地道な研究の積み重ねによって発展してきた科学の世界にも、勇猛果敢な大先生が突如現れることがある。既に科学の常識とされている熱力学第二法則を‘神話’だと決めつけ、独自の熱力学を主張されていた先生が、昔、筆者と同じ大学の他学部におられたが、 大先生とは、その類の困った先生方のことである。
今は、無知無能な人々による非難の的にされているが、100年先、200年先には、自分の学説が主流になる日が必ず来る、かつて地動説がそうであったようにと、大先生方は、決まってそう、宣たまわれる。
小心者の筆者に、とても大先生ほどの勇気はないが、抗力のする仕事を敢えて考えれば、日常の力学を易しく、そして、より深く理解できることを、日本物理学会に恐る恐る進言した結果、物理学会からの回答は、抗力が仕事をするなど、とんでもない、力学の常識に反し、あり得ないことであり、高校の物理教育に混乱をもたらすだけだとのことであった。
Web上に墓造りをしながら、たそがれ清兵衛のように、 定年後の人生を 平穏に過ごすつもりが、墓に書いた「蜘蛛の糸」を、日本物理学会誌談話室(2016年2月号)に紹介し、仕事をしたのは蜘蛛の糸の張力だと主張したことで、大先生たちと同じゴミ箱に分別された上、しっかりと蓋までされたようである。
作用点の動かない抗力が仕事をしてもニュートンの運動法則に反しないという趣旨の論文を「大学の物理教育」にも二度投稿したが、門前払い同然の掲載拒否となった。
物理学会相手の論争に、恐怖でパソコンを打つ手の震えは止まらず、膝はがくがくだが、このまま後には引けない。編集委員会にも抗力説を否定する決め手はなさそうだが、学会の多数意見を忖度しているのか、それとも蜘蛛の糸に絡まり、首を縦に振れなくなったのか、ただ横に振るだけである。ここは蓋を持ち上げ、ゴミ箱の中から抗力説を辛抱強く叫びたい。
自ら省みてなおくんば千万人と云えども我ゆかん ― 孟子 ―
ニュートンの運動法則は、抗力を他の外力と区別していないので運動方程式のなかにも抗力は登場する。物体に力が働き、運動方程式にしたがって物体が力の方向に動けば、高校の物理教科書の記述 からも、力が抗力か否かに関わらず、力は仕事をすることになる。
中学理科の教科書には仕事について次のように記述されている。「物体が力を加えた方向に動いたとき、力が物体に対して仕事をしたという。」これは明らかに物体の並進運動に対する仕事である。 さらに、高校の物理の教科書では、中学理科の定性的な記述に続けて、「力と移動距離との積を、力が物体になした仕事という。」と書かれており、仕事が定量化されている。移動距離とは物体の移動距離であり、重心の移動距離である。
系全体のエネルギーしか論じない熱力学に対し、物体の運動から物体の並進運動のみを分離することができる力学では、系全体にする仕事だけでなく、並進運動にする仕事も定義されなければならない。
並進運動には、加速度、速度、運動量、そしてエネルギーが存在し、いずれも並進運動の運動方程式から導出されるべきである。高校の教科書に記述されている仕事は、物体を質点に限定したときの仕事ではなく、回転や変形などの運動を同時にしている物体から、並進運動のみを抜き出したとき、力がその並進運動に対してした仕事である。
抗力が仕事をしても、ニュートン以来300年以上の歴史のある古典力学を否定するものではない。むしろそのほうがニュートンの運動方程式に則った考えであり、エネルギーの流れが理解しやすい。中学理科や高校物理の教科書の仕事についての記述にも矛盾しない。大先生方の難解な理論とは対極に位置することを再度強調しておきたい。
物体の並進運動にする仕事以外にも仕事は存在する。物体が固定軸のまわりに回転するとき、あるいは、重心のまわりに自由回転するときも、回転運動にする仕事は、力のモーメントと回転角の変化の積である。さらに、ゴム紐やバネが伸びるときも仕事は定義され、ゴム紐やバネの両端を互いに引っ張り合う力と伸びの変化量の積が仕事量となる。閉じ込められた気体の場合には、外部から加えられた圧力と体積の減少量の積として定義される。これは熱力学でお馴染みの式δW=-PdVである。
外部から物体に一方向に働く力や回転体に働く力のモーメントやゴム紐やバネの両端を引っ張る力や、そしてさらに、気体に働く圧力などを「作用」と考え、それぞれの作用が働いた結果、その対象に生じる変化、つまり、力方向への重心の変位、回転角の変位、伸び量の変化、体積の減少量などを、作用によって生じた「状態変数の変化」とすれば、いずれの仕事も「作用」と、作用によって生じた「状態変数の変化」との積として一般化される。
上記の仕事が、物体のそれぞれの状態変化に対しての仕事であるのに対し、理化学辞典では、仕事は、力とその作用点の変位との積として定義されている。作用点の変位は、重心の変位や回転角の変位などとは異なり、「状態変数の変化」ではないが、結果的に、それは外力が物体全体、あるいは系全体に対してした仕事となる。作用点の動かない抗力は理化学辞典で定義された仕事をすることはできないが、物体の並進運動に対しては仕事をすることができる。
剛体の運動は並進運動と重心の周りの回転運動に分解できる。例えば下図のような半径がrの円柱の転がり運動において、並進運動になされた仕事は、(T+F)と重心Gの移動距離との積であり、回転運動になされた仕事は、重心Gの周りの力のモーメントr×(T-F)と円柱の回転角との積である。二つの仕事の和が、円柱のころがり運動になされた仕事であり、それはTと作用点Pの変位との積に等しくなる。作用点の動かない抗力Fは全体の仕事には寄与しない。なお、このときの作用点Pの変位は重心Gの変位の2倍である。
糸の張力Tは、円柱の右方向への並進運動にも、時計回りの回転運動にも正の仕事をしている。しかし、抗力Fは並進運動には正の仕事をしているが、回転運動に対しては、反時計回りの力のモーメントとして働き、負の仕事をしている。
一般に複雑な系においても、系の運動は並進運動とその他の運動に分離できる。抗力が系の並進運動に、正または負の仕事をすれば、その抗力はその他の運動のどこかで必ず、負または正の仕事をする。
車の場合には、車に働く外力は道路からの抗力のみとなるので、並進運動に仕事をしたのは抗力だが、そのエネルギー源は、当然、エンジンである。自動車学校に行ってないので車を運転して走らせることはできないが、走る仕組みが理解できず、車はガソリンも電気も要らずに道路からの抗力だけで走れると主張しているのではない。
エネルギーの供給源はエンジンだから、エンジンがすべてに対して仕事をしたと考えても間違いではないが、それではエネルギーの流れがドンブリ勘定になる。抗力が働かなければ、いくらエンジンが仕事をしても駆動輪が回転するだけで車は走ることはできない。
エンジンが車の駆動輪に仕事をし、駆動輪に働く道路からの水平抗力が、駆動輪の回転運動に負の仕事をし、同時に抗力が車の並進運動に正の仕事をすることによって、並進運動がエネルギー得て、車は走る。
抗力は作用点が動かないので理化学辞典で定義された仕事をすることはないが、理化学辞典の仕事、つまり、系全体にする仕事が唯一の仕事だとして、分解された運動、つまり、物体の並進、回転、変形にする仕事を仕事として認めなければ、力学は無味乾燥で面白くないものになってしまう。車の運動も自転車の運動も、なかでも、ブランコのようなパラメトリック励振を高校生や大学初年度生に分かり易く説明しようとすると、抗力のする仕事が不可欠となる(→ブランコとボタフメイロ) 。
抗力が仕事をしても力学の法則に反しないので、現行の教科書や辞典類の記述を変更する必要は一切ない。高校の物理教育が混乱することもなかろう。抗力が仕事をするのを妨げているのは、抗力についての先入観だけである。抗力説を否定する理由がほかにあれば、ぜひご教示願いたい。先入観から解放されたとき、力学についての新しい知見が生まれよう。
難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く ― 井上ひさし
抗力と仕事を巡る今回の論争に賛否両論のご意見を寄せて頂いた多くの方々に感謝したい。賛成意見に勇気づけられ、反対意見によって議論を深めることができたからである。これでやっと劇作家の井上ひさし氏の言葉を物理教育で実践できたように思えてきた。
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