水滴と豆腐
テーブルの上に小さな水滴を落とすと、水滴は広がらずに盛り上がった状態で安定する。水滴に働く重力と水滴の表面張力が釣り合うためだが、コップ一杯の水をテーブルに落としても、盛り上がった大きな水滴はできない。
最近では、豆腐は、一個ずつ、水の入ったパック容器に入れて売られているが、昔は豆腐が壊れないように、水に浮かべて売られていた。豆腐を高く積み重ねようとすると、豆腐はその重さによって壊れてしまうからである。また、身の丈ほどの大きな豆腐を作って、巨大な皿の上に置こうとしても、豆腐自体の重みのため、その形状を維持することはできない。
長さのスケールを変えると、密度が一定なら、質量は長さの3乗に比例する。水滴や豆腐を大きくすると、それに働く地球の重力は質量に比例して大きくなるので、その重力を支えるための力も長さの3乗で大きくならなければならない。水滴に働く表面張力は長さの一次でしか大きくならないし、豆腐の強度は水平方向の断面積に比例するので、長さの2乗でしか大きくならない。水滴や豆腐のスケールを大きくすると、表面張力や強度では、その重力を支えられなくなるのである。
毛細管現象は水とガラスの付着力と表面張力が細管の水を引き上げるために起こる。水を引き上げる力は細管の円周に比例するので、細管の半径 に比例する。一方、引き上げられた水柱の重さは細管の断面積とその高さの積に比例する。つまり、毛細管現象の水柱の高さは細管の半径に反比例することになる。
パチンコ玉
やわらかい豆腐では大きなものは作れないが、かたいパチンコ玉ならどんな大きさでも可能だろうか。今や30兆円産業とも言われる巨大産業となったパチンコだが、朝から晩まで、台の中で弾き飛ばされながら、パチンコ玉は30兆円もの分、何を産み出しているのだろうか。
無駄に電力を浪費しているだけにしか思えないが、パチンコ玉の材料である鉄は宇宙に最も多く存在している元素である。いろんな元素の中で、鉄の原子核は、1核子当たりの結合エネルギーが最大である。核子、つまり、陽子と中性子の数が鉄より多い元素は崩壊する傾向にあり、鉄より少ない元素は融合する傾向にある。鉄の原子核はそれ以上融合も分裂もしないから、鉄の元素が宇宙にもっとも多くなったのである。鉄の原子核は核エネルギーを持たない最も安定な原子核である。
地上の重力場のなかの水滴や豆腐には、その大きさに限度があるが、硬い上、安定な原子核を持つ鉄でできたパチンコ玉ならば、いくらでも大きなパチンコ玉が造れるだろうか。砲丸投げの鉄球ぐらいなら、重さの違いはあっても、本質的にはパチンコ玉とたいした違いはないだろう。しかし、質量が地球程度のパチンコの玉となると、もはや宇宙空間に浮かべるしかない。宇宙に浮いた巨大パチンコ玉には他からの重力は働かなくても自らの重力のため、その内部は、もはや結晶構造を維持できないだろう。さらにもっと質量の大きい、太陽ぐらいの質量を持つパチンコ玉を作ったとしたらどうなるだろうか。
巨大な球の重力を支えるには、それ相応の内部の圧力が必要になる。太陽は核融合のエネルギーを発生させることによって、重力を支えるための圧力を維持しているが、核融合のエネルギーを持たない宇宙のパチンコ玉は、自らの重さを支えることができず、その大きさを維持することができなくなる。最も安定な原子核を持つ鉄からなる巨大球は、重力に対しては最も不安定な球となる。
井の中の電子は力持ち
太陽も核融合のエネルギーを使い果たすと、巨大なパチンコ玉のように自らの重力を支えきれなくなり、中心部は収縮する。その際、収縮によって重力のエネルギーを放出するため、外延部は一旦膨張するが、最終的には地球と同じくらいの大きさまで収縮して白色矮星となる。白色矮星の内部では、原子の状態を維持できず、原子核と電子がばらばらになったプラズマ状態となっている。
白色矮星は太陽程度の大きさの恒星の死後の墓標とも言うべき星だが、収縮し、高密度となった白色矮星の重力を支えるには、さらに強力な圧力が必要となる。すでに核融合のエネルギーを使い切ってしまった白色矮星は、自らの重力を支えるための圧力をどのようにして生じさせているのだろうか。
たいていの量子力学の教科書では、最初の演習問題として、井戸型ポテンシャルが登場する。電子を有限な領域に閉じ込めると、電子のエネルギーは連続でなくなり、不連続な準位となる。さらに井戸型ポテンシャルの領域が狭くなるほど、そのエネルギー準位のエネルギー間隔は、広がることがシュレーディンガーの波動方程式からも、ハイゼンベルグの不確定性原理からも導かれる。
井戸型ポテンシャルのエネルギー準位に、エネルギーの低い準位から電子を詰め込んでいくと、電子はフェルミ粒子であるから、ひとつのエネルギー準位には、スピン量子数が上向きと下向きの最大2個の電子しか収容できない。そのため、電子系のエネルギーは井戸の体積が小さくなるほど増大する。
井戸型ポテンシャルの体積変化をdv 、その時の電子系のエネルギー変化をdE 、電子系の圧力をp とすると、dE=-pdv が成り立つ。dv<0 のとき、dE>0で あるから、p>0 となる。これは電子系を押し縮めようとする力に対して電子系は反発することを示している。これを電子系の縮退圧という。白色矮星は自らを縮めようとする重力と、プラズマ状態の電子系の縮退圧とが釣り合っている星である。
質量が一定のままで星が収縮すると、星の重力を支えるのに必要な圧力は星の半径のマイナス4乗に比例して大きくなる。それに対して、電子の縮退圧は星の半径のマイナス5乗に比例して大きくなる。核融合のエネルギーを失った星が収縮すると、押し潰そうとする重力よりも電子の縮退圧のほうがより急激に大きくなるので、ある一定の大きさまで収縮すると、縮退圧によって重力を支えることができ、その大きさを保つことができる。しかし、さらに重い星が核融合のエネルギーを使い果たすとどうなるのだろうか。
超新星爆発
1930年の夏、物理学を学ぶため、故国インドを離れ、単身英国へ向かう一人の青年がいた。19歳の彼はその船の上で計算を行い、質量がある一定の限界値を超えた星では、相対論的な効果が無視できなくなり、電子の縮退圧でも星の重さを支えることができなくなることを示した。この青年の名前はスブラマニアン・チャンドラセカール、星の終焉に関して画期的な理論を展開した天体物理学者である。
質量が一定以上の星では、相対論的効果が大きくなる。古典論では電子のエネルギーは運動量の2乗で増えるが、相対論では運動量の1次でしか増えなくなる。これから、質量の大きな星では、星が収縮したとき、電子系の縮退圧も半径のマイナス4乗でしか増えなくなることが導かれる。そのため、星がいくら収縮しても電子の縮退圧では星の重さを支えることができなくなる。その星が核融合のエネルギーを使い果たすと、星は、もはや白色矮星としてとどまることができず、自らの重力によって星の中心部は原子核どうしがくっつきあうまで、一気に押し潰されることになる。
このとき、一気に開放される莫大な重力のエネルギーのため、星の表層部分は衝撃波によって外へ吹き飛ばされ、膨張星雲となり、その中心には押し潰された中性子星が残る。これが超新星爆発である。中性子星はそれ自体が中性子からなる巨大な原子核とみなすこともできる。
さらに質量の大きな星では、その終末の姿はどうなるだろうか。重力は中性子の縮退圧をも押し潰し、クォーク・スターとなるのだろうか。自然界には基本的な四つの力が存在する。クォークどうしを結びつけ核子をつくっている強い力、物質の結晶構造を維持している電磁気力、ベータ崩壊を引き起こす弱い力、そして重力である。重力はそのなかで最も弱い力だが、宇宙のスケールでは、重力のみが加算されて巨大となり、他の力を凌駕する。
核融合のエネルギーを持たないパチンコ玉は、その質量が大きくなるに従い、結晶、原子、原子核、核子、クォークと続く物質の階層構造を押し潰すことになろう。星の終末の姿は、星の質量が増すごとに、白色矮星、中性子星、クォーク・スターと奈落の階段を下りていき、最後にはブラックホールへと辿りつくのだろうか。
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