秋のテニスコートは釣瓶落とし

秋の黄昏時のバス停、家路を急ぐ人々の会話。
「随分、日が短くなりました。すっかり秋ですね。」
「釣瓶落としとはよく言ったもんですな。」
ことわざ「秋の日の釣瓶落とし」には次の二つの意味が含まれていよう。
①夏が過ぎて秋が近づくと日没時刻が日に日に早まる。
②夏は日没後もしばらく明るいが、秋は日没後、急に暗くなる。
夜間照明のついていないコートで、年間を通してボールが見えなくなるまで、一分一秒を惜しみながらテニスに興じる我々テニス馬鹿にとっては、①も②も、毎年、秋になると実感することだが、その理由をどう説明すればよいだろうか。 まず、①について考えてみよう。日没時刻の季節変化をグラフに描くと、その概形は上図のようになろう。夏至付近で極大(一番遅い時期)になり、冬至付近で極小(一番早い時期)となる。ちなみに、日没時刻の極大点、極小点は、厳密には、夏至や冬至には一致せず、極小点は冬至の20日ほど前になる(→日没が一番早い日) ともかく、秋分は極大点と極小点の間であるから変曲点になる。極大点や極小点では1回微分が0、その間にある変曲点では2回微分0というお馴染みの数学の定理から秋分付近は日没時刻の変化が最も急になる。秋分付近では日没時刻が1日当たり1分半程早くなっていく。
②については、垂直に落ちる釣瓶落としの喩えがぴったりだが、秋の太陽も地平線に対して垂直に沈んではいない。下図のように緯度が同じなら、太陽が沈む向きと地平線との角度は同じであり季節によって角度が変わることはない。季節によって沈む位置が変わるだけである。(図は大日本書籍「理科の世界3より) それならなぜ、秋は、日没後急激に暗くなるのか、次の図は夏至と秋分での、日没の様子を描いているが、いずれも地球と太陽を結ぶ直線と地球の自転軸とを含む平面に投影した図である。 日没時のテニスコートは、テニス馬鹿どもを乗せて、昼と夜の境界線上を図中の矢印の向きに動く。昼と夜の境界線は地球の大円であるが、テニスコートは地球の等緯度線に沿って動くことに注意してほしい。夏至と秋分では、コートが等緯度線に沿っての動く速さは同じだが、大円の境界線を横切る角度が異なる。夏至では境界線を斜めに横切りながら夜の領域に入るが、秋分には釣瓶が落ちるように境界線を垂直に横切って夜の領域に入ることが分かる。つまり、夏至では昼と夜との境界線からゆっくりと遠ざかり、秋分では境界線から急に遠ざかる。夏は日没後もかなりの間ボールが見えるが、秋になると、日没後、すぐにボールが見えなくなるのはそのためである。

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