過ちては改むるに憚ること勿れ

 これまでブログで何度も紹介したように、高校物理教科書の力学の章では、仕事は次のように定義されている。

 「物理では、物体に力を加えて、力の向きに物体を移動させたとき、力が仕事をしたという。物体に一定の大きさF[N]の力を加え、力の向きに距離[m]移動させたとき、力が物体にした仕事Wは次のように定められる。WF (仕事[J]=力の大きさ[N]×移動距離[m])」 :第一学習社「基礎物理」より。

 高校教科書だけでなく、岩波書店の広辞苑も、ブルタニカ百科事典も同様な定義である。ところが、日本物理学会および日本物理教育学会の両会誌編集委員会から、論文の掲載を拒否する文書とともに、驚くべき回答が送られてきた。高校物理教科書の定義は物体一般でなく、質点の運動に対する仕事の定義である。高校物理では、物体と書かれていても、質点を意味する。物体一般に対する唯一正しい仕事の定義は、岩波書店の理化学辞典に述べられている次の定義だという。

 「力学系に力が作用し作用点がdsだけ変位するときスカラー積(F,ds)を、その力が力学系になした仕事という。」

 仮にそうだとすれば、高校生が正確な仕事を理解するには高校の物理教科書でなく、理化学辞典を読まなければならないことになるが、理化学辞典を見る高校生が何人いるだろうか。両編集委員会の見解は明らかに間違いである。どちらの仕事も文字通り物体一般に対する仕事である。ただし、教科書の定義は、物体一般の、その並進運動に対して、外力がする仕事の定義であり、一方、理化学辞典の定義は、外力が系や物体全体にする仕事の定義である。

 高校物理では、物体の運動形態のうち、並進運動を第一義的に考えているので、高校教科書の仕事の定義は、並進運動に対する仕事の定義であり、働く外力と物体の変位との内積として定義されている。それに対し、理化学辞典における仕事の定義は熱力学を念頭においた仕事の定義である。熱力学では、一般には系の並進運動は考えず、系の内部エネルギーが第一義的であるので、その仕事は力と作用点の変位の積でなければならない。

 二つの仕事の違いが顕著になるのは、外力に抗力が含まれる場合である。抗力はその作用点が動かないので、系全体にする仕事には寄与しないが、系の運動を並進運動と重心に相対的な運動に分解したとき、抗力は両者の運動に対し、それぞれ正と負の仕事として寄与する。教科書に定義された仕事は、分解された運動のうち、並進運動に対して、抗力を含めて物体に働く外力がする仕事である。

 人が自転車に乗って道路上を加速しながら走る場合、人と自転車からなる系の、並進運動に仕事をしたのは、自転車の後輪が道路から受ける静止摩擦力、つまり水平抗力である。人と自転車の系が受ける外力は道路から受ける水平抗力以外には存在しない。

 しかし、人の筋力は仕事をしないと主張しているにではない。系の内力である筋力が仕事をするのは自転車の後輪の回転運動に対してである。自転車が右方向に走っているとき、車の後輪は筋力のする仕事によって右回りに回転する。もし、道路と後輪のタイヤとの間に摩擦がなければ、進行方向の外力は存在せず、筋力がいくら仕事をしても後輪の回転が増すだけで並進運動は生じない。しかし、摩擦があれば、後輪のタイヤに進行方向の抗力が生じ、抗力は後輪の回転運動に負の仕事をするとともに、並進運動に正の仕事をする。系に力学的エネルギーを供給するのは筋力であるが、筋力が直接並進運動に仕事をするのではない。

 宇宙ステーションのなかの宇宙飛行士が、その筋力によっていくら手足を動かしても、他に触れなければ並進運動が生じないのと同じである。宇宙飛行士の筋力が自らの変形運動に仕事をし、他を触れることによって、そこから受ける抗力が変形運動に負の仕事をするとともに、並進運動に正の仕事をすることによって、飛行士はステーションの中を移動することができる。エネルギーを供給したのは筋力だから、結果的に、筋力が変形運動と並進運動の両方に仕事をしたと考えるのは間違いではないが、それだけでは、筋力の仕事によって生じた力学的エネルギーが並進運動のエネルギ―に変換されるしくみが説明できない。

 外部に動力源が存在せず、内部の動力源で運動する系の力学的エネルギーは、すべて動力源の仕事によることは確かであるが、それだけではドンブリ勘定の域をでないことになる。系内の動力源は系の変形運動に対して仕事をすることができるが、系の並進運動に直接仕事をすることはできない。理化学辞典の仕事も外力のする仕事であり、系内の動力源がする仕事を想定してはいない。しかし、抗力が存在すれば、変形運動のエネルギーを並進運動に伝えることができる。そのしくみを考えることに力学が存在する。高校教科書に定義されている仕事、つまり、物体の並進運動に対する仕事は、系の運動を分解して考えるとき必要不可欠である。高校教科書の仕事が、仕事のようで仕事でない虚の仕事や、質点に限定した仕事などであっては、内部に動力源を持つ系の力学は成り立たたない。

 高校物理に混乱をもたらした原因は約40年前にアメリカで発表された論文に遡る。「抗力はその作用点が動かないので、一切仕事をしない、抗力が仕事をすればエネルギー保存則に反する。抗力が仕事をするように見えるが、それは真の仕事ではない」とする、いわゆるpseudworkの登場である。しかし、抗力が仕事をするときは、抗力は常に正と負の一対の仕事をするのでエネルギー保存則に反することはない。高校の物理教科書の仕事の定義を変更する必要もない。また、その他の不都合なことは何も起こらない。

 高校物理教科書に定義されている仕事は、質点に限定された仕事や、仕事のようで仕事でない得体の知れない仕事ではない。物体の運動を分析的に考える場合、極めて重要な並進運動に対する仕事を、仕事の幽霊だと見誤った40年前の過ちをいつまでも引きずってはならない。論語にも、「過ちて改めざる是を過ちと謂う」とある。今すぐ、pseudwork以前の正しい力学に立ち帰るべきであろう。アメリカも前政権が離脱したパリ協定に新政権は復帰するという。

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