水中の物体はどのように見えるか?

底の石 動いてみゆる 清水哉   ―漱石―

アメリカの物理学教科書、バークレー物理学コース第3巻「波動」の序文に引用されている漱石の俳句である。正岡子規に俳句を師事し、俳号を「漱石枕流」の故事からとったいう明治大正時代の文豪は、自ら石に漱ぎ流れに枕して、この句を詠んだのだろうか。
底の石が動いて見えるのは水面で光が屈折し、さらに媒質の水が流れているからであるが、流れのない場合でも、観測者の動きによって水底は動いて見える。さらに、観測者が止まっていても、水中の虚像は単に浅く見えるだけではない。
虚像の位置
CCI20130520_00000 図において、水中の一点Aから出た光はA-X-Bの光路を通りBに達する。B点から、水中のA点に置かれた物体を見たとき、その像は直線BXの延長線上に見える。しかし、延長線上のどの位置になるのか、例えば、図の、A1か、A2か、それともA3になるかはこの図だけからでは分からない。
大抵の教科書には、BXの延長線上でAの真上、つまり、A2の位置に見えると書いてあり、実際に観測しても、普通に見れば、確かに、その位置に見える。では、Aの虚像はA2の位置にのみ存在するのだろうか。
図の水と空気の境界面を、水面ではなく、今度は、四角い透明な水槽の側面のガラスと考えてみよう。水槽内の物体を水槽の側面のガラスを通して斜め右横から見ている図と考えるのである。実際、そのように水槽の側面を通して水中の物体を見ると、物体はA2の位置ではなく、それよりずーつと手前のA3辺りの位置に見える。
そこで再び、物体を水面上から見てみよう。ただし、今度は、顔を横向けて、つまり、顔を九十度傾けて見ると、A3の位置に見える。虚像はA2とA3の二箇所に存在し、そのどちらの虚像が見えるかは観測者の顔の向け方で異なるのである。CCI20130520_00001
顔を横向きにして見たときに、虚像がA3の位置に見えるのは、図のように、Aから空気中に出た二本の互いに接近した屈折光線が、それを水中方向に延長すれば、A2より手前のA3で交わるからである。つまり、通常の姿勢で水中の物体を見たとき、虚像がA2の位置に見えるのは、左右の二つの目に入ってくる屈折光の延長線がA2で交わるからであるが、もし、我々の二つの目が顔の上下についていれば、真っ直ぐな姿勢で見てもA3辺りに見えるはずである。
虚像の実像
CCI20130520_00002 それでは片目でみればどうなるだろうか。しかし、片目では遠近感がよくわからないので、レンズを用いて二つの虚像に対するそれぞれの実像をスクリーンに結像させることを試みてみよう。
物体が点光源のとき、A2 および、A3の二つ虚像に対する実像を、レンズの後方のスクリーンに映し出してみると、結果は、図のように、虚像A2実像B2は縦長となり、虚像A3を写した実像B3は横長となる。
次にAの位置に十字線を書いたガラス板を置き、それを望遠鏡で見てみよう。十字線の虚像も二箇所存在するが、望遠鏡の焦点をA2に合わせると、十字線の縦線は明瞭に見えるが、横線はぼやけて見える。また、焦点をA3に合わせると、今度は、横線は明瞭だが縦線がぼける。焦点をどの位置に合わせても縦線と横線がともに明瞭に見える位置は存在しない。
CCI20130520_00003 図のように、点光源から出た屈折光線を水中方向に延長すると、屈折光線は一点では交わらず、二つの虚像が存在することがわかる。
水中の一点Aから出た光は球面波として水中を伝わる。しかし、水中を出ると、水面での屈折のため、もはや完全な球面波とはならず、波面の曲率が縦と横の方向によって異なる。つまり、スネルの法則を立体的に考えることによって、2つの虚像の存在が理解できる。つい、見過ごしてしまう現象のなかにも思わぬ真理が隠れているものである。

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