一般の常識と力学の常識

 筆者が長崎大学の教養部で物理の授業を担当していた頃、気になっていた疑問があった。当時、教養部学生の物理離れが問題になり、筆者は、その対策として物理の講義に、文学や日常の身近な現象を取り入れることを模索していたが、身近な現象を明快に説明する、これが思いのほか難しい。

 その一つ、物語の主人公が蜘蛛の糸や豆の木を登るとき、仕事をしたのは何か、主人公の筋力か、それとも彼らの手足が、蜘蛛の糸や、豆の木から受ける上向きの力だろうか。長い間抱き続けていた疑問を、あるとき、大学の談話室で同僚との茶飲み話として問いかけてみた。

 筆者は、主人公が受ける重力以外の外力は、蜘蛛の糸の張力や、豆の木から受ける摩擦力だから、仕事をしたのも、張力や摩擦力などの上向きに働く束縛力だと考えていたが、筋力説を主張する同僚もいて、意見は二分し決着はつかず、やがて、教養部は廃止され、新設された環境科学部に移り、そのまま定年退職を迎えることになった。

 長崎大学を退職後、終活のために墓石がわりのホームページを造ることにしたが、同僚との昔の議論を思い出し、それを数年前に日本物理学会誌の談話室の欄に投稿した。 結果は会誌編集委員会とのスッタモンダのやりとりはあったが、掲載して頂くことになった (日本物理学会誌2016年2月号)

 会誌が発行されると、大学物理教科書を数多く著されている原康夫氏から早速メールが届き 、これは既に30数年前にアメリカで発表された論文に議論されていることを教えて頂いた。それは、Bruce Arne Sherwood, Pseudowork and real work,Am.J.Phys.Vol.51(1983)である。

  論文の内容を要約すると、「①仕事をしたのはエンジンであり、道路からの抗力ではない。②物体に働いた力の大きさと、その力の作用点の移動距離との積が真の仕事であり、力の大きさと重心の移動距離との積は、確かに車の並進運動の増分に等しくなるが、それは仕事に似て仕事ではない偽りの仕事、つまり、pseudoworkである。」というものであった。

 エネルギー源はエンジンだから、エンジンが仕事をしてエネルギーを生み出していることは明白であるが、論文の主張を認めれば、エンジンが作り出したエネルギーがどのような仕組みによって車の並進運動に配分されるかが分からない。最初から抗力は仕事をしないという前提で書かれた論文であり、エネルギー源はエンジンだと言う、ごく当たり前のことを主張しているだけというのが、この論文を読んだ時の筆者の印象であった。

 その後、原康夫先生とは何度かメールのやり取りをした結果、筆者の次のような主張を認めて頂いた。

 エンジンが仕事をするのは、車の並進運動に対してではなく、駆動輪の回転運動に対してである。エンジンが力のモーメントを駆動輪に作用させることによって回転のエネルギーが増すが、このとき駆動輪が道路から浮き上がっていれば、駆動輪が回転するだけで並進運動は起こらない。しかし、通常の走行状態では、駆動輪のタイヤと道路との摩擦によって、タイヤには道路から水平抗力が進行方向に働く。水平抗力は、駆動輪に、その回転とは逆回りの力のモーメントとして働き、駆動輪の回転運動に負の仕事をする。それと同時に、水平抗力は、回転運動に負の仕事をした分だけ、車の並進運動に対して正の仕事をして、並進運動にエネルギーが配分される。

 抗力が仕事をしてもエネルギー保存則に反しないが、筆者の主張が正しいためには、作用点の動かない抗力のする仕事は偽りの仕事ではなく、真の仕事として認知しなければならない。しかし、真か偽かの議論をするには、仕事の概念が曖昧であると議論は混乱する。仕事の議論に限らず無用な混乱を避けるためには、用いる用語を定義し、明確に他と区別しなければならない。教科書や辞典類には、仕事についてどのように定義されているかを調べてみた。

  力学の学習過程で最初に出会う高校の物理教科書には、仕事は次のように定義されている。 「物理では、物体に力を加えて、力の向きに物体を移動させたとき、力が仕事をしたという。物体に一定の大きさF[N]の力を加え、力の向きに距離[m]移動させたとき、力が物体にした仕事Wは次のように定められる。WF (仕事[J]=力の大きさ[N]×移動距離[m])」 第一学習社「基礎物理」

 他の高校物理の教科書、大学初年次用の物理教科書、広辞苑、ブルタニカ国際大百科辞典もこれと同じ定義である。この定義によって定義された仕事を仕事Aと呼ぶことにしよう。

 それに対し、岩波書店の理化学辞典には次のように定義されている。 「力学系に力Fが作用し作用点がdsだけ変位するとき、スカラー積(F,ds)を、その力が力学系になした仕事という。」 理化学辞典で定義された仕事を仕事Bと呼ぶことにしよう。もちろん、教科書にも仕事Bと同様に定義された教科書もある(Reymond A.Serway「サーウェイ基礎物理学」東京化学同人)。

 仕事Aと仕事Bとは物体が質点の場合には一致するが、物体一般に対しては両者は異なる仕事である。物体の運動に回転や変形運動が伴っていても、物体の並進運動だけを分離して考えることができる。仕事Aは物体一般について、その並進運動に対して、抗力も含めた外力がした仕事であり、それは、系の並進運動のエネルギーの増分に等しくなる。一方、仕事Bは並進運動も含め、物体に生じているすべての運動に外力がする仕事の和であるから、系全体のエネルギーの増分に等しくなる。作用点の動かない抗力は仕事Bをすることはできないが、仕事Aをすることは可能である。

 仕事Aも仕事Bも正しい仕事の定義であるが、両者を明確に区別しなければ議論は混乱する。しかし、培風館の物理学辞典(三訂版)は仕事を次のように定義し、両者を混同している。 「物体に力を加えて、物体が力の向きに移動したとき、力は物体に仕事をしたといい、仕事の量は力と移動距離の積で与えられる。 一般には、力の向きと物体の移動の方向は必ずしも一致しないので、物体または力学系に外力が作用し、作用点がdだけ変位したとき、仕事は両者のスカラー積d=Fdscosθである。」

 物理学辞典の定義の前半は仕事Aであり、「一般には」以降の記述は仕事Bになっている。仕事Aを一般化すれば、仕事Bに統一化できるかのような記述になっているが、仕事Aと仕事Bの定義を切り貼りして繋いだだけで、木に竹を接いだような意味不明な定義になっている。

 抗力は仕事をしないというのは、世間一般の常識であっても、力学の常識ではない。ニュートン力学が、その基本原理とする三つの運動法則のいずれも、外力のうち抗力だけを特別扱いしていない。抗力は作用点が動かないので正味の仕事をすることはできないが、エネルギーの配分には抗力のする仕事が必要になる。

 人の筋力が関わる日常の力学、例えばブランコの力学を説明する場合にも、人の筋力が人の変形運動に仕事をし、ブランコの張力が変形運動に負の仕事をするとともにブランコの揺れ運動に正の仕事をする。 

 

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