1.はじめに
ブランコの運動をパラメトリック励振として理解するには,物理だけでなく大学レベルの数学が必要だが,工夫すれば高度な予備知識がなくても,単振り子についての知識だけで,ブランコやバネ付き振り子などの広義の振り子の振幅が変化するしくみが,物理を学習していない中学生にも理解できる.長崎大学の通称JFP(Jerry Fish Project)で実践している秘伝のトリセツを,日本一長いフーコーの振り子の振れる街,長崎から発信したい.ブランコの張力は作用点が動かないので,仕事をすることはあり得ないとする誤った「岩盤規制」のもとで, 迷走する力学教育のあしたを変えるために.
2. ボタフメイロ
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂には,20mの高さから吊るした53kgの香炉を数人がかりで振らせる巨大な振り子がある。香炉が煙を出しながら振れることから,ボタフメイロと呼ばれているが,その縮小模型として,図1のように糸の一端に重りをつけ,糸を固定点0に掛けて他端Sを引っ張ることのできる振り子を振らせたらどうなるかを考えてみよう.
まず,力の作用点Sを固定した状態では,固定点0から重りまでの糸の長さは一定だから,0点を支点とする単振り子と同じであり,重りは円弧を描き,張力の方向と重りの運動方向とが常に直交しているので,糸の張力は仕事をしない.摩擦がなければ、力学的エネルギーは保存し,一定の振幅で振れ続けるだけである.
単振り子として振れている状態では,糸の張力は,遠心力のため,支点0の真下のB点で最大になり,A点やC点では小さくなる.単振り子のように、糸の長さは変化せず,糸の角度だけが変化する振動をθ振動と呼び,θ振動している状態でS点を左右に動かすと糸の長さも変化し,重りは,θ振動とr振動とによるリサージュ図形を描く.
3. 重りの描くリサージュ図形
重りが静止している状態から,S点を左右に一定の振幅で往復運動させても,一般にはθ振動は生じず,重りはr振動するだけだが,S点を往復させる周期とθ振動の周期の比が整数比になるように同期させると,重りの上下運動運動だけの状態は不安定になり,重りの運動にθ振動が生じる.整数比が,2:1のときθ振動は一番生じ易く,重りは,θ振動が1回振動する間にr振動が2回振動するリサージュ図形∞を描く.
図形∞には,図2のように,重りが動く向きによって,2種類が存在することが分かる.左図では重りは図形の右半分では右まわりに動き,左半分では左まわりに動く.この軌道をα軌道と呼び,右図のように,逆まわりに重りが動く軌道をβ軌道と呼ぶことにしよう.リサージュ図形がα軌道の場合,重りはB点を通過する前後で上向きに引き上げられ,張力は系に正の仕事をし,A点やC点では下向きに動くので,張力は負の仕事をする。振れの両端より,B点の張力が大きいので,張力は差し引き正の仕事をして振れが大きくなる.ボタフメイロの振れを止めるには,Sに力を加えるタイミングを逆にしてβ軌道に変えれば、張力は差し引き負の仕事をして振れは減衰する.
4.ブランコの運動
ブランコでは,吊るしている鎖などの長さを変えることはできないが,スクワットのように人がブランコの上で屈伸運動を行えば,重心は図3のような軌道を描き,重心にr振動を引き起こすことができる.ブランコの振れに合わせて屈伸運動をすれば,人を含めたブランコの重心のリサージュ図形をα軌道にすることもβ軌道にすることも可能である.
ブランコの振れを増すためには,重心がα軌道であれば、張力が重心のr振動に負の仕事をして、θ振動に正の仕事をするので、θ振動が増す.r振動の原因は人の筋力による屈伸運動であるから、張力は筋力によって引き起こされたr振動に負の仕事をして、振り子の振れであるθ振動に正の仕事をすることになる.一方、振れているブランコに、β軌道をさせればブランコの振れは、力学的エネルギーを奪われ,ブランコの振れは減衰する.そのとき、奪われた力学的エネルギーは人の体内で熱に変わる.
ボタフメイロでは,動力源は系外に存在し,力学的エネルギーを外部から取り入れているが,ブランコでは,動力源は系内に存在し,重心のr振動に仕事をするのは,人の足腰の筋力である.筋力がr振動に仕事をし,鎖の張力は,筋力の仕事によって生じたr振動に負の仕事をすることによって,θ振動に正の仕事をする。つまり,張力は二つの振動に正と負の仕事を同時にすることによって,一方の振動のエネルギーを他方に伝える役目をしている.
ボタフメイロでは系と系外の動力源との間でのエネルギーのやり取りであるから, 張力の作用点Sは動かなければならないが,ブランコでは、動力源は系内にあり,エネルギーのやり取りは系内で行われ,系外の動力源は存在しないから張力の作用点は動かない.しかし、ブランコでは動力源である人の屈伸運動が造りだしたエネルギーを重心のθ振動に伝えるには張力のする仕事が必要になる。ブランコを振らすとき、張力は人の屈伸運動に負の仕事をして、その分、重心のθ振動に正の仕事をする。
5. バネ付き振り子
ボタフメイロも振り子も,α軌道とβ軌道のどちらになるかは,θ振動と動力源が引き起こすr振動との位相差で決まるが,図4のような,バネに糸と重りを繋ぎ,固定点から吊るしたバネ付き振り子では,α軌道とβ軌道とが,互いに自動的に移り変わる.初期条件として,重りを鉛直下方に引っ張った状態から静かに手を離すと,重りはr振動だけで,一般にはθ振動ほとんど生じない.しかし、糸の長さを適当に調整して,ボタフメイロやブランコと同じく,θ振動とr振動の周期の比が2:1に同期する条件では,運動の円筒対称性が破れ,重りにθ振動が生じ,それが増幅し,重りの運動は,α軌道になる.
バネ付き振り子を長時間振らせると,重りの運動は図5のように、最初①では,r振動だけだが,すぐにθ振動が生じ②のようにα軌道になり,③のようにr振動は減衰し,代わりにθ振動が増幅しながら,④のようにθ振動のみとなる.しかし,④の状態もすぐにr振動が生じる,今度は重りの軌道は,⑤のように,β軌道に変化し,その後,r振動が増幅しはじめ,θ振動は減衰し,⑥となり,最初のr振動だけの状態①に戻る.そして再び同じ運動を繰り返す.
しかし,次の振動面は最初と同じとは限らない.バネ付き振り子は①でのr振動と④でのθ振動との間でエネルギーのやり取りをするために,エネルギーの移動の向きによって,重りはα軌道またはβ軌道を描く.
α軌道では,r振動の位相がθ振動の位相に先行し,エネルギーはr振動からθ振動に移動し,β軌道では,θ振動の位相がr振動の位相に先行し,エネルギーの移動が逆転する.一般に振幅変調された振動では,その振幅が0になった瞬間,振動の位相が反転する.図5のバネ付き振り子の図では,①ではθ振動が0になり,その位相が反転し,その前後でβ軌道からα軌道に移行し,④ではr振動が0になるので,r振動の位相が反転し,α軌道からβ軌道に移行する.その結果,①と④の状態を通過するごとに,二つの振動の位相差が逆転し,バネ付き振り子の運動は図5で示されるような,二重の周期を持つ運動になる.
バネ付き振り子は,非線形運動であり,かつ、一つの振り子でありながら,連成振り子のように,位相の反転が生じるが,重りに働く力は重力とバネの張力であり,どちらも保存力だから,保存場の中での運動という点では単振り子と同じく,力学的エネルギーは保存する.
動力源が外部に存在するボタフメイロも、内部に存在するブランコも、保存場のなかで重りが運動するバネ付き振り子も、どのような振動をするかは、最も単純な振り子である単振り子の張力が、遠心力のため、支点の真下で最大になるという事実から、リサージュ図形に運動の向きによって、二つ軌道が存在することに気づけば、中学生にも容易に納得できる.ただし,それには,作用点が動くか動かないかに関わらず,張力のする仕事が必要である.
6.本トリセツの教育的意義
ブランコが振れる理由が分からなくても、どうすれば振れるかは幼児でも知っている。車が加速できるのは,エンジンの仕事か、それとも道路から受ける抗力の仕事か,などと考えなくても、免許があれあ車を運転できる.運転の正しい手順を学び、アクセルとブレーキを間違えないことのほうが遥かに大切であるが,物理教育のトリセツは、車や電気製品のトリセツとは異なる。便利さを追求した結果、身近に日常的に使用しているものの構造が複雑化していく時代に,取り扱いの手順だけでなく、当たり前のこととして見逃されているもののしくみに一歩踏み込み,なぜ,そうなるのか,その分かり易い説明を試みることも物理教育に課せられている重要な使命ではないだろうか。
7.バネ付き振り子とビッグバンと仕事
バネ付き振り子の運動を知るには、運動方程式を極座標表示してシミュレーションすれば、あとは、計算ソフトが動画まで作成してくれる。そこには、初期条件を与える瞬間を除けば、外部からする仕事は存在せず、初期条件で与えられたエネルギーは保存する。しかし、その後のr振動とθ振動間のエネルギーの受け渡しには、張力のする正と負の仕事が必要になる。宇宙の物質とエネルギーは、138億年前のビッグバンによって生まれたという。宇宙のすべてのエネルギーは、ビッグバンに由来し、太陽のエネルギーも化石エネルギーも原子力エネルギーも、ビッグバンで生まれたエネルギーがその形態を変えたものに過ぎない。エネルギーを作り出すことだけを仕事と呼ぶなら、仕事はビッグバンの瞬間しか存在しないことになろう。
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