物理教育のアンタッチャブル領域

 禁酒法時代のシカゴ、暗黒街を支配するアル・カポネに、敢然と立ち向かう特別捜査官の活躍を描いたケビン・コスナー主演のアンタッチャブルという映画があったが、物理教育にも、日常のありふれた力学現象にニュートンの運動法則を適用してはならぬという不条理な掟が存在していたとは驚きである。掟に背き、抗力が仕事をすると言えば、嫌悪感露わにそっぽ向かれ、また、学会誌に何度投稿しても、抗力のする仕事は、仕事に似て仕事と考えてはいけないPseudoworkであり、真の仕事でないとの掲載拒否の返答が送られてくる。

 運動方程式から導かれることが間違いだとは、狐につままれた思いだが、力学的エネルギーが、一つの運動から他の運動へ伝達されるしくみを、抗力のする仕事として説明してはならないなら、Pseudoworkなる謂わば仕事の亡霊がエネルギーを伝えているのだろうか。物理教育学会にも、首相官邸と同じく都市伝説が存在しているようだが、ニュートンのプリンキピアから300年以上経過した現在に、古典力学に正体不明の仕事が入り込む余地はなかろう。亡霊の出るというアンタッチャブルゾーンに踏み込み、敢えてそこにニュートンの運動法則を適用してみよう。

 抗力はその作用点が動かないので、系にエネルギーを供給することができないのは確かだが、だからと言って抗力は一切仕事をしないと考えるのは短絡的である。動力源が系の外部に存在しようと、系の内部に存在しようと、動力源が仕事をして、系は力学的エネルギーを得る。しかし、そのエネルギーが系の並進運動と、それ以外の回転運動または変形運動とに適正に配分されるには抗力のする正負同時一対の仕事が必要になる。抗力のする仕事を何と呼ぶかはさておき、それは亡霊などの仕業ではなく、力学にとって必要不可欠な真の仕事である。 

 剛体の運動は、並進運動(重心運動)と重心のまわりの回転運動とに分解することができる。それについては誰も異存はないだろう。空中に投げ出された物体は、回転しながら、その重心が放物運動をするが、空気の抵抗がなければ、重心運動と回転運動とは連動せず、両者の間にエネルギーのやり取りはない。しかし、ローラーに力を加えて引っ張るとき、あるいは球や円柱が重力を受けて斜面を転がり落ちるとき、地面から受ける水平抗力は、重心運動と回転運動の両方に関わり、二つの運動は独立ではなく互いに連動し、運動方程式は連立方程式となり、二つの運動の間にエネルギーのやり取りが生じ、抗力のする仕事が必要になる。それが運動方程式によって説明できなければ、方程式の存在理由がなくなる。

 系外に動力源はなく、動力源が系内のみに存在する場合は重心の運動方程式に現れる外力は抗力だけである。人が屈んだ状態から立ち上がるとき、人を一つの系とみなせば、系自身が動力源である。そのときも地面から受ける抗力は、人の重心運動と、人の変形運動の両方に関わっているが、外部の動力源が円柱を転がす場合とは異なり、今度は 動力源まで含めた系の変形運動 に対する運動方程式を数式化することは困難である。少なくとも力学の範疇では不可能である。しかし、重心の運動方程式は明確に記述できる。重力に逆らって系の重心を持ち上げる外力は床から受ける抗力以外に存在しない。

 もし、無重力空間の宇宙ステーションのなかで宇宙飛行士が他から力を受けなければ、飛行士の重心運動と変形運動とは独立であり、飛行士がいくら手足を動かしても、その重心は静止したままか等速度で運動するだけである。飛行士が宇宙船の一部に触れ、抗力を受けると、重心運動と変形運動とが連動し、宇宙船から受ける抗力は飛行士の変形運動に負の仕事をし、飛行士の重心運動に正の仕事をする。

 車や自転車が走るときも、道路からの抗力が働かなければ、いくらアクセルやペダルを踏んでも、駆動輪が回転するだけである。そのエネルギーを並進運動に伝えるために、道路からの抗力は駆動輪の回転運動に負の仕事をして重心運動に正の仕事をしている。

 抗力が仕事をすることを避けるための工夫がこれまでいろいろなされてきたが、いずれも動力源がする仕事だけでは無理がある。あとで具体例、図3と図6で示すが、重心の運動方程式に現れる外力は抗力も含めてすべて重心に働いていると考えることができる。抗力のする正負同時一対の仕事は、ニュートンの運動法則を素直に解釈すれば自然に導かれる仕事である。抗力が仕事をしても運動法則に反しない。高校物理教科書に定義された仕事は重心運動の運動方程式に基づいた仕事であり、その定義を変えることも、その解釈を変える必要もない。

 無法地帯を牛耳るカポネを逮捕・収監し有罪に追い込んだ映画の主人公のように、物理教育からpseudoworkを一掃し、ニュートンの運動法則に基づいた抗力のする正負同時一対の仕事と、取って変えることができるか、それとも意気込みだけで腰砕けに終わるか、今がその正念場。以下に、抗力の仕事について、これまで本ブログで議論してきたことを、図と簡単な説明を羅列して、もう一度振り返っておくことにしよう。

図1

図1 円柱の転がり運動: Tは重心運動に正の仕事をする。Fは重心運動と回転運動の両方に現れ、重心運動に負の仕事をするとともに、回転運動に正の仕事をすることによって、Tの仕事によって得られたエネルギーを重心運動と回転運動とに再配分する。

     図2

図2 転がり運動の分解と各点の速度: Fの作用点Pは転がり運動では動かない。しかし、転がり運動を二つの運動に分解したとき、P点は並進運動では右向きに動き、回転運動では左向きに動く。

図3

図3 抗力の分解: 転がり運動に働く力を二つの運動に配分する。ただし、Q点にも互いに逆向きの力が働いているとする。配分した結果は、並進運動に対しては重心にT、P点とQ点にのそれぞれにF/2が働くが、これは重心にFが左向きに働くことと同じである。つまり、重心にはTFが働く。そして、回転運動にはFrのトルクが回転の向きに働いている。

図4

図4 固定軸のまわりの回転: 図1の転がり運動に対する運動方程式は連立方程式になるが、さきに連立方程式から抗力Fを消去すると、rT=(I+Mr2)dω/dtとなり、両辺にωdtを掛けるとエネルギーは図1のエネルギーと同じになるが、図1のエネルギーを説明したことにはならない。図1と図4とは異なる運動であり、抗力も、その大きさも役割も異なり、前者では回転運動に仕事をするが、後者では固定軸のまわりの回転の遠心力と釣り合っているだけで仕事はしない。

 以上の問題は何も考えず運動方程式をつくり、あとは数学に委ねればよい。数式を用いず思考することは大切であるが、考えるなら深く考えなければならない。中途半端に考えて、抗力は一切仕事をしないと考えてしまうと、運動方程式と矛盾する結果となり、抜き差しならぬ状態に陥り、否応なしに都市伝説を受け入れざるを得なくなる。しかし、徹底的に深く考えれば、pseudoworkなどは現われない。

 転がり運動において抗力は二つの運動に正と負の仕事を同時にしているが、懸垂や自転車のように、動力源が系内に存在する場合も同様である。その場合は、重心運動の運動方程式しか作ることができないが、抗力は、今度は系内の動力源から得られたエネルギーを、重心運動と変形運動とに正と負の仕事をすることによって、二つの運動にエネルギーを配分する役目をしている。以下にそれを示そう。

 図5

図5 懸垂:人の体の全重量を引き上げている力は、鉄棒から受ける抗力Fかそれとも、腕の付け根が肩の関節に及ぼす力FSだろうか。Fの作用点は動かないが、 FS の作用点は動く。しかし、FSが引き上げているのは人の全重量でなく腕の重さを除いた重量である。

 図6

図6 力の作用点の移動:Fと大きさが等しく、互いに逆向きの力F1F2とを重心に加えても変わらない。FF2は、腕を縮めようとする変形運動に対して、それを妨げる応力として働くが、重心運動には、影響しない。残りの力F1が重心を引き上げる。Fが変形運動に負の仕事をすることによってF1Fに取って代わり重心運動に仕事をすることができる。つまり、Fの作用点を重心Gに移すことができる。ただし、作用点を移し、重心運動に仕事をすると考えるには、同時にFは変形運動にも負の仕事をすると考えなければならない。 

 図7

図7 自転車の加速: 人の筋力が後輪の回転運動に仕事をして後輪の回転の運動エネルギーが増す。道路から後輪に進行方向に働く水平抗力が後輪に負の仕事をし、同時に系の重心運動に正の仕事をして、重心の運動エネルギーが増す。重心の運動エネルギーが増すと、前輪に道路から後ろ向きの力が働く。fが重心運動に負の仕事をすると同時に前輪の回転運動に正の仕事をする。 

 まだまだ抗力のする仕事の例は周りを見ればいくらでもあり、Pseudoworkなる都市伝説は必要ない。初等力学にニュートンの運動法則が適用できないアンタッチャブルゾーンは存在しない。

図8

図8 回転しているボールのバウンド: 地面から受ける水平抗力Fはボールの回転運動に負の仕事をして、重心運動に正の仕事をする。 

図9

図9 潮汐摩擦のする仕事:作用点が動くので抗力ではないが、海水と海底との間の摩擦は地球の自転運動に負の仕事をし、月の公転運動に正の仕事をするので、地球の自転は遅くなり、月は遠ざかる。このとき、エネルギーは保存しないが、地球の自転と月の公転の角運動量の和は保存する(秋の夜長の月物語)。

 車のエンジンや人の筋力など、動力源が力学的エネルギーを生み出し、それを系に供給することだけを仕事をすると呼ぶべきなら、逆に系全体のエネルギーを消費している潮汐摩擦が公転運動に仕事をすると言ってはならないのだろうか。

 光は粒子か、それとも波か、量子力学の世界には、どちらも正しいという第3の選択肢が存在したが、地球は動いているかいないか、抗力は仕事をするかしないか、古典力学の世界に第3の選択肢は存在しない。 

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