日本物理学会の「岩盤規制」

 静止した床からの抗力や、天井の固定点から吊るした糸の張力など、作用点の動かない力、いわゆる束縛力も仕事をすることができるという筆者の主張(1,2)に、日本物理学会の「岩盤規制」が立ちはだかっている。そのため、「物理学会誌」や「大学の物理教育」に投稿しても、門前払い同然の回答であった。しかし、力学の基本原理はニュートンの運動法則であり、それ以外の何物も古典力学に規制を加えることはできない。 物理学会がこれまで掲載拒否の根拠としてきた「岩盤規制」の項目の一つ一つが妥当か否か、運動法則に照らし合わせて見てみよう。

規制1. 束縛力は仕事とは無縁の静力学において力のつり合いを説明するために導入された力であり、束縛力が仕事をすることはない。

 束縛力は動力学にも登場する。運動の基本法則であるニュートンの三つの法則は作用力とその反作用力の、どちらがどうかを区別していない。束縛力と非束縛力との区別もしていない。

規制2. 理化学辞典の仕事の定義は力と作用点の変位の積であり、作用点の変位しない束縛力は仕事をすることはできない。

 高校物理教科書には、どの教科書にも、仕事は力と物体の移動距離の積として定義されている。物体に外力が働き、物体が動けば、働いた力が束縛力か非束縛力かに関わらず力は仕事をする。

規制3. 教科書は初心者にも分かり易いように厳密さを犠牲にして記述されている。厳密かつ、唯一の仕事の定義は、理化学辞典の記述である。

 言葉を定義する意義は、他の言葉と明確に区別し、 無用な混乱を避けるためである。易しく記述しても作用点の変位と物体の移動距離とは一般には異なる。これは力学以前の国語の問題であるが、高校生の国語力でも理化学辞典の記述が理解できないとは思えない。高校生は理化学辞典でなく教科書で物理を学ぶ。大学教員も教科書の記述を参考にして入試問題を作成する。教科書で定義されている仕事は、外力が系の並進運動にする仕事であり、理化学辞典で定義されている仕事は、外力が系全体にする仕事である。

規制4. 車が道路を走ることができるのは道路からの水平抗力が仕事をするからではなく、抗力の力積によって車に運動量が生じるからである。車に仕事をするのは抗力でなく車のエンジンである。

 並進運動については、その運動量もエネルギーも並進運動の運動方程式から導かれる。並進運動の運動方程式に、エンジンの力は現れない。運動方程式を時間で積分すれば、抗力の力積から運動量が得られ、重心座標で積分すれば、抗力の仕事から並進運動のエネルギーが得られる。

規制5. 1980年代にアメリカで提唱された(3)などの一連の論文よれば、外力と重心の移動距離との内積はpseudo workであり、real workは力と作用点の移動距離の積でなければならない。

 この論文こそが物理学会の岩盤規制のもととなった元凶である。それらの論文は抗力が仕事をしないことを前提として議論している。その前提を認めると、高校の教科書で定義されている仕事はすべてがpseudo workになってしまう。力学はニュートンファーストであり、アメリカファーストではない。  

規制6. 車はエンジンが仕事をするから走る。道路からの抗力は束縛力であり、それが仕事をするなら、エネルギーの保存則が成り立たない。

 エネルギーの保存則も運動量の保存則も運動法則から導かれる。運動法則に反しなければ、エネルギー保存則に反することはない。エンジンは車の並進運動に仕事をするのではなく、車の駆動輪の回転運動に仕事をしている。駆動輪の回転のエネルギーが並進運動に分配されるには、水平抗力のする仕事が必要となる。そのとき、駆動輪に働いている水平抗力は、駆動輪の回転運動に負の仕事をし、並進運動に正の仕事をするので、エネルギー保存則には反しない。束縛力が仕事をして困ることは何もない。 

 日本物理学会の「岩盤規制」、それは束縛力が仕事をすることはないという「先入観」である。既成概念から抜け出したとき、新しい知見が生まれる。→ブランコとボタフメイロ 

  1. 後藤信行:「蜘蛛の糸」仕事をしたのはカンダタの筋力か? 日本物理学会誌2016年2月号談話室
  2. 後藤信行:吉岡大二郎氏のコメントに対する返答  日本物理学会誌2016年9月号会員の声
  3. Bruce Arune Sherwood: Pseudowork and real work American Journal of Physics 51,597(1983)

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