物体には質量や慣性があるのに対し、熱には、それに相当する量や性質はないが、物体と熱の移動には類似点が存在する。熱力学を学んだことのない中学生が日常の熱現象を理解する手助けになればと、目に見えない熱の移動を物体の落下運動に準えて考えてみた。
図1のように、すっとびボールと呼ばれるおもちゃがある。それを一定の高さから床に落とすと、一番上の小球だけは本体から離れ高くまで跳ね上がり、小球以外の本体は床に落ちたままである。小球は、すっとびボール全体が最初に持っていた位置エネルギーを独占することによって、最初の高さより遥かに高くまで跳ね上がる。
一般に、物は高い所から低い所に向かって落ちる。静止していた物全体が、ひとりでに、より高い所に移動することはありえないが、すっとびボールのように、工夫すれば、物が落ちるとき、物の一部を、最初の高さより高くまで移動させることができる。
図2は、三角形の面積を求めるヘロンの公式で知られる数学者であり、発明家でもあったヘロンが約2000年前に考案した噴水である。上中下の3段に分かれた部屋が管によって繋がっている。上段に水を注ぐと、それは管を通して下段まで流れ落ち、下段の水面が上昇すると、下段の空気が圧縮されるとともに、中段の空気も圧縮され、その圧力によって中段の水面が押し下げられ、上段の水面より高くまで噴水が上がるしくみになっている。上段の水が下段に移動しなければ、中段の圧力は大きくならないので噴水は生じない。すっとびボールもヘロンの噴水も下へ落下するときの力を利用して、一部を最初の高さより高くまで上げている。
物も水も、エネルギーなしでは、全体を低い所から高い所へ移動させることはできないが、その一部なら、最初の高さより高くまで移動させることができる。それなら、熱でも同様なことが可能ではないだろうか。つまり、熱が高温部から低温部に向かって流れるとき、その熱の一部を最初の温度よりさらに高い高温に移動させることはできないだろうか。
物が高度差に逆らって移動するのと、熱が温度差に逆らって移動するのは、全く異なる現象であるが、図3のように両者を同じ図を用いて比較しながら考えてみよう。
物の移動の場合、①は不可能だが、②や③はエネルギーの保存則に反しない範囲で可能である。温度を高さに準え熱量を質量に準えると、熱現象の場合も、①は不可能だが、②や③は可能になる。ここで、図3における矢印の太さは、移動する物の質量、または移動する熱の熱量を表すとしよう。①は、物の場合には、物が外部から仕事をされることなく、位置エネルギーを増すことになり、エネルギー保存則に反するので不可能である。また、①を熱が低温から高温へ移動する場合の図だとすると、移動する熱量は変化ないのでエネルギー保存則には反しないが、クラウジウスの原理に反する。ここでクラウジウスの原理は
他に痕跡を残さず低温から高温に熱を移すことはできない
と表現されるが、クラウジウスの原理は、他に痕跡を残すなら、低温から高温への熱の移動を禁止してはいない。他に痕跡を残さず低温から高温に熱を移す①は禁止されるが、他に痕跡を残す②や③では、低温から高温へ熱が移動できる可能性が残されている。②が可能であれば、高温の臍から低温の環境に熱を移動させるとき、臍から出た熱の一部を臍より高温の茶に移動させ得ることを意味する。ここで、仕事や電力量を、極めて高温の熱、つまりエクセルギー率の高いエネルギーと考えれば、臍と環境との温度差で発電し、その電力で臍より高温の茶を沸かせばよい。また、③は電力などのエクセルギー率の高いエネルギーを少量だけ用いて低温から多くの熱を環境に汲み上げることができることを示している。つまり、ヒートポンプのしくみである。
熱現象としての②や③を簡単に実現させるしくみの一つとしてペルチェ素子がある。その両面に温度差を与えれば、ゼーベック効果で発電し②が実現できる。臍と環境との温度差によって発電し、その電力によって原理的には熱い茶が沸かせることになる。ペルチェ素子に電流を流せば③が実現でき、ヒートポンプとなる。
ヒートポンプは日常の生活において、エアコンや電気冷蔵庫で実現されているが、昔はガスを燃やして庫内を冷やすガス冷蔵庫があった。現在でも冷房に、一部ではガス冷房が使用されている。また、特殊な例としては、音のエネルギーで冷やす音響冷却や、レーザーを用いて物質の温度を限りなく絶対零度に近づけるレーザー冷却もある。いずれも③の模式図で示されるヒートポンプである。
備中高松城を水攻めにして鳴かぬホトトギスを無理やり鳴かせ、戦国の世を、すっとびボールのように駆け抜け、並み居るライバルを蹴落とし、ついには天下人にまで上り詰めた、あの御仁と雖も、懐で草履を温めることはできても、臍で茶を沸かすことはできまい。草履を温めるのに科学は必要ないが、産業革命以来、急速に発展してきた科学技術は、臍の熱で臍より熱い茶を沸かすことも、臍の熱で水を冷やして氷を作ることも可能にした。しかし、科学技術を用いれば、何でも可能だと錯覚してはならない。物でも熱でも①は不可能であり、それは第一種であれ第二種であれ、永久機関をつくることはできないことを示している。科学技術は②や③を可能にしたが、その際、環境にその痕跡を残すことになる。
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