光時計

 振り子の等時性を利用して振り子時計が作られているように、時計を作るためには、周期が一定な何かの往復運動を利用すればよい。二つの鏡を一定の距離だけ離して鏡の面を平行に向い合せに置き、その間を光のパルスを往復させる。往復に要する時間は一定の筈である。こうして作った時計を光時計と呼ぶことにしよう。
 全く同じに作られた二つの光時計を二つの慣性系に置いてみよう。例えば、一つを地表に固定し、もう一つを、等速度で動いている電車の中に固定しよう。普通の電車の速度はせいぜい時速 100km程度であるが、ここでの電車の速度は光速に比べても無視できない速さだとしよう。この場合、どちらの光時計もその光軸が鉛直になるように固定する。どちらの光時計も、そっくり同じに作られているので、光のパルスが一往復する時間はひとしく、どちらも同じように正しく時を刻むはずである。
CCI20130807_00002 しかし、地表に静止した観測者から電車の中の光時計を見ると、図のように、光のパルスの進行方向は鉛直でなく斜め方向となり、光のパルスが鏡の間を往復するのに進む距離は、地表に置かれた光時計の往復距離より長くなる。光速はどのような慣性系から見ても同じでなければならないので、地表から見た電車の中の光時計のパルスが往復する時間は、地表の時計の往復時間より長くなければならない。即ち、地表の観測者からすれば、電車の中の光時計はゆっくり進むことになる。
 動いている時計が遅れるのは、地上に静止した観測者にとっての話である。電車の中の観測者にとっては、電車のなかの光時計の進みは正常であり、電車の中のあらゆる種類の時計は一致して、正常に時を刻んでいる筈である。そして、逆に列車のなかの観測者からすれば、地上に置かれた時計は、その観測者に対して運動していることになるから、やはり、ゆっくり進むことになる。電車と地表は異なる慣性系であるが、それらは同等だからである。
 電車の速度をさらに大きくすると、地表から見たとき、電車の中の光時計のパルスが鏡面間を往復するために進まなければならない光路の長さはますます長くなり、往復するのに非常に長い時間がかかることになる。もし、電車の速度を光の速度に極めて近づけることができたなら、光のパルスは何時までも時計の一方の鏡にへばりついたままの状態になって、電車の中では時間が殆んど経過しなくなってしまうことになる。
 地表の観測者にとつて電車の中の時計の動きがゆっくりとなるのは時計の種類によるものではない。地表の観測者から見れば、電車の中では、振り子時計の振り子の運動も、腕時計のテンプの運動も、クオーツ時計の水晶振動子の振動も、さらに時計のみならず、あらゆる運動が地表の運動に比べゆっくりとなるのである。地表の観測者にとつて、電車の中の乗客の腕時計も、乗客の仕草も、心臓の動きも、さらには脳細胞の働きも、電車の中の全ての動きが殆んど止ってしまうことになる。しかし、乗客には、電車の中の出来事は何も不思議に思えず、逆に車窓から見た地上の出来事に奇妙な光景を目にするだろう。

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