墓造りのすすめ

 皆様、お元気な今のうちに、ご自分の墓を造りませんか。老後の趣味としては、指先を使う陶芸や盆栽も良いでしょうが、ボケ防止に効果があり、しかもお金のかからない道楽なら、墓造りが一番だと思います。
 新聞の折り込み広告では、分譲地の墓地を購入するのに、一基数百万かかるようですが、その気になれば、驚くほどの格安な値段で墓を自作することができます。と言っても、そこいらに墓穴を掘るのではありません。また、砂漠やジャングルの中に造ろうというのでもありません。あなたのオリジナルな巨大な墓を身近で便利な広大な場所に安い値段で建設できるのです。
 信仰心のカケラもなく、前世も来世も信じない私がこんなことを申しますと、さては、年金収入だけとなって生活に困窮し、同じ年金暮らしの老人相手に一儲けを企んでいるのではと勘ぐられそうですが、今のところ、そこまでしなくても、まだ年金だけでどうにか喰っていけそうです。
 自分の墓を後世に残したいと思うのは、人間共通の願望なのでしょうか。写真はルートビッヒ・ボルツマンという理論物理学者の墓です。この写真では見にくいですが、ボルツマンの像の上に、S=klogWという短い数式が刻まれています。これはマクロな量であるエントロピーSとミクロな状態の数Wを結びつける重要な式で、ボルツマンの関係式と呼ばれています。
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 ちなみにこの写真は長崎大学教養部の物理教室で同僚だった柴田昇先生が、昔、ご夫婦でヨーロッパを旅行されたときに、奥様がウィーンのボルツマンの墓のそばで先生を写されたものです。ご夫妻ともすでに亡くなられましたが、長崎大学に赴任して以来、公私にわたって大変お世話になりました。もし、草葉の陰まで届くなら、この場を借りて改めてご夫妻にお礼を申し上げたいと思います。
 さて、ボルツマンは、原子論を取り入れた統計力学を構築し、そこから熱力学の第二法則を導きましたが、その理論の中に、当時まだ、その存在が確認されていない原子を仮定したことで、実証主義の立場をとるほかの物理学者には、彼の理論は受け入れられませんでした。その後、ボルツマンは自ら命を絶ちましたが、彼の理論に反対するライバルとの激しい論争で鬱病になったことが、原因だったと言われています。
 ボルツマンの死後、その遺言によって、この墓がつくられましたが、彼は、自分の骨を残すためではなく、心血を注いで考え出したその理論を後世の人々に伝えたくて、数式を刻んだ墓を造るよう遺言を残したのではないでしょうか。
 最近は、なるべくこどもに迷惑をかけたくないということから、いつかは分からなくても確実に訪れるそのときに備え、生前から自分の墓をつくる人が増えているようです。もし、あなただったら、自分の墓に何を残しますか。遺骨だけだとしたら、あまりにも寂しくありませんか。子の代ならともかく、あなたをよく知らない孫や次の世代は、これが先祖の墓と言われても、何を手掛かりに、生前のあなたを偲べばよいのでしょうか。
 私も母が亡くなったとき、箱のような小さな墓を購入しました。いずれ、私も骨となってその墓に入ることになるでしょうが、何かそこに故人の思い出になる品を入れようと思っても写真一枚程度のスペースしかありません。
 生前に自分の墓を造るのは、今に始まったことではなく、エジプトのファラオたちも巨大な墓を造りました。そのなかで最大の墓、クフ王のピラミッドを造ろうとすると、現代の科学技術を用いても、1250億円かかるそうです。これは建設会社の大林組の1978年の試算ですので、今なら2000億円は下らないでしょう。
 しかし、そんなお金がなくても、クフ王が羨むほどの墓を造ることができるのです。初期投資こそ2~3万円程度必要となりますが、管理費は月に数百円で、どれだけでも広い墓を造ることができます。しかも管理費はバナー広告の収入で賄えるでしょう。そうです、遺骨を収める墓の他に、もう一つ、第二の墓をWeb上につくるのです。
 あなたが今訪れているこのホームページも、もともとは、まだネットがない頃、三十代から書き始めた拙文を集めたものです。それを最近になってネット上にUPしましたが、私の第二の墓のようなものです。今日もあなた以外に何人かの、通りすがりの見ず知らずの方も訪れて、ときどき、お賽銭代わりに広告をクリックしてくれているようです。
 あなたもブログやホームページをつくって、そこに、あなたの思い出を綴りませんか。ボルツマンのように、たった一行の数式でなくても、広いので、いくらでも、何でも書き込めます。旅行記でも、エッセイでも、今、通っているサークルや教室で作った俳句でも短歌でも料理のレシピでも、公序良俗に反せず、誹謗中傷でなければ何でもよいでしょう。文字や画像としてだけでなく、音声や動画も残せます。あなたの第二の墓はネット上のあなたの資料館であり、あなたの記念館でもあるのです。
 将来、自分の墓にどんな人が訪れ、そして、これを読んでどう思うだろうか、そんなことを想像しながら、墓造りをしていると、あれも、これもと、いろいろ書き込みたくなります。墓造りは生きる意欲を与えてくれ、残りの人生を楽しく豊かにしてくれます。墓造りに勝る終活はありません。
 あなたが死んだ後も、あなたが残したその思いは、千の風になって、世界の隅々までも届き、親族、友人、知人と、あなたにゆかりのある人々は、地球上のどこからでも、あなたのお墓にアクセスし、いつでもあなたを偲ぶことができるのです。グローバル化時代の、そして、ネット時代の、新しい様式の墓なのです。
 さらに、墓造りにかけるあなたの情熱次第では、あなたの墓はネット空間の名所として、一般の観光客まで大勢押し寄せることでしょう。将来、国の重要文化財に指定され、その参道には各種みやげ店や茶店が所狭しと立ち並び、世界遺産登録への道も開けるかも知れません。サッカー少年や野球少年のように、我々もまだまだそんな夢を持つことができるのです。
 従来の墓と同じく、管理は子や孫に頼んでおけばよいでしょう。バックアップの保管と、ネット空間に漂う持ち主不明の粗大ゴミとして削除されていないか、年に一回程度、お盆の日にでも確認してもらうことぐらいですから、さほど子や孫の負担になることはないでしょう。私も古希を迎え、ファラオになった気分で、これからも面白おかしく、かつ、全身全霊、一字一句に魂をこめて、自分の墓造りに勤しみ、老後の時間を楽しみたいと思っています。
 やがて、私が死んでも、私の墓の前で泣かないで下さい。それでも、一粒の涙を流して頂けるというのなら、それは私の骨が入った墓の前でなく、ネット上のこの第二の墓にアクセスして、笑ってそして泣いて下さい。

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