プロローグ
オイラーの多面体定理に初めて出会い、その公式の美しさに魅せられたのは、青春真っ只中、物理学科の学生のときであった。ビッグバンによって宇宙が始まり、その残光が現在も宇宙の背景輻射として存在すると予言した物理学者ジョージ・ガモフによる啓発書、ガモフ全集にその式は書かれていた。
それから半世紀を超える時が過ぎ、ガモフの後継者にはなれなかったが、我が家の庭の個性豊かなモグラたちが、縦横無尽に穴を掘りながら繰り広げるトポロジーの物語を、世界の明日を荷なう若い世代に届けたい。
1. 世界で2番目に美しい数式
最近では、高校の数学教科書にも載っているが、球や楕円の表面に多角形を貼りつけてつくられた多面体の頂点の数をV、辺の数をE、面の数をFとすると、それらの数にはオイラーの多面体公式
V-E+F=2 (1)
が成り立つ。

図1のサッカーボールのように表面が多角形で貼り巡らされている球では、どのような貼り方をしても(1)式が成り立つ。図1の場合では、その頂点と辺と面のそれぞれを数えると、V=60、E=90、F=32 となり、確かに成り立っている。
(1)式の左辺、V-E+Fの値はオイラー標数やオイラー特性数と呼ばれているが、ここでは簡単にオイラー数と呼ぶことにし、それをεとすると、球や楕円体の表面に、大小様々な多角形を貼りめぐらした多面体のオイラー数εは必ず2になることを(1)式は示している。

オイラーの多面体定理の証明を、直方体を例にして考えてみよう。図2において、まず、①図の直方体の一つの面を取り外して、②図のように平面に押し広げると、(1)式が正しいなら、②図では、Fが一つ減っているので、②の平面図のオイラー数εが1であることを証明すればよい。②の5個の4辺形のそれぞれに対角線を引くと、1本引くごとに、Eが1増え、Fも1増えるので、③図でもεが1であることに変わりはない。次に③において、一番外側の辺を取り去ると、Vは変わらず、EとFが1だけ減るので、③から④へ移る過程でもεは1のままである。さらに、④から⑤の過程では、VとFが1減り、Eが2減るので、⑤でもεは1である。最後には三角形が残るが、そのεは1である。

図2のような展開図にして証明する方法を他の多面体に適応しても最後は1つの三角形のみになるので、図1のサッカーボールでも、図3に示すようなラグビーボールや変形した立体図形(立体に見えないが立体のつもり)でも、さらに、立体をいくつかに切り分けても、それぞれを囲んで作られた多面体でも、オイラーの多面体定理(1)式が成り立つことが分かる。
余談だが、表面には伝導性があり、内部は絶縁体になる物質が存在する。その物質を二つに切り分ければ、その切り口も新しい表面になり、伝導性が現れることから、トポロジカル物質と呼ばれ、最近、物性物理学で注目されている。
球や楕円体ではオイラー数は2だが、その類の立体図形に穴やトンネルを開ければ、オイラー数はどうなるだろうか。それではお待たせ、ここで我が家の庭のモグラくんたちに登場してもらおう。
2. モグラの穴で何かが変わる
我が家の庭には、あちこちにモグラが出没し、穴を掘っているが、出入り口が一つだけの穴を掘っただけでは、いくら深く掘っても地球のオイラー数εは変わらない。しかし、モグラが入り口から出口まで貫通したトンネルを掘ると、どうなるだろうか。
その問に答えるには、モグラ君と一緒になってトンネルの模型を作る手順を考えるのとよい。サッカーボールのように多角形を貼られた球体を地球に見立て、トンネルの入り口と出口として、二つの多角形を選び、その二つの面を取り外し、モグラ君が入り口から出口まで穴を掘りながら、穴の壁を多角形のタイルで貼り巡らしたとしよう。モグラ君に外に出てもらい、モグラ君が掘ったトンネルの内部構造が分かるように、石膏でもない、ゴム粘土でもない、液体だが、ゴムのように固まる適当な樹脂をホームセンターで探して、それをトンネルに流し込み固まったあとにトンネルから引き出せばよい。

図4のように、モグラ君は海を渡らずアメリカまで通じるトンネル模型を完成させた。左図が、トンネル内の凸型模型であり、そのオイラー数は、当然2であるが、凸型模型から、トンネルの内部は右図のような凹型構造をしてことが分かる。トンネルをつくるのに必要とした多角形のタイルは、トンネルの側面だけで、入り口と出口の面は不要だから、そのオイラー数は凸型模型のオイラー数より2少ないので0になる。もとの球面は、既にトンネルの入り口と出口の多角形が外されているので、そのオイラー数も0になっている。球面と、トンネルの側面だけを組み合わせると図4の右図形になるがそのオイラー数は0+0で0である。

二つの立体図形を延ばしたり縮めたり、変形するだけで、切り離すことなく両者を同じ形状にすることができるとき、二つの図形は同相であるという。同相であるためにはオイラー数εが同じでなければならない。図5の二つの図形、さらに円筒やコーヒーカップなど穴がある立体も同相であり、オイラー数が0の図形である。

図6の三つの図形は、トンネル、または穴が二つあり、貫通しているので同相であり、オイラー数はー2になる。中央の図は一見、他の二つと同相に見えないが、横トンネルが縦トンネルと一緒になる出口を球面上に動かすことができるので同相である。図3と図5、そして図6の三つのグループは、グループ内の図形どうしは同相だが、異なるグループの図形とは、同相ではなく、トポロジーでは異なる「容貌」の図形になる。
このあたりで、一度、話を整理しておこう。球体や、それと同相の図形に、貫通したトンネルや穴をg個掘ると、オイラーの公式は次のように拡張できる。
V-E+F=2-2g (2)
(2)式はオイラー・ポアンカレの公式とも呼ばれている。gは、図3では0、図5では1、図6では2であるから、εは、それぞれ、2、0、-2になる。
3. ひきこもりモグラのトポロジー
外部から遮断された空洞が内部にあれば、多面体定理はどうなるだろうか。貫通したトンネルや穴では、内部の側面も、図形の表面の一部になるが、内部に孤立した空洞が存在する場合は、空洞の表面は外部表面と繋がらないので、一般には空洞については考えない。しかし、空洞を考えることによって、新たな発想が生まれるので、ここでは敢えて、空洞が存在する場合も考えておこう。

引き籠りモグラが球体に穴を掘り、誰も入れないように、入り口も出口もない空洞をつくり、図7の左図のように空洞の壁をタイル張りにしたとしよう。空洞を穴やトンネルの内部と区別するために、空洞は左図のように青色で示すことにしよう。ところが、外部から世話焼きモグラが内部に通じるトンネルを掘り、それが空洞につながったら、オイラー数はどうなるだろうか。
空洞に穴を開けるbefore(左図)ではオイラー数は外表面が2、空洞内部も2だから、全体のオイラー数εは4である。after(右図)では、オイラー数は4から2だけ減り2になる。つまり、トンネルが開通した瞬間、空洞は空洞でなくなり、単に凹んだ球体と同じになり空洞のない球体と同相になる。

さらに別の凝り性の引きこもりモグラは、球形の空洞では飽き足らず、図8のAのように、トーラス型の空洞に引き籠った。その場合、空洞トーラスのεは0だから、空洞がトーラス型であれば、その有無は全体のオイラー数に影響しないので、図Aのオイラー数は空洞のない球と同じく2である。空洞を考慮すると、オイラー数が等しくても、同相とは限らない。図Aの内部の構造は空洞の部屋の中央に、天井と床を繋ぐ柱が存在すると考えると分かりやすい。空洞に通じるトンネルを掘るとB図になるが、εが2のA図から2減るのでB図のεは0になり、トーラスと同じになる。
図8のB図が実際にトーラスであることをより明確に示すには、外部に通じるBの穴から手をいれ、中の柱を握って穴から外部に引き出せばよい。その結果は図Cになる。これはトーラスやコーヒーカップと同相であることが分かる。
二つの図形が同相であるためにはオイラー数が等しくなければならないが、オイラー数が等しくても二つの図形が同相とは限らない。オイラー数が等しいことは同相であるための必要条件であるが、十分条件ではない。空洞を考えるとオイラー数は同じでも同相でない例が生じるが、トンネルの作り方によってはオイラー数が等しくても同相にならない場合が存在する。次にそんなトンネルを掘るユニークなモグラを紹介しよう。
4.結び目が好きなモグラ

図9は二匹のモグラが掘ったトンネルだが、左図のトンネルには結び目が存在している。左右二つの図はオイラー数はどちらも0であるが左右のトンネルには結び目の有る無しの違いがある。切断することなしに、左図をどのように変形させても、結び目のない右図のトンネルにはならない。つまり、左右の図形のオイラー数は変わらないが、同相ではない。

結び目のあるモグラのトンネルに触発されたのか、自称前衛陶芸作家が図10の左のような結び目のある取っ手がついたコーヒーカップを作成した。オイラー数はどちらも0だが、二つのコーヒーカップは同相ではない。右図は通常のトーラスだが、左図は結び目のあるトーラスになっている。結び目理論もトポロジーの一つの分野である。
オイラーも、ポアンカレも偉大だが、我が家の庭のモグラ君達も負けてはいない!彼らが貫通したトンネルを一本掘るごとに、地球のオイラー数が変わり、地球の「顔」が変わるのだ! しかし、単なる足し算と引き算からなるオイラーの式は、次に述べるプラトンの正多面体に適用したとき、さらに輝きを増す。その美しさに比べれば、どんな高価な宝石も瓦礫に見えよう。
5.プラトンの正多面体
すべての面が合同な正多角形からなる多面体をプラトンの正多面体という。ある正多面体がℓ 枚の正n角形のタイルを貼り合わせて作れるとすれば、貼り合わせる前に準備したℓ枚の正n角形のタイルの頂角も辺も、その総数はℓn
個である。次にタイルを貼り合わせるとき、頂点の一つをm個の正多角形が共有すれば、完成した正多面体の頂点の数はnℓ/m 個、辺は二つの正n角形が共有するので、nℓ/2 個になる。正多面体でもオイラーの公式は成り立たなければならないので、オイラーの公式(1)に、V=nℓ/m、E=nℓ/2、F=ℓを代入すれば、
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となる。(3)式を満たす自然数 を求めればよい。(3)式から、該当する正多面体の多角形は、正三角形、正四角形、正五角形以外には存在しない。その頂角は、それぞれ、60°、90°、108°であるから、n=3,つまり、正三角形に対しては、mは3と4と5、n=4に対しては3のみ、n=5でも、mは3のみとなる。結局(n,m)の組合わせは(3.3),(3,4),(3,5),(4,3).(5,3)の5組だけに限られる。n とm が決まれば、(3)式からℓ が決まるので、5組に対し、それぞれ、頂点、辺、面の数が決まり、存在できる正多面体は次の5つだけになる。

ここで、完成した頂点の数Vと面の数Fを入れ替える操作をすると、正4面体では自分自身になり、正6面体と正8面体、および正12面体と正20面体とでは互いに入替る。
6.伝説的大学入試問題
数年前に大阪大学の入試に次のような数学の問題が出題され話題になった。

与えられた式が正多面体に対するオイラーの式(3)と同じであることに気づけば簡単だが、オイラーの式を知らなくても、与式の左辺の括弧のなかは正であることから、

が成り立たなければならない。(4)式の左辺は二つの自然数の和であり、右辺は同じ自然数の積の半分だから、二つの自然数を大きくしていくと左辺の値はゆっくり増えるが、右辺は急激に増える。つまり、二つの自然数には上限が存在する。さらに(4)式はmとnを入れ替えても変わらない。以上からmとnの組み合わせには先に述べた5組しかないことが分かる。
Beauty is truth, truth beauty,—that is all
John Keats
エピローグ
全米の数学者の間で、多面体の公式は最も美しい式のNo.2に選ばれたそうだが、No.1は、小説「博士の愛した式」でも紹介されている次の式である。
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虚数と2つの無理数、それに0と1の二つの整数が一つの式に同居している不思議な式だが、これもオイラーの公式と呼ばれる次の式;
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にθ=πを代入して得られる。ランキングの上位二つをオイラーが独占したことになるが、(6)式は物理だけでなく、工学系でも頻繁に用いられ、複素解析やフーリエ解析にとって極めて重要な式である。虚数を排除すれば量子力学の記述も困難になる。関数の級数展開から(6)式を証明できるが、そのためには微分積分の知識が必要である。 それに対し、多面体定理は予備知識をほとんど必要とせず、パズルやゲーム感覚で解ける。ぜひ、家族で楽しんでほしい。
他にも美しい数式はたくさんある。やがて、Jr.Dr育成塾の仔馬君たちも厩舎を旅立ち、高校や大学で物理や数学を学び、心に残る美しい数式に出会うことであろう。単なる公式ではなく、その内容を理解するのは容易ではないがその困難を乗り越えたとき、思索する楽しさと発見する感動を体験できよう。科学の世界へ駆けだす仔馬君たちを、我が家の庭のモグラたちも穴の中から応援している。


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