「あたりまえ体操」が当たり前になる日?

 日常体験する、一見、当たり前と思える現象に、意外な真理が隠されていることがある。お笑いコンビcowcowの「あたりまえ体操」も、地上では当たり前でも、局所慣性系である宇宙ステーションのなかでは、右足出して左足出すだけでは歩けない。それが地表でなら、なぜ、当たり前に歩けるのだろうか。その理由を説明できたとき、初めて「あたりまえ体操」は、文字通り当たり前になろう。

 人が歩けるのは、人の足が地面を後ろ向きに蹴り、その反作用として人の足の裏が地面から前向きの力を受けるからだと、昔、小学校の理科の時間に習った。それでは地面から押されて人は歩いているのかというと単純にそうだとも言えない。地面は動いていないからである。しかし、抗力がなければ人は歩けないのも事実である。動かない地面から受ける力、抗力は人が歩くのにどのような役割をしているのだろうか。

 地表では地面から受ける力がいかに重要であるかは、短距離競争の歴史にも見られる。勝負の行方を大きく左右する短距離のスタートも、昔はマラソンと同じく立った状態からのスタートだったが、現在ではスターティングブロックを用いたクラウチングスタートになっている。戦前、暁の超特急の異名をとった吉岡隆徳選手が、当時の世界タイ記録10秒3で100mを走ったとき、まだスターティングブロックはなく、スタートのとき、足が後ろに滑らないようにグランドに穴を掘ってのクラウチングスタートだったという。

 選手がスターティングブロックを後ろに蹴ることによって、選手の重心運動は、運動量とエネルギーを得ている。足がブロックから受ける抗力は、その力積によって選手の重心運動に運動量を与えるとともに、その仕事によつて、重心運動に力学的エネルギーを与えている。ただし、運動量については、足がブロックを蹴る力がグランドに後ろ向きの運動量を与え、その反作用力である抗力が選手の重心に進行方向の運動量を与えるが、エネルギーについては、抗力が人体の変形運動に負の仕事をし、同時に、重心運動に正の仕事をしている。

 自転車に乗って道路上を加速するときも、それと同じである。図のように車輪のタイヤには道路から水平抗力が働く。後輪のタイヤに働く抗力Fは進行方向に向き、前輪のタイヤには、わずかながら後ろ向きの抗力fが働く。自転車のスタンドは、今は片足スタンドが多いが昔は両立スタンドであった。スタンドを立てた状態では、後輪は地表から浮いていて、その状態で自転車に乗ってペダルを踏むと、後輪が回転するだけで、当然自転車は進まない。人の筋力は後輪の回転運動に対して仕事をすることができるが、後輪が道路から抗力を受けなければ、自転車を加速できない。通常の走行状態において、後輪が道路から受ける抗力Fは人と自転車からなる系の並進運動を加速するとともに、後輪の回転運動に対しては、逆向きのトルクとして働いている。Fは後輪の回転運動に負の仕事をすることによって、系の並進運動に正の仕事をしている。つまり、抗力Fは、道路ではなく、後輪の回転運動をエネルギー源として、並進運動に仕事をする。並進運動のエネルギーが増すと、今度は前輪に抗力f が後ろ向きに働く。fは並進運動に負の仕事をして、前輪の回転運動に正の仕事をする。

 あたりまえ体操も短距離選手のスタートも自転車も、高校物理で習う古典力学を正しく理解していれば当たり前に説明できる。それでも、抗力の仕事を認めたくない一部の物理教育関係者は、今度は攻撃の矛先を高校の物理教科書に向け、教科書に定義されている仕事は、質点に対する仕事だとか、仕事と考えてはならない仕事だとか、運動方程式を重心座標で積分してはならぬとか、禅問答まがいの議論を繰り返すだけである。長い歴史を持つ高校物理教科書に八つ当たりして、その内容を変更すれば、高校物理は混乱し、あたりまえ体操が当たり前になる日は来ないだろう。



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