歴史にifが許されるなら

 江戸時代、日本では便所から汲み取られた糞尿が畑の近くに作られた肥溜めで有機肥料として上手に処理されていたのに比べ、当時のヨーロッパには、ほとんどトイレがなく、糞尿の処理に困り、パリのような大都市では道路に捨てられていたという。
 当時のパリの状況は、ビクトル・ユーゴのレ・ミゼラブルにも描かれているが、捨てられた糞尿が下水道を通して、セーヌ川に流れ、パリにはひどい異臭が漂い、疫病が大流行したという。
 パリの日常を描いた「巴里の空の下セーヌは流れる」というフランス映画がある。そのテーマ曲パリの空の下はシャンソンの名曲となっているが、ビクトル・ユーゴの時代にはパリの空の下には糞尿が流れていたようである。衛生状態の悪さが民衆の不満を募らせ、それがフランス革命の一因になったとも言われているが、その時代に、フランスは奇しくも同じ年に若い二人の天才を失っている。
 一人は熱力学の発展に多大な貢献をしたカルノーであり、コレラにかかって36歳で没している。そして、もう一人は、群論の基礎を構築した数学者のエヴァリスト・ガロアであり、パリ7月革命後の混乱のさなか、20歳の若さで決闘によって亡くなっている。
 その年、1832年はフランスのみならず、世界の学界にとっての厄年となったが、もし、当時のパリが、日本のように、ポッチャン便所や肥溜めによって、糞尿の処理が衛生的になされていたなら、コレラの流行ははなく、フランス革命も起きず、彼らは生きながらえ、もっと多くの功績を残していたかも知れない。
 しかし、彼らが、その短い一生のなかで、先鞭をつけた熱力学や群論は、歴史にifがあろうとなかろうと、彼らの悲運な最後とは無関係に、物理学や数学にとどまらず、これからも、さまざまな分野に浸透し応用されていくことは確かであろう。(参考:ポッチャン便所からの熱力学
 中学の授業に、職業家庭という科目があった。教室での授業のほかに、男女別々での実習があり、女子生徒がおはぎなどを作っている時間、我々男子生徒は学校のトイレ(当然、ポッチャン便所)の肥汲みだった。
 筑後平野の畑に囲まれ、その所々に肥溜が作られていた農村地帯でのことだが、その後、バキュームカーが現れ、やがて水洗トイレが普及し、中学時代の貴重な体験学習も、幸か不幸か、筆者にとって、実生活で役立つ機会はなかった。

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