光の速さ

 光の速度を初めて測定したのはレーマーであった。木星の衛星イオが木星の後に隠れる食を調べていたレーマーは、食が予定の時刻より、遅れて起きることを観測した。この遅れは、光の速度が有限であるために起こることに気づいたレーマーは、光の速さをその遅れから求めたのである。

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 上図において、地球Eの公転速度は木星Jよりも速いので、(a)のような配置での食から半年以上が経過すると、何度目かの食が配置(b)で起きる。イオIから地球までの距離は(b)のほうが(a)より、地球の公転直径だけ長いので、その差を光が進む時間だけ、光速が無限大として計算した時刻より食が遅れて観測される。

 その後、フィゾーによって光の速さは地上でも正確に求められるようになった。測定の結果、光の速さは秒速 30 万 km という途方もない速さではあったが、とにかく光は瞬間的に伝わるものではなく、光の伝幡にも時間がかかることが分かったのである。
 真空中でも伝わることができる光、その本性は粒子だろうか、それとも波であろうか。光については、粒子説と波動説の間で、長い間、論争が続けられてきた。ニュートンは光の粒子説を主張し、ヤングやフックは波であると主張した。マックスウェルは、ファラデーやアンペールの法則を定式化することにより光が電磁波であることを示した。
 一般に、波とは、媒質の振動が媒質中を伝わる現象である。音の場合の媒質は空気である。光が波なら、その波を伝える媒質は何であろうか。当時の人々は、光を伝える媒質をエーテルと名づけた。光は宇宙を伝わることができるので、真空の宇宙もエーテルで満たされていなければならない。
 光には偏光という性質がある。そのことから、光は横波であることがわかるが、気体や液体は横波を伝えることができないので、横波である光を伝えることのできるエーテルは固体でなければならないことになる。また、波が固体の媒質中を伝わるとき、その速さは媒質の剛性率と密度の比の平方根に比例するので、光の伝幡速度が非常に高速であることから、エーテルは非常に軽くて、かつ、非常に硬い物質でなければならなくなる。光は宇宙空間も伝わるので、透明な硬いエーテルで満たされた場のなかを、地球をはじめ惑星は何の抵抗も受けずに運動していることになる。
 光を波と考えると、その媒質のエーテルはいろいろと奇妙な性質を持つことになるが、当時としてはこのようなエーテルなるものの存在を仮定しなければ、光が真空中でも伝わることを理解出来なかったのである。
 光は静止したエーテルに対して、どの方向にも秒速30万kmの速度を持つことになる。しかし、地球がエーテルの中で、公転と自転をしているなら、地球表面にはエーテルの風が吹いていることになり、その風向きは一定方向ではなく、一日の間でも、一年の間でも変化していることになる。それなら、光がエーテルの風の風上に向かって進むときと、風下に向かって進むときでは、地表から見た光の速度は異なるのだろうか。
 地球の自転による地表面の速度は秒速460mである。これは光速に比べれば無視できよう。しかし、地球は秒速30kmで公転している。これは光速の一万分の一にあたる。それなら、地表で測った光の見かけの速さは一万分の一程度、、季節によって、速くなったり遅くなったりしているはずである。
CCI20130807_00001 マイケルソンとモーレィは光速の変化を光の干渉縞の変化として検出することを試みた。彼等が用いた干渉計は図のように、光源から出た単色光を互いに直交する二方向に分け、鏡で反射されて戻ってきた光を干渉させ、その干渉縞を観測するものであった。望遠鏡Tには光路:S→M→A→M→Tを通ってきた光Aと、光路:S→M→B→M→Tを通ってきた光Bとが干渉し、干渉縞が現れる。もし、地表がエーテルに対して一定方向に運動していれば、光の進行方向によって見かけの光速に違いがあるので、干渉計の配置の向きを変えると、光Aと光Bとの光路差が変化し、それが干渉縞の変化として検出できるはずである。
 マイケルソンとモーレィは、外部からの振動の影響を除去するために、干渉計全体を水銀のプールに浮かべて実験を行った。彼らが使用した干渉計のMAとMBの長さは11mあったので、光速に10-4の違いがあると、装置の向きを回転したとき、光路差は、光源として用いたナトリウムD線の波長の40パーセント程変化する計算になる。
 結果は干渉計の向きを変えても実験の季節を変えても干渉縞に変化はなかった。地表面がどちら方向にどう動いていようとも光の速さは方向によらず常に一定であると考えざるを得ない。つまり、エーテルの存在を確認することはできなかった。そして、エーテルに対して静止した座標系、絶対静止系を見つけることもできなかったのである。
 マイケルソン・モーレィの実験は、光の速度は、有限であるにも関わらず、いかなる慣性系から見ても変わらないと考えざるを得ない。つまり、光を追いかけながら光の速さを測定しても、光に向かいながら測っても、光の速さは同じなのである。絶対静止系は存在せず、物理法則は相対的であるが、光の速度は絶対的であるという、光速不変の原理は日常の経験からすると、極めて受入れにくいものであり、当然、この原理から導かれる結果もこれまでの古典力学の常識とは異なってくる。

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