般若心経と現代物理学

中間子理論
 イチローが般若心経の文字数と同じ数の262安打の大リーグの年間最多安打記録をつくった2004年は、連日、その活躍が話題となったが、過去にも、彼に勝るとも劣らぬ日本人はいた。芋とカエルを食べて練習に励み、全米水泳選手権で、牛肉を食べている大男たちを相手に、次々と世界記録を塗り替え、自由形長距離種目を総なめにした古橋広之進選手である。
 日本のプールは規格より短いのではないか、日本の時計は遅れるのではないかなどと、それまで揶揄していたアメリカ人の目の前で、古橋は見事に彼らの鼻を明かしたものだが、凄い日本人は物理学の世界にもいた。紙と鉛筆だけで中間子論を考え出し、日本人として初のノーベル賞に輝いた理論物理学の湯川秀樹博士である。
 フジヤマのトビウオとともに、戦後の混乱期の日本に、希望の光を与えた湯川秀樹を知らない世代が大半を占めることになったが、彼は原子核の中で、陽子や中性子を結び付けている短距離の強い力は、それら核子の間に介在している粒子の存在を仮定すれば、説明がつくことに気づいたのである。
 未知の粒子の質量は、核力の到達距離とその粒子のコンプトン波長が等しいことから決まる。その後、発見されたμ粒子が湯川粒子ではないかとされた時期もあったが、紆余曲折を経て、湯川理論から12年後、予言された質量を持った粒子は宇宙線のなかから発見されたのである。
 自然界には4種類の力が存在する。クォーク同士を結びつけ、また核子間に働き、原子核を形成している強い力、原子や分子を結び付けている電磁気力、β崩壊に関わっている弱い力、そして重力である。湯川はそのうちの強い力が働くしくみを、場の量子論にパイ中間子を導入することによって、見事に解明したのである。核子間に働く強い力は、核子が互いにパイ中間子をキャッチボールすることによって作用していたのである。
物質の階層構造
 玄奘三蔵がインドから持ち帰った仏典を漢訳した大般若経を262文字に凝縮したコンパクト版が般若心経である。さまざまな現象は実体のない空であり、その空こそが本質的であると説く、その悟りの智慧は、現代物理学の自然観とも相通じているように思える。
IMG_NEW シェルピンスキーの三角形と呼ばれる三角形は、それ自体が、より小さな三個の三角形から構成されていて、その中央には、面積が元の三角形の1/4の逆三角形の‘隙間’が存在している。構成要素の三つの三角形も、それぞれが、さらに小さな三個の三角形から成り、やはり、それぞれの三角形の中央には逆三角形の‘隙間’が存在する。
 三角形から‘隙間’の逆三角形を次々と差し引いた残りがシェルピンスキーの三角形の‘実質部’であるが、その面積は、3/4を無限回乗じたものとなり、その値は明らかにゼロに収束する。
 物質の階層構造もシェルピンスキーの三角形に似ている。例えば鉄の球を考えてみよう。球の体積は、その半径が解れば、正確に計算で求めることができる。
 しかし、「隙間」のないように見える鉄球もミクロに見れば、鉄の原子が体心立方の結晶構造を成し、原子と原子の間には「隙間」が存在する。その「隙間」の体積を差し引いた、球の「実質部」の体積はマクロに見た体積よりもかなり小さいものとなろう。
 それでは、原子が占める体積が鉄球の「実質部」と考えられるだろうか。さらにミクロに見れば、原子には大きな「隙間」が存在する。原子は原子核とそのまわりをまわる電子からなるが、電子は極めて軽く、それ自身は大きさを持たず、原子の質量のほとんどを占める原子核も、その体積は、原子の体積の10-15に過ぎない。
 この体積比は、原子を東京ドームの大きさに拡大すれば、原子核の大きさはせいぜいドームの真ん中にあるパチンコ玉の大きさ程度である。原子が占める体積もそのほとんどが「隙間」であるといえよう。
 原子核の密度は東京ドーム一杯の物質をパチンコ玉の大きさに圧縮したときの密度に等しいことになるので、その超高密度の原子核が空とはとても思えないが、原子核にもまだ「隙間」が存在していよう。原子核は陽子と中性子からなり、それら核子もクォークから成る複合粒子だからである。
 ゲルマンとツバイクのクォーク模型より以前に、核子の複合模型を提唱し、毛沢東とも対面したことのある坂田昌一(1911-1970)は、物質の構造は無限の階層からなると考えていた。
 硬い鉄球も、ミクロに見ていくほど、その‘実質部’の体積はどんどん小さくなり、シェルピンスキーの三角形のように、「隙間」、即ち「空」のみが残るのだろうか。様々な物質の本質は空、つまり、色即是空である。
ディラックの真空
 それでは、物質のほとんどを占める空とは何だろうか。イギリスのディラックは、真空についてのそれまでの概念を一変させた。彼は量子力学にアインシュタインの相対論をとりいれて、電子について定式化し、それを解くと、電子にスピン量子数が存在することが自然に導かれることを示したが、それと同時に、電子のエネルギーには、正のエネルギーのみならず、負のエネルギーの解が存在することも示したのである。
IMG_NEW_0001 真空とは、正のエネルギーを持った粒子は、一切、存在しないが、何もない単に空虚な空間でなく、そこには、負のエネルギーを持った粒子で埋め尽くされた、限りなく深い‘ディラックの海’が存在している。
 埋め尽くされたディラックの海は観測にかからないが、ディラックの海のなかの一個の電子が、エネルギーを得て、正のエネルギー帯へ飛び上がると、正のエネルギーを持った電子1個とディラックの海に電子の空席ができる。この空席は、陽電子と呼ばれ、電子の反粒子である。また、電子と陽電子が出会うと両者は消滅して、光としてエネルギーを発する。
IMG_0001_NEW 陽電子も、予言された後に宇宙線のなかから発見された。その後、すべての粒子について反粒子が存在することが知られている。但し、光子はそれ自身が自分の反粒子でもある。真空に一定以上の光のエネルギーを注ぎ込めば、粒子と反粒子の対発生が起こるが、エネルギーが足りなくても、短い時間であれば対発生は起こりうる。つまり、対発生してすぐに対消滅すれば、不確定性原理のため、その短い中間状態では、エネルギーの保存則は満たさなくてもよい。
 真空とは何も無い空間ではなく、さまざまな粒子が生成し消滅しながら泡立っている「場」なのである。つまり、空即是色である。
 平安時代の初期、室戸岬の洞窟で修行する若い僧の目に映った太平洋は、広大な空と海のみであった。まさに彼は「ディラックの真空」をそこに見たのである。その後、空海と名乗った彼は唐に渡り、帰国後、真言宗を開いたのだが、弘法大師とは、空海の死後、朝廷から授かった贈り名、諡号である。
 唐代の僧、玄奘三蔵が帰国後漢訳した印度の経典の「空を悟れ」というその真髄は、仏教のみならず、西遊記のなかに、孫悟空という架空のヒーローを生み出し、そして、偶然にも、現代物理学の「場の量子論」の考えとも共通している。粒子を理解することは、その粒子の「場」を理解することである。
量子論の哲学
 何も存在しないところが空ならば、常識的には「実質部」と「空」とが等しいはずはない。しかし、現代物理学の物質観は、般若心経のように、矛盾する概念を見事に同一化しているように思える。
 光は粒子か波か、光の本質を巡っての長い論争の結果、量子論が与えた答は、光は粒子であり、かつ波であるという奇妙なものであった。さらに、粒子と考えられていた電子にも回折や干渉などの波としての現象が観測される。
 古典力学では、「粒子」は空間に局在した概念であり、一方、「波」は空間に広がった概念である。しかし、量子論では、この相矛盾した二つの概念が同一のものの異なる側面として矛盾なく受け入れられているのである。これぞ「哲学の道」で知られる西田幾多郎の言う「絶対矛盾的自己同一」であろうか。
 量子力学の建設に多大な貢献をしたニールス・ボーアは相補性原理が中国の陰陽思想に似ていることに関心をもったと伝えられている。‘陰と陽’、‘粒子と波動’、そして、‘色と空’、いずれも相対立する概念であるが、両者が融合することによって、片方だけでは表せない真理が見えてくるようである。
 1959年にスノーが「二つの文化 」を唱えて以来、すでに50年が経過し、またいたるところで文理融合の必要性が叫ばれているが、依然として文と理の間には埋めがたい溝が存在するようである。両者の融合が簡単でないことは事実あろう。しかし、現代物理学が、これまで自然観を創り上げるために、乗り越えてきた困難に比較すれば、文理融合など極めてたやすいことではないだろうか。量子論の先覚者のボーアも、哲学者の西田幾多郎も、そしてお釈迦様も、同じ考えのようである。

コメント

  1. さざえ より:

    初めまして。
    私は物理学は門外漢、ちんぷんかんぷんの者です。
    般若心経を子供の頃から母親の背中で覚えましたが、以来、仏教にご縁が無く過ごしてまいりましたが、最近奈良薬師寺に参詣するようになり、般若心経の意味を知りたくなり、図書館で借りた書物で理解したいと思った次第です。
     偶然ロケットで有名な糸川英夫博士のご本に「湯川秀樹氏は般若心経が中間子理論を思いつくヒントになったと言われた」という一文から、色即是空を物理学的に考える人がいるのだと思い、ネット検索しました処このサイトに遭遇致しました。又、脳科学者(埼玉大学名誉教授)もお釈迦様の教え(五蘊、涅槃など)は脳科学理論そのものだと述べられました。
     私はただ感心するのみの凡夫で、とてもコメントをお送りする立場ではないと思いますが、大好きな万葉集の額田大君の「月待てば・・・」の短歌を目にし、厚顔無恥を顧みず、メイルを差し上げました。
    御免下さいませ

    • nobuyuki より:

      コメント有難うございました。定年後の脳活と終活のために始めたHPですが、今後も書き続けていきますので、またのお越しをお待ちしています。

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