極楽浄土は左右対称?
十円硬貨に描かれている平等院鳳凰堂は、藤原道長の息子、頼通によって建立された。栄華を極めた平安貴族は、飢饉や自然災害、さらには疫病の流行と、民衆の間に、当時のハルマゲドン、末法思想が広がるなか、極楽浄土を現世に造ろうとしたという。満月のようにすべての権力を独り占めにしたところで命に限りがあるのは貴族も庶民も皆同じ、鳳凰堂建設は来世でも一族の繁栄を願った権力者の終活だったのだろうか。権力とはおよそ無縁の、カネもなければチカラもない筆者が、自分だけの極楽浄土をつくるとすれば、ネット上に造るほかないが、平安貴族はどんな極楽浄土を思い描いたのだろうか。数年前、物理学会が同志社大学で開催されたとき、平等院鳳凰堂を訪れた。
平等院鳳凰堂のある宇治市は茶の産地としても知られ、源氏物語ゆかりの地でもある。宇治市源氏物語ミュージアムがあり、宇治川のほとりには「夢の浮橋之古跡」として紫式部の像がつくられている。「いずれのおんときにか」で始まり、光源氏の誕生を描いた第一帖「桐壺」から第五十四帖「夢の浮橋」までのうち、宇治十帖とも呼ばれる物語の終盤では、光源氏が没し、世代交代後の物語が展開する。光源氏の子と孫にあたる二人の公達が源氏物語最後のヒロイン浮舟を巡っての、いわゆる三角関係が描かれているが、その結末が力学の三体問題のラグラジュアン・ポイントに似て実に興味深い。平安京きっての才女も、小説に描いたヒロインの、その生き様が千年の時を経て、NASAの宇宙工学に応用されるとは予想できなかったと思うが、それについては、宇宙の浮舟のなかの源氏物語宇治十帖の項を参照していただきたい。
さて、図1の宇治平等院鳳凰堂は湖面に逆さまに映った反射像まで含めると、左右だけでなく逆さ富士のように上下も対称である。対称を意味するsymmetryには、釣り合い、調和、均整美などの意味があるという。平安貴族は来世の理想郷に対称の美を求めたようだが、自然界の現象を支配する法則にも深遠な対称の美が隠れている。
自然法則の対称性
図2は気象庁のホームページに載っている世界の海流の流れの向きを表した図である。北半球に住み、南半球の存在を知らない人は、海流はいつもどこでも右回りに流れ、海流を起こす法則には左右の対称性は存在しないと考えるかも知れない。しかし、人が、南半球の存在を知り、海流の流れも台風の渦も南北では左右が逆になる理由を発見したとき、その自然法則は左右対称であり、左右を区別していないことに気づくに違いない。
北半球で、海流が右回りになるのは、回転座標系から見たとき、流れに見かけの力コリオリの力が流れの方向に対して右向きに働くからである。台風の場合には、大気は台風の中心に向かって吹き込もうとするがコリオリの力のため、大気の流れが右にずれる。これは台風の中心が逆に左にずれることを意味する。大気は左にずれて動く台風の中心を追いかけることになるので、北半球の台風では、大気は図3の概念図のように台風中心のまわりに左巻きにまわる。
北半球では、敵の船を狙った砲弾がコリオリの力のため右にずれることはすでに日露戦争の頃から知られていた。コリオリの力は人工衛星にも働いている。次の図4はJAXAのホームページから引用した図だが、地図上に描かれた8の字は準天頂衛星の軌道を表している。放送衛星として用いる静止衛星は赤道上の円軌道に衛星の周期と地球の自転周期とが一致する高度に打ち上げられ、衛星は見かけ上、赤道上の一点に静止させることができるが、静止衛星の公転軌道を赤道面から傾けると、地球の自転と一緒に回転している座標系から見た軌道は地球表面に8の字を描き、日本の真上を通過させることができる。さらに衛星の軌道を円ではなく楕円にすると8の字は南北で対称ではなくなる。
円軌道に打ち上げられた準天頂衛星の軌道は、湖に映った鳳凰堂と同じく、東西にも南北にも対称な8の字となるが、このとき、衛星は8の字の軌道をどのような向きに移動するかは、コリオリの力が北半球では進行方向に対して右向き、南半球では左向きに働くことから明らかであろう。コリオリの力は回転座標系から見た速度に対して働く力であるから、静止衛星に対して働かない。しかし、回転座標系に対して完全には静止していない準天頂衛星にはコリオリの力が働く。図4の軌道の形は南北に対しても東西に対しても対象だが、運動の向きまで考えると、南北には対称だが東西に対して対称ではない。
エルステッドの実験
右手を上げなさいと言われれば、小学生でも正しく右手を上げることができるが、右とは何かと問われれば、大学生でも答えるのに窮しよう。左の反対では堂々巡りになる。また、箸を持つ手と答えても、左利きの人には逆になる。しかし、図5の左図のように、電流と磁針を配置すると、磁針のN極は右を向き、実験を初めてみた人の多くは驚く。磁針が左右を知ってるはずはないから、磁針は電流と平行になると予想するのが普通であろう。これはエルステッドの実験と呼ばれるが、右とは、向こう向きに流れる電流の上に置いた磁針のN極が向く方向ということになる。しかし、磁針は本当に左右の違いを知っているのだろうか。
実際のエルステッドの実験である左図を鏡に映すと、その鏡像は図5の右図のようになり、実像と鏡像とは同じにならず、エルステッドの実験は、一見、左右の対称性が破れているように見え、我々はこの実験を用いて、左右の違いを説明できるように思えるが、磁針が色分けされていなければ、図5の左右の図のどちらが本物のエルステッドの実験かを判断できない。地球の北を向く磁針の極をN極と決めたのであるが、地球上以外ではN極を知る方法がない。左右の違いを知ることは磁極のNSを知ることと同じであり、エルステッドの実験から左右の違いを知ることはできない。非対称に思えるエルステッドの実験も左右対称であり、左右を区別できない。
ミクロの世界の対称性
放射性元素のコバルト60はβ崩壊し、ニッケル60になる。コバルト60の原子核は、個々が一つの磁石と考えることができる。その崩壊ではβ線である電子が放出される。このとき、コバルト60の原子核から放出される電子は、コバルト60のN極とS極のどちら側から放出されるだろうか。左右の対称性が成り立つなら、両極から同じ確率でβ線が放出されるはずである。しかし、実験はそうはならなかった。
極低温、強磁場中では、図6のように、放射性元素のコバルト60の原子核の向きを同じ方向に揃えることができる。1956年、中国系アメリカ人のウー女史は、コバルト60から放出されるβ線を測定した。その結果、β線のほとんどがS極側から放出されることが分かった。β崩壊にはN極とS極の区別が存在することになる。コバルト60のβ崩壊から我々はNSを区別することができ、それから左右を区別することができることになる。ミクロな世界の物理法則に左右の非対称性が存在していたのである。
対称性の回復
コバルト60のβ崩壊では、図7の左図のように、S極側からベータ線(電子)が放出され、N極からは右回りの反ニュートリノが放出される。これを鏡に映すと、中央の図のようにN極からβ線が出て、S極から左まわりの反ニュートリノが放出されことになるが、その現象は現実には生じない。つまりβ崩壊は空間反転(P変換)に対して対称ではない。しかし、現実には起こらない中央の図において、さらに粒子と反粒子の入れ替え(C変換)を行うと右端のようになる。これは左端の図の鏡像になっている。
反コバルトの原子核をつくるには莫大なエネルギーを必要であり、右端の反コバルト60原子核のβ崩壊の実験は実際にはできないが、図5は、物質の世界だけに限れば、左右対称性は成り立たないが、反物質の世界まで含めて考えれば左右の対称性が回復することを示している。β崩壊はP変換に対してはパリテイが保存されないが、CP変換に対してはパリテイが保存していることになる。ここで、右回りの反ニュートリノや左まわりのニュートリノは存在するが、左まわりの反ニュートリノや右回りのニュートリノは存在しない。
β崩壊はP対称性は破れているがCP対称性は破れていない。しかし、中性K中間子の崩壊ではCP対称性も破れているという。
花占いとノーベル賞メダル
恋する乙女の花占いのように、自然界の神秘のベールを一枚々剥がしていくとき、自然界の法則は、あるときは対称に見え、またあるときは非対称に見える。それは、我々が常に自然界の一部分だけしか見ていないからである。
物理学と化学のノーベル賞のメダルの裏には、科学の女神スキエンチアが自然の女神ナツーラのベールを取り除いている絵がデザインされている。自然の女神の片手が現われたとき、その姿は非対称だが、もう一方の手が発見されたとき、自然の女神の姿は対称となろう。いくら脱がしても、ベールをまとった自然の女神の、究極の裸の姿は左右対称だろうか、それとも非対称だろうか。我々は全宇宙の5パーセントしか知らず、残りは得体の知れないダークマターやダークエネルギーだという。科学は未だにナツーラのほんの一部分しか知らないのである。【参考:自然界の対称性(改訂版)】
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