はじめに
抗力はエネルギーを生み出すことはできないが、エネルギーを伝えるには、抗力の仕事を必要とする論文を、ここ10年、投稿し続けてきたが、力学をわかっているのかと言わんばかりの査読結果が毎回送られてくる。
抗力が仕事をしても不都合なことはなにも起こらないことを、実例で示しても、理化学辞典での仕事の定義を理由に、抗力は一切仕事をできないと言う。
高校物理教科書での仕事の定義は、抗力が仕事をすることを否定していない。しかし、査読者によれば、教科書での仕事の定義は、「初心者向けの定義」であるという。適当に変更しても、解釈を変えても構わないらしい、何から何までキツネにつままれたような話に、力学を理解していないのはどちらかと、つい、お釈迦様に向かって説法したくなる。
教科書は高校生が物理を学ぶための道しるべである。一方的に、力学の根幹に関わる、最初に出会う道しるべの向きを逆向きに書き変えるなら、当面はそれでよくても、教師も生徒も、そこが危険通路とは知らずに、無警戒に足を踏み入れれば、やがて道に迷い、最悪の場合、生徒教師もろとも遭難することになろう。
抗力のする正負同時一対の仕事による仕事の二層構造が正しく理解されていないために、力学教育に盲点が生じ、仕事は一つしかないと錯覚されている。お釈迦様を説得できず、議論が平行線のまま、論文として世に出せないなら、認知症になる前に、仕事に二層構造が存在することを我が墓標に刻み込み、遭難しないように次世代に伝えておきたい。
仕事の定義と複数の仕事の存在
高校物理教科書と理化学辞典には、仕事を、それぞれ次のように定義している。
- 定義A:物体に加えた力と、物体の変位との内積(高校物理教科書)
- 定義B:加えた力と、その力の作用点の変位との内積(理化学辞典)
どちらの定義が正しい仕事の定義かを巡って、長い間、意見が分かれてきたが、仕事は一つだけとして、仕事の定義を、定義Aと定義Bとの、二者択一として捉えていることが、そもそもの誤りである。仕事は一つだけではなく、定義Aは仕事Aの定義、定義Bは仕事Bの定義であり、それぞれ異なる二つの仕事の厳密な定義と考えるべきである。初心者向けの教科書だからこそ、定義は厳密でなければならない。初心者向けのやさしい定義などは考えられない。
高校物理教科書には、質点とは何かについても定義されている。歴代の教科書の執筆者や検定委委員が物体と質点の区別をあいまいにしているとは思えない。物体一般に対して、抗力が仕事をする筈はないとする力学教育の盲点が力学の視界を著しく狭めている。定義は法則ではないが、法則に準拠していなければ無意味である。ニュートンの運動法則にも、作用点が動くか動かないかで力を区別していない。
定義Aでの、物体の変位とは、物体の重心の変位であり、それは力を受ける側の変化である。それに対し、定義Bの、力の作用点の変位とは力を及ぼす側の変化である。高校教科書に定義されている仕事Aは力が物体の重心運動にする仕事であり、理化学辞典の仕事Bは、仕事をする側の動力源がした仕事量であり、仕事によって生み出されたエネルギーが、物体や系にどのような変化を起こしたか、その詳細には関係しない。仕事Bだけでは、全体のエネルギーの変化しか分からず、仕事を受けた側にエネルギーがどう配分されるかは分からない。
仕事には二層構造が存在し、仕事Bを支えている下層構造の仕事の一つが仕事Aであり、下層構造の仕事は、仕事A以外にも複数存在する。
バネを伸ばした場合の仕事Aと仕事Bと仕事X

中学や高校では、図1のように、バネの張力を、フックの法則により、バネの伸びとして可視化している。バネの問題では、通常、バネの質量を無視するが、仕事の問題を議論するため、あえてバネの質量も考えることにしよう。
バネが受ける力は、作用点が動く、右方向の力Tと、左方向に壁から受ける作用点の動かない抗力Rである。仕事BにはTだけしか寄与できないが、仕事AにはTとRの両方が寄与する。バネを、図1のようにして伸ばすとき、その途中での仕事は一つではなく、複数存在する。
バネの一端を固定し、他端を力Tで引き、バネの長さがdsだけ変化すると、力Tの作用点の変位はdsであり、バネの重心の変位は、その半分のds/2である。この場合の仕事Aと仕事Bは、それぞれ教科書と理化学辞典の定義から次のようになる。
- 仕事A=(T–R)ds/2
- 仕事B=Tds
仕事Bには抗力は現れないが、仕事Aには、Tの仕事、Tds/2とともに、抗力Rがする負の仕事、-Rds/2が現れる。ここで、仕事Bから仕事Aを差し引くと、仕事Bに隠れていたもう一つの仕事の存在が愛らかになる。その仕事を仕事Xと呼ぶおとにすると、
- 仕事X=仕事B-仕事A=[(T+R)/2]ds
となる。仕事Xも何かの仕事と考えられるが、それも抗力の仕事を含み、仕事Xでの抗力の仕事と、仕事Aでの抗力の仕事では、大きさは同じRds/2だが、符号が±逆である。
第3の仕事Xの正体
ここで、仕事Bから仕事Aを引き算した仕事Xは図2のような仕事である。ここで、F=(T+R)/2であり、FはTとRの平均である。隠れていた第3の仕事Xの正体は、バネの張力がバネの弾性エネルギーのみにする仕事である。

仕事Bは、重心運動にする仕事Aと、バネの弾性エネルギーにする仕事Xの和で表されることがわかる。
バネの重心運動は、バネを一定の長さまで引き終えた時点では熱エネルギーになるので、バネを引き始め引き終えるまでに、Tがした仕事量は、バネに発生した熱量とバネの弾性エネルギーの増加量との和になることがわかる。
図1において、力Tでバネを準静的に引き伸ばせば、引き伸ばす途中で重心運動は生じないので、熱も発生せず、Tがした仕事は丸々バネの弾性エネルギーになる。
剛体運動での仕事Bと仕事Aの差

図3のような、円柱のころがり運動では、円柱の重心運動と回転運動とが共存する。円柱の重心の位置を斜面と平行な座標xで表すと、図3での仕事Aと仕事Bは、次のように表される。
- 仕事A=(Mgsinθ-F)dx
- 仕事B=Mgsinθ dx
回転運動にする仕事を仕事A’とすれば、力学での仕事Bと仕事Aの差は仕事A’になり、Fdxになる。当然Fdxは、図の円柱の右回りの回転運動に仕事をしている。図3のころがり運動でも、仕事Aと仕事A’のどちらにも、符号の異なる抗力の仕事が現れるが、抗力のする、一対の仕事が、今度は、仕事Aと仕事A’を相棒として結び付け、相棒となった仕事Aと仕事A’の和が、ころがり運動全体にする仕事Bである。
図3の円柱の転がり運動での仕事Bは、重力がした仕事であり、そのエネルギーは、仕事Aと仕事A’とに配分されるが、どのように配分されるかは、二つの仕事を結びつけている抗力のする正負一対の仕事で決まる。仕事Bだけではエネルギーの総和だけで二つの運動に配分される明細がわからない。
Pseudowork説のトリック
仕事Aと仕事A’とが相棒であることを意識し、図3の問題を、定石どうり、運動方程式から始めると、Pseudowork説1)などが入り込む余地は完全になくなる。
円柱のころがり運動は、並進と回転の二つの運動が、道路から受ける抗力F によって連動し、円柱の運動方程式は、円柱の質量をM、中心軸の慣性モーメントをIとすると、並進と回転の連立方程式として次のように表される。

ここで、 vおよび ωは、それぞれ、重心の速度 および回転の角速度 であり、それぞれの時間微分を変数の上に・を付すことで、加速度と角加速度を表すとする。(1-1)の両辺に速度v をかけ時間tで積分し、一方(1-2)式では両辺に角速度ωをかけ、同じく時間tで積分すると、仕事とエネルギーに関する連立方程式が導かれる。

(2-1)式と(2-2)式の左辺はそれぞれ仕事Aおよび仕事A’である。両式を加えると仕事Bになり、エネルギー保存則になる。

Pseudowork説は、力学の基本である運動方程式から始めず、仕事Aと仕事Bを無理に相棒としたことにより矛盾が生じ、それを繕うために、仕事ようで仕事でない不可解なPseudoworkの存在を仮定しなければならなくなっている。
連立方程式(1-1)と(1-2)からなる運動方程式から、(3)式を導く数学的な展開は、円柱の転がり運動には、仕事の二層構造;仕事B=仕事A+仕事A’が存在し、抗力のする正負同時一対の仕事が仕事Aと仕事A’とを結びつけていることを示している。
イルージョンマジックの胴体切断では、本当は箱のなかには二人いるのに、一人だけしかいないかのように演じている。Pseudowork説の提唱者も、その論文の真偽を検討することなく受け入れている査読者も、箱のなかにいて足だけ見せて姿を見せないXの存在に気づいていないようである。
車の走行と道路から受ける抗力

車が停止しているとき、車に働く力は、重心に働く重力と4つの車輪が道路から受ける垂直抗力とが釣り合っているが、平地を加速しながら走行するとき、車には重力と垂直抗力以外に、図4のように水平抗力が加わる。
前輪駆動であれば、前輪は道路から進行方向の水平抗力F を受け、後輪は後ろ向きの力fを受ける。F もf も道路から受ける静止摩擦力である。抗力F は、前輪の回転運動に対しては駆動輪の回転とは、逆回りの力のモーメントとして働き、車の並進運動に対しては、進行方向と同じ向きである。F は駆動輪の回転運動には負の仕事をし、同時に並進運動に対しては正の仕事をする。
抗力 F は,その作用点は動かないので,仕事をしても、力学的エネルギーを生み出さないが、駆動輪の回転運動と並進運動とに、負と正の仕事を同時にすることによって、エンジンが駆動輪に仕事をして生成されたエネルギーを車の並進運動に伝えている。一方、後輪に働くf は並進運動に負の仕事をし、同時に後輪の回転運動に正の仕事をする。fは並進運動から後輪の回転運動にエネルギーを伝えている。
電気自動車でも、加速するときは、水平抗力の向きは,図4と同じだが、減速するときは、抗力Fもfも、そ の向きは図4とは逆向きになる。電気自動車ではエネルギーを生み出す仕事より伝える仕事が重要になる。
電気自動車の搭載されているモーターは、加速するときは電動機、減速するときは発電機の役割をする。加速時では、モーターがバッテリーのエネルギーを使い電動機として駆動輪の回転に仕事をすると、駆動輪に前向きに働くF が駆動輪のエネルギーを並進運動に伝える。一方、減速時では、F は駆動輪に後向きに働き、並進運動から駆動輪の回転にエネルギーを伝え、駆動輪の回転が、発電機に変身したモーターに仕事してバッテリーを充電する。
抗力のする仕事を正当な仕事として認知しないければ、力学教育は科学技術の急速な発展から取り残されよう。
おわりに
高校物理の力学は,多くが単一運動であり、入試問題も当然複合運動は出題されないので、運動間のエネルギーの受け渡しはなく、受験対策には抗力のする仕事をほとんど必要としない。しかし、物理は受験のためだけに学ぶのではない。現実の力学現象は複合運動が圧倒的に多く、受験重視のなかで忘れられている抗力のする仕事を正当な仕事とすべきである。
「人はなぜ歩けるか」に対する物理教育の答が「右足出して左足出すから」だけでよいとは思えない。しかし、抗力は仕事をすると考えてはならないとする岩盤規制のため、前には進めず、力学教育は、この問題に関する限り、40年間足踏み状態が続いている。抗力のする仕事を否定する理由はない。エネルギーを伝えるための抗力のする正負同時一対の仕事を邪魔するものはない2)。高校物理教科書も理化学辞典のどちらの仕事の定義を選ぶべきかの二者択一の議論はもともと存在しない。どちらの定義がすぐれているかとの議論も無意味である。40年以上に亘る不毛な議論は止めて、力学教育が足踏み状態から走り出すときは今である。
1)Bruce Sherwood:Am.J.Phys.Vol.51-7,(1983) p.597-602
2)後藤信行:教育の関する一言「抗力の仕事を邪魔者扱いしない力学教育を」大学の物理教育 2025 Vol.31,No.3,p.116

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