。

 「力学系に力F が作用し作用点がdrだけ変位するとき、スカラー積を(F,dr)を、その力が力学系になした仕事という。」

 理化学辞典に定義された仕事を仕事Bとすると、仕事Bは力と力の作用点の変位との内積となっている。一般には、物体の重心の移動距離と力の作用点の移動距離は異なるので、仕事Aと仕事Bとは異なる仕事である。抗力は作用点が動かないので、物体に仕事Bをすることはできないが、物体が動けば、作用点の動かない抗力も仕事Aをすることができる。

 ただし、仕事Aの記述において、物体が質点の場合には、重心の変位と力の作用点の変位とは一致するので、仕事の対象が質点の場合には、仕事Aは仕事Bに一致する。しかし、仕事Aはその対象を質点に限定したときの仕事ではない。もし、そうなら、仕事Aの記述のなかの「物体」は「質点」と書くべきである。

 物理や数学に限らず、物事を定義するのは、他と明確に区別することによって無用な混乱を避けるためである。物体になした仕事と明記されているのに、質点になした仕事と読み変えなければならないなら、定義する意味はない。仕事Aは質点だけでなく、文字通り物体一般に対し、その並進運動にする仕事であり、仕事Bとは異なる仕事でなければならない。

 一般に物体の運動は、並進運動(重心運動)と重心のまわりの回転運動と変形運動とからなる。仕事Aは、エネルギーを供給する外部の動力源が及ぼす力のみならず、抗力も含めた外力が、物体や系に働いたとき、その並進運動に対してした仕事であり、仕事Bは、外部の動力源が物体や系に力を及ぼすとき、外部から物体や系に流入した力学的エネルギーである。ニュートンの運動法則を基本原理とする力学では仕事Aは不可欠な仕事でるのに対し、個々の運動には言及せず、エネルギー保存則を基本原理とする熱力学では仕事Bが重要である。

  「募集」と「募る」はどう考えても同義語だが、仕事Aと仕事Bとは両者の定義から、異なる仕事でなければならない。両者を混同すると、力学も熱力学も混乱する。しかし、広辞苑や理化学辞典に対し、出版年が2005年と比較的新しい培風館の物理学辞典では仕事を次のように定義している。

 「物体に力を加えて、物体が力の向きに移動したとき、力は物体に仕事をしたと言い仕事の量は力と移動距離の積で与えられる。一般には、力の向きと物体の移動の方向は必ずしも一致しないので、物体または力学系に外力Fが作用し、作用点がdsだけ変位したとき、仕事は両者のスカラー積、F・ds=Fdscosθである。ただし、θは力Fと変位dsのなす角である。」

 何度読んでも理解できない文章だが、抗力を仕事から排除するために、仕事Aが真の仕事であるのは物体が質点の場合だけであり、質点以外の物体一般に対して、仕事Aは、仕事に似て仕事ではないと主張する、いわゆる、アメリカのpseudowork学派に配慮したのか、物理学辞典の記述は、高校教科書における従来の仕事の定義とpseudoworkとの間で板挟みとなった辞書編纂者の苦悩がにじみ出ているようである。

 物理学辞典の仕事の定義の前半は仕事Aであり、「一般には」以降では仕事Bになっている。異なる仕事を無理に同じ仕事だとして、「一般には」として繋いだために、木に竹を接いだような意味不明な記述になっている。仕事Aは物体一般に対する仕事の定義であり、それを一般化しても仕事Bに含まれることはない。

 仕事Aは、エネルギーを供給する動力源が系の内部にあるとき、特に重要となる。内力は物体や系の変形運動に対して仕事をすることができるが、物体や系の並進運動に対しては仕事をできない。無重力空間で宇宙飛行士が、その筋力でいくら手足を動かしても、他に触れなければ、宇宙飛行士は運動の第二法則によつて、その重心は静止したかままか、等速度運動をするだけである。

 自転車に乗って道路を走ることができるのは、筋力が後輪の回転運動に仕事をし、道路から受ける水平抗力が回転運動に負の仕事をし、同時に並進運動に正の仕事をするためである。抗力のする仕事を否定しては、内力の仕事によって後輪が得た力学的エネルギーが並進運動に伝わらない。仕事Aは、質点だけでなく、物体一般に対してreal workでなければならない。

 無重力空間の宇宙飛行士の筋力は飛行士の変形運動に対して仕事をするが、その並進運動に仕事をするには外力が存在しなければならない。宇宙飛行士が宇宙ステーションの壁を押せば、その反作用力、つまり、壁からの抗力が宇宙飛行士の並進運動に仕事をする。同時に、壁からの抗力は飛行士の変形運動に負の仕事をする。

 宇宙飛行士の筋力は自らの変形運動に仕事をし、壁からの抗力は変形運動と並進運動のそれぞれに、負と正の仕事を同時にすることによつて、変形運動のエネルギーを並進運動に伝えている。抗力がなければ、筋力の仕事によって変形運動が得たエネルギーは飛行士の体内で熱として散逸するだけである。

 

 

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