
絵の鑑定を依頼された夢を見た。夢の話だから依頼された問題の絵をお見せすることも、画才がないのでそれを再現することもできないが、大まかに言えば、左右対称の絵には、左の図のように、ローラースケートの靴を履いた二人の少女が描かれ、互いに手のひらを合わせて向き合っていた。絵には疎いのでと、一旦、断ったものの、依頼主の希望は、この絵が何を意味しているか、美術ではなく物理の立場から、自由に思いつくままに意見を述べてもらいたいとのことであった。
物理が関係するなら、図の矢印は、少女の運動に関する、力、変位、速度、運動量、加速度などであろう。二人が押し合えば、相手から後ろ向きの力を受け、どちらも後向きに動くことを表していよう。少女の服装からすると、ルイス・キャロルの小説のヒロイン、アリスのようであった。キャロルの小説は昔読んだことはあるが、こんな場面は記憶にない。自由に答えてよいのなら、考えられるのは、キャロルの没後、未発表の作品が発見され、その中の挿絵かも知れない。しかし、この絵を物理的にもっと深堀りするなら、次の二つの解釈が可能であろう。
解釈Ⅰ:アリスには双子の妹がいて、アリスAとアリスBの二人がローラースケートの靴を履いて互いに押し合い、どう動くか力学の実験をしている挿絵。
解釈Ⅱ:アリスに双子の姉妹はいないなら、片方は鏡に映ったアリス自身の虚像と考えられる。つまり、部屋の壁に固定されている等身大の鏡のまえで、ローラースケートの靴を履いたアリスが鏡を押している挿絵。
二つの解釈のどちらかは、鏡の存在の有無が確認できない限り、この絵だけからは判別できない。また、静止画でなく動画だとしても、二人の動きだけからも判断できない。もし、この作品が本当にキャロルの作品なら、その題名は、「鏡の国のアリス」の続編として、「力学の国のアリス」ではどうだろうか。依頼人の真意を理解できないまま、適当な鑑定結果を送信したら、依頼人から即メールが来た。
依頼人「とても興味深い鑑定結果です。確かにアリスが一人か二人かは絵だけからは判定できませんが、力学的には大きな違いがあると思います。アリスが二人なら、互いに相手に仕事をすることになり、矛盾は生じませんが、一人のアリスなら、鏡のなかのアリスが現実世界のアリスの運動に仕事をしていることになります。キャロルの作品だとすれば、彼はこの矛盾をどう解決したでしょうか。さらに、こんな面白いテーマの作品を、なぜ発表しなかったのでしょうか。その理由も併せて考えて頂ければありがたいです。」
「実に良いご質問ですが、少し違います。絵の少女を、一人と考えるか二人と考えるかの違いで矛盾が生じるのではありません。解釈Ⅱで、アリスの重心運動に仕事をしているのは、鏡のなかのアリスではなく、アリスが鏡から後ろ向きに受ける抗力です。アリスが鏡の前に立って鏡を押せば、その反作用としてアリスは鏡から抗力を受けるので後ろ向きに動きます。」
依頼人「そのとき、アリスは鏡から受ける抗力の力積により運動量を得て動くのでしょうか。それとも抗力のする仕事でエネルギーを得て動くのでしょうか。」
「それは両方です。運動量とエネルギーの片方だけしか持たない並進運動は存在しません。ちなみに、回転運動にも、角運動量と回転のエネルギーの両方が存在しています。」
依頼人「私も最初はそう思っていましたが、物理学者に尋ねると、意外なことに、全員から動かない鏡から受ける抗力は、その作用点が動かないので仕事をすることはないという答が返って来ました。」
「それは大きな間違いです。人間、誰しも間違うことはありますが、直感だけに頼り過ぎ、運動法則を無視すると、ドグマに陥ることがあります。物理学者も人の子だという証でしょう。抗力が仕事をしないで、人の筋力や念力だけで動くと考えるのは、空中浮遊を信じ込むようなものです。抗力の作用点は動きませんが、解釈Ⅰの場合でも、アリスAもBも相手を押す力の作用点は動きません。AがBを押す作用点の動かない力がBの重心運動に仕事をしています。AとBを入れ替えて考えても同様です。運動法則に基づき、地に足のついた議論をすれば、鏡のなかのアリスが現実の世界に仕事をすることも、空中浮遊もありえないことは明白です。」
依頼人「空中浮遊と言えば、多くのエリート研究者を巻き込んだ事件もありましたね。歴史を振り返れば、いつの時代にもどこの国でも起こり得るようですね。」
「ニュートンの運動法則も力の作用点が動くか動かないかで、力を区別していません。高校物理教科書にも、物体に力が働き、物体が動いたとき、力が物体になした仕事は、力と物体の変位との内積として定義しています。力の作用点が動かなくても、力を受けた物体の重心が力の向きに動けば、力は物体の重心運動に仕事をする筈です。エネルギーを供給する動力源は解釈ⅠでもⅡでも、本人の腕の筋力です。しかし、アリスが自らの筋力によって腕を伸ばすという変形運動をすると、アリスに重心運動が生じますが、その仕事をするのは、もう一人のアリスから受ける力か、もしくは壁から受ける抗力です。解釈ⅠでもⅡでも、外部からの力がなければ、内力だけでは自身の重心は動きません。もし、前方に何もなければ、腕を伸ばすのは簡単ですが、前に人や壁などの障害物があれば、それから受ける抗力が、腕を伸ばすのを邪魔します。つまり、障害物から受ける抗力は、作用点が動かなくても、アリスの腕の変形運動に負の仕事をすると同時に重心運動に正の仕事をします。エネルギー保存則に反することはありません。」
依頼人「すごく分かり易い明快な解説ありがとうございます。宇宙飛行士も宇宙船のなかを移動するのに壁を掴みますが、壁からの抗力は二つの運動に正と負の仕事を同時することによって腕の変形運動のエネルギーを重心運動に伝えているのですね。他に同様な例はあるでしょうか。」
「日常の力学現象は殆んどが複合運動です。複合運動では運動間でのエネルギー移動には作用点の動かない力のする仕事が必要不可欠です。車はエンジンが仕事をすることによって駆動輪が回転しますが、道路から受ける進行方向の水平抗力がなければ、駆動輪が空回りするだけで、そのエネルギーが重心運動に伝わらず車は走れません。しかし、道路から受ける水平抗力は静止摩擦力であり、その作用点は動きませんが、水平抗力は重心運動に正の仕事をするだけでなく、駆動輪の回転運動には、その回転とは、逆回りのトルクとして働き、負の仕事をしています。駆動輪の回転運動にエネルギーを供給しているのは、駆動輪の回転に対するエンジンのする仕事ですが、水平抗力が駆動輪の回転運動と車の並進運動とに、同時に負と正の仕事をすることによって、駆動輪のエネルギーを並進運動に伝えていると考えるのが運動法則に矛盾しない唯一の正しい答だと思います。」
依頼人「エンジンが仕事をして車が走ると考えるのは間違いのようですね。」
「間違いとは断言できませんが、それだけでは学問としては不十分です。エンジンの仕事は、車が走るための必要条件に過ぎません。エンジンの仕事に加え、抗力のする仕事がなければ、必要十分条件にはなりません。日常会話ではエンジンの仕事で走ると考えて構いませんが、抗力が仕事をしなければ、エンジンの仕事だけでは、駆動輪が空回りするだけです。エンジンが駆動輪にする仕事と、抗力が駆動輪の回転運動と車の重心運動とに、同時にする負と正の仕事によって、車が走る理由を正確に説明することができます。エンジンの仕事だけでは、そのエネルギーがどのように使われたか分かりません。支出の総額だけで、内訳が記載されていない会計報告書や悪徳業者の請求書のようなものです。」
依頼人「結論として、絵の中のアリスが、一人の場合も二人の場合も、作用点の動かない力も、並進運動と腕の変形運動とに正と負の仕事を同時すると考えれば、車の場合と同じく矛盾は一切生じないということですね。それで安心しました。」
「お役に立ててよかったです。あ、そうそう、まだ、なぜ、キャロルは、生前に作品を発表しなかったのかという疑問が残っていましたね。それについては、あくまでも私の妄想に近い勝手で無責任な想像ですが、数学者でもあるキャロルは、不思議の国のアリス、鏡の国のアリスに続き、次はこの作品を発表しようとしたのだと思います。しかし、抗力のする仕事を理解できない周囲の物理学者たちの猛反対に合い、発表できなかったという可能性も充分考えられます。なにしろ、キャロルの時代から150年が経過した現在でも、多くの物理関係者は抗力のする仕事を正しく理解していないのですから。」
夢とは言え、絵の鑑定は人生初の体験だったが、ここで夢から目覚めた。絵の鑑定の依頼人は、ルイス・キャロルの末裔だったのだろうか。いやいや、当時から続く力学教育の不条理に、たまりかねたルイス・キャロル本人が、ともに戦う同志を尋ね探し、はるばる150年の時空を超えて夢に現れてくれたのに違いない。それなら老骨にむち打ち、一段と声高くして抗力のする仕事の正当性を主張しなければならないだろう。
抗力が仕事をするかしないかを、物理教育ムラは、これまで、運動法則でなく、「ムラの掟」で判断してきたのではないだろうか。一人でも多くのムラビトが不条理な掟に背いて立ち上がることを期待したい。これまで長い間、物理教育を混乱させ、ムラビトを束縛し苦しめてきた、作用点の動かない力は仕事をしないとするムラの掟に、もはや、神通力などは存在しない。
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