「蜘蛛の糸」を巡る力学対話

西の果ての某国立大学教養部の物理学教室の一室に、定刻になるとコーヒーの香りに誘われた人々が集まっていた。教養部廃止、大学の独法化と続いた一連の改革前の、古き良き時代の光景だが、ある日、そこで、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」が茶飲み話の話題になった。
 主人公のカンダタが蜘蛛の糸を登るとき、その重心運動に仕事をしたのはカンダタの筋力か、それとも蜘蛛の糸の張力かというのである。
 量子論や相対論のパラドックスならまだしも、話題は初等力学に関する問題、しかも仕事は力学の基本概念の一つであり、集まっているのは、ほとんどは物理学を生業としている連中、全員一致で、どちらかに簡単に決着すると思われたが、意外にも、筋力派と張力派に二分し、議論は紛糾した。やがて他大学の物理教員まで巻き込む激論となった。
 
 当時の筋力派も張力派も今ではほとんどが定年過ぎた老人となったが、その後の展開も含めて、筋力派を代表してシンプリチオ君、張力派を代表してサルビアチ君の二人に議論をお願いした。しかし、途中で殴り合いになるかも知れないので、唯一人態度を保留していた慎重派のザグレド君にも司会を兼ねて議論に加わってもらうことにした。
ザグレド:シンプリチオ君も、サルビアチ君もお久しぶりです。昔、蜘蛛の糸を題材に力学の議論をしたのが、つい、昨日のことのように思えます。私はいつも聞き役にまわっていましたが、私にとって、この問題は考えれば考えるほど、まさしく蜘蛛の糸のように絡みついてきて、どちらとも決断できませんでした。筋力派と張力派、それぞれの急先鋒だったシンプリチオ君とサルビアチ君は、定年後の今でも、この問題に対する考えは当時と変わっていないでしょうか。
シンプリチオ:もちろん、変わってないさ。カンダタの筋力が仕事をしないで、何が仕事をするというのだ。カンダタが筋力で蜘蛛の糸を下に引っ張るから、蜘蛛の糸を登ることができるのではないか。
サルビアチ:しかし、シンプリチオ君、カンダタに働いている外力は上向きに働く蜘蛛の糸の張力と下向きに働く重力だけだよ。重力場のなかのカンダタの重心運動に、張力が仕事をしていると考えるのが当然じゃないかね。
ザグレド:シンプリチオ君も、サルビアチ君も、まずはジャブを軽く一発ずつというところでしょうか。お二人とも相変わらず意気軒昂で昔と少しも変わりませんね。安心しましたよ。お元気なのがなによりです。今日はあのときの論争の続きをして頂きたいと思います。
シンプリチオ:仕事をするにはエネルギーが必要だ。サルビアチ君はそのエネルギーが、蜘蛛の糸が吊るされている天井の一点から供給されているとでも考えているのか。
サルビアチ:そんなことは昔も今も考えていないよ。エネルギー源はもちろんカンダタだよ。
ザグレド:二人の主張は今も変わっていないようですが、サルビアチ君、君はエネルギー源はカンダタだと認めているのに、どうして仕事をしたのが張力だと主張するのですか。
サルビアチ:そのほうが単純で明快だからだよ。
シンプリチオ:どこが単純で明快だ、サルビアチ君の言っていることは全く理解できない。エネルギー源のカンダタがなぜ、その筋力で仕事をできないのか、逆に、エネルギー源でない蜘蛛の糸が、なぜその張力で仕事をすることができるのか、君が言ってることは矛盾だらけではないか、納得できるように説明してくれよ。
サルビアチ:カンダタの筋力はカンダタの重心運動には直接に仕事をしないのであって、カンダタの筋力が一切仕事をしないとは言っていないよ。
 宇宙飛行士になったカンダタが無重力空間でが手足を動かせば、カンダタの筋力は彼自身の変形運動には仕事をするが、いくらカンダタがジタバタしても、外力なしでは、体にロケットでもつけない限り、宇宙空間を自在に移動することはできないよ。
自転車に乗ったカンダタ
サルビアチ:もっと身近な例として、カンダタが自転車に乗る場合を考えてみようよ。カンダタがペダルを踏んで、自らが乗った自転車を加速することができるのは、後輪が道路から前向きに摩擦力を受けるからだよ。後輪が滑らなければ、このときの摩擦力は静止摩擦力だが、それが自転車の駆動力なのだから、その駆動力が重心運動に仕事をすると考えるのが、一番単純で明快じゃないかね。
IMG_0001
シンプリチオ:いや、カンダタがペダルを踏んで仕事をするから自転車は走れるのだ。張力も道路からの摩擦力も束縛力ではないか。作用点が動かない束縛力が仕事をするはずがないではないか。
ザグレド:蜘蛛の糸を自転車に変えてもやはり二人の主張は平行線のようですね。何か打開策はありませんかね。
シンプリチオ:静止摩擦力が仕事をするというサルビアチ君の説には決定的な欠陥がある。昔から何度も聞いているが、静止摩擦力が仕事をするなら、そのエネルギーをエネルギー源のカンダタの体内からどうやって持ってくるのだ。それに答えなければ、サルビアチ君の説は初めから検討するに値しないではないか。
サルビアチ:僕だってエネルギー保存則を否定するような説を唱えるほどの勇気はないよ。エネルギー保存則に反していないことを説明するためにカンダタに自転車に乗ってもらったのだが、後輪が道路から進行方向に受ける摩擦力が、重心運動に正の仕事をしているだけなら、シンプリチオ君が指摘するように、そのエネルギーはどこからきたのかという話になるだろう。
 しかし、シンプリチオ君、カンダタが自転車に乗った図をよく見給え。摩擦力は、後輪の回転運動にも、その回転と逆向きのトルクとして働いているではないか。つまり、摩擦力は、重心運動に正の仕事をするとともに、後輪の回転運動には負の仕事をしているのだよ。この正と負の仕事の絶対値は等しいので、エネルギーの保存則には反しないよ。束縛力が仕事をするとき、自転車の例のように、重心運動に対する仕事と後輪の回転に対する負の仕事のように、いつも正と負のペアでの仕事として現れるよ。正味の仕事はしていないが、摩擦力は後輪の回転エネルギーを使って重心運動に仕事をしているのだよ。
ザグレド:摩擦力が回転運動に負の仕事をするということは、摩擦力は回転運動から正のエネルギーを貰っているということですね。
サルビアチ:そうだよ。さらに、回転運動からエネルギーを貰うということは、ひいてはペダルを踏むカンダタの筋力運動からエネルギーを貰うことだから、カンダタの筋力運動に、その分、負荷が増すことになる。
 スタンドを立てて、後輪を路面から浮かした状態でペダルを踏んでも後輪は回転するが、負荷もほとんどかからないよ。この場合、カンダタの足の筋力はペダルを通して後輪の回転に仕事をすることはできても、外力、つまり道路からの摩擦力がないので、カンダタを含めた自転車の重心運動には仕事をできないから、カンダタの足にかかる負荷は小さいのだよ。
ザグレド:つまり、サルビアチ君の説は、摩擦力は、カンダタの筋力運動からエネルギーの後方支援を受けて、エネルギー源であるカンダタ自身が乗った自転車の重心運動に仕事をするというのですね。
サルビアチ:その通りだね。
シンプリチオ:しかし、結局、道路との接点から受ける摩擦力は、カンダタの足がペダルにした仕事を重心運動に伝える役目をしているだけではないか。それなら、カンダタの筋力運動が重心運動に仕事をしたと考えても同じことではないか。
サルビアチ:カンダタの筋力運動がペダルにした仕事はチェーンなどを通して後輪に伝わり、その回転運動に仕事をすることはできても、内力だけでは、カンダタを含めた自転車の重心運動に仕事をすることはできないよ。自転車全体の重心運動に仕事をするには、自転車以外から自転車に働く外力が必要じゃないか。ペダルを踏むカンダタの筋力運動からエネルギーをもらって、最終的には道路との摩擦力が重心運動に仕事をしていると考えるべきだよ。
ザグレド:サルビアチ君、それでは、自転車に限らず、車が停車した状態から発進するときも、道路から受ける摩擦力が車の重心運動に仕事をすると考えてもいいのですね。
サルビアチ:そうだね。自転車との違いは、車の場合、後方支援するのがエンジンだということだね。
ザグレド:それでは車がブレーキをかけて停車する場合はどうなりますか。
サルビアチ:免許を持たない僕は運転はできないが、ブレーキには急ブレーキとエンジンブレーキがある。どちらも道路から受ける摩擦力は重心運動と逆向きだから、重心運動に負の仕事をするので、つまり、重心運動からエネルギーを奪うので車は減速して止まるのだよ。
 急ブレーキの場合は車輪の回転を完全に止めるので、摩擦力は回転運動に仕事をしないで、重心運動から奪ったエネルギーはすべて摩擦熱になり、タイヤと道路を熱することになるね。エンジンブレーキの場合は重心運動から奪ったエネルギーで、回転運動に正の仕事をし、そのエネルギーはエンジンのピストン運動によつて熱エネルギーになって散逸することになる。
 もし、ハイブリッドカーや電気自動車だったら、道路からの摩擦力が駆動輪の回転運動にした正の仕事は熱エネルギーにはならず、車に搭載されているコンデンサーの静電エネルギーに還元される。その場合は、束縛力である道路からの摩擦力が、重心運動からエネルギーをもらって、車輪とモーターの回転運動を通してコンデンサーに仕事をすることになるね。
ブランコに乗ったカンダタ
シンプリチオ:百歩譲って自転車や車の場合はサルビアチ君のいう通りだとしても、カンダタが蜘蛛の糸を登る場合は、やはり、仕事をしたのはカンダタの筋力ではないか。
IMG_0003_NEW
サルビアチ:それでは、カンダタに蜘蛛の糸を登ってもらう前に、ブランコに乗ってもらおうよ。カンダタがブランコの上で何もしなければ、カンダタは単なる重りに過ぎず、振り子と同じだね。振り子は、振れている場合でも、糸の張力は仕事をしないね。それは糸の張力方向と重りの運動方向がいつも垂直だからだよ。しかし、左図のようにブランコの上でカンダタが周期に合わせて屈伸運動すれば、重心の軌跡は∞記号のようになり、張力方向と重心の運動方向が垂直にならず、ブランコの鎖の張力が仕事をすることができるのでブランコは振れるのだよ。この場合も張力はブランコの重心運動に正の仕事をし、カンダタの屈伸運動に負の仕事をしているのだよ。
ザグレド:この場合も、ブランコの張力はカンダタの屈伸運動からエネルギーをもらって、重心運動に仕事をしていると考えるのですね。そうだとすると、ブランコの上で屈伸運動をするカンダタには、地上で屈伸運動をする場合に比べ、より多くの負荷が加わることになりますが、その点は大丈夫でしょうか。
サルビアチ:ザグレド君、いいところに気づいたね。屈んだ状態から立ち上がるとき、地上であれば、重力に逆らって立ち上がれば良いのだが、ブランコの上では重力だけでなく遠心力に逆らって立ち上がらなくてはならないからね。ブランコの場合も、自転車の場合とおなじく、カンダタの筋力による屈伸運動による後方支援を受けて張力が重心運動に仕事をしていると考えるべきだよ。
ザグレド:それでは蜘蛛の糸を登る場合も蜘蛛の糸はカンダタの筋力運動に負の仕事をして、カンダタの重心運動に仕事をしていることになりますね。
サルビアチ:そうだね。車のエンジンもカンダタも、その内力は、自らの往復運動や屈伸運動に仕事をすることはできるが、重心運動に直接仕事をすることはできない。道路の摩擦力や張力は、往復運動や屈伸運動からエネルギーを取り出して、重心運動に仕事をしていると考えるべきだよ。
 エネルギー源がお釈迦様かカンダタかの違いはあるが、蜘蛛の糸に絡まって身動きできないカンダタをお釈迦様が引き上げてくれる場合も、カンダタが自力で蜘蛛の糸を登る場合も、仕事をしたのは蜘蛛の糸の張力だと考えるほうが単純明快だと思わないかい。これでシンプリチオ君も納得してくれるだろうね。
シンプリチオ:いや、まだ納得できない。
サルビチア:まだ、あるのかい。筋力説と張力説のどちらにしろ、すべての反例や反論に答えることができなければ、それを主張できないからね。反例があるなら、じゃんじゃん出してくれたまえ、大歓迎だよ。
懸垂をするカンダタ
懸垂
シンプリチオ:それでは、カンダタが鉄棒で懸垂をしたらどうなるんだ。カンダタが筋力で腕を曲げるから、カンダタの体重が上に持ち上げられるのではないか。
サルビアチ:これまで、反論のなかで一番多かったのがそれだったよ。しかし、カンダタが鉄棒を掴んだ腕を縮めて体を引き上げる場合も、鉄棒から受ける束縛力が、カンダタの収縮運動からエネルギーをもらってカンダタの重心運動に仕事をすると考えるべきだよ。
 
 
懸垂模型
シンプリチオ:そんなことはない。左図のように、重りをカンダタの体、バネをカンダタの腕と考えれば、バネが縮むときは、バネの復元力が重りを上に引き上げていることは一目了然ではないか。
サルビアチ:身動きできないカンダタをお釈迦様が引き上げる場合はそうだね。重りがカンダタであり、バネがお釈迦様の腕とすれば、蜘蛛の糸の張力T1が仕事をしたと考えても、お釈迦様の筋、つまりバネが仕事をしたと考えてもいいよ。
シンプリチオ:いや、バネをカンダタの腕とし、重りをカンダタの体と考えるのだ。
サルビアチ:そうだったね。しかし、バネと重りからなる系をカンダタと見なした場合は、重りとバネの間に働くT1は内力だよ。その場合のカンダタに働く外力はT1ではなく、バネを天井から支えているT2だよ。
 重りだけの運動を考えるときの外力はT1と重力だが、重りとバネからなる系の、重心の運動方程式に登場する外力は、T2と、系全体に働く重力じゃないか。
 我々が昔講義で使用していた教科書(金原寿郎編「基礎物理学上巻」裳華房)のP.93に質点系の運動について次のように記述されている。
   
    個々の質点の運動を知るには内力をも知らなければならない。
   しかし、質量中心の運動は外力だけによってきまり、
   その点に全質量が集中したと考え、力も平行移動によって
   すべてその点に集中させたと想像した場合のその質点の運動に
   等しい。

 内力は、系の変形や回転には直接仕事をすることができても、重心運動には外力を通してしか仕事をすることができないのだよ。もっとも、独法化後は物理の講義時間数も少なく、教科書もどんどん薄くなってしまい、そこまで教えないけどね。
ザグレド:だいたい、これで意見は出尽くしたでしょうか。カンダタの重心運動に仕事をしたのは蜘蛛の糸の張力だと結論してよろしいでしょうか。
「Pseudo work」批判
シンプリチオ:いや、ちょっと待ちたまえ。今、思いだしたが、サルビアチ君、君があくまでも張力説を主張するなら、君には、まだ、攻め落とさなければならない最後の砦が残っている。外力でも、それが束縛力なら、やはり仕事をしない。これについては、すでに、30年程前にpseudo work として解決済みだ。
サルビアチ:その論文なら、いろんな人から、最近、聞いて僕も知ったよ。インターネットにも公開されているしね。Pseudo work and real work という題目の論文だが、当時、画期的な論文として、大変、話題になったそうだけど、この論文は納得できないね。
シンプリチオ:君はこの論文のどこが間違いだと言うのか。
サルビアチ:最初から。ということは、全部だよ。僕から見れば、この論文はプトレオマイオスの時代からタイムスリップして現代に迷い込んできた天動説だね。
シンプリチオ:天動説? 何の関係があるんだ? 君の言ってることはさっぱり解らん!
ザグレド:突然、天動説とは、面白そうだけど、私もわかりませんね。サルビアチ君、説明して下さいよ。
サルビアチ:この論文の冒頭に、著者は「Some puzzles」の一つとして、車が加速する例を挙げて次のように述べているよ。
 
  When a car accelerates from rest, it appears that the kinetic energy
 is equal to the work done by the frictional force exerted by the road,
 acting through the displacement of the car. Yet the frictional force
 does no work,and the car’s kinetic energy comes from the burning of
 gasoline,not from the road.

 シンプリチオ君、この英文を日本語に訳してもらえないかな。
シンプリチオ:中学生にも理解できるやさしい英語じゃないか。
サルビアチ:シンプリチオ君にとってはそうだろうが、中学のときから英語が大の苦手だった僕は、たったこれだけの英語を訳するのに、数日間、悩みぬいたよ。それでも正確に訳したかどうか自信がないので、とにかく頼むよ。
シンプリチオ:そういうことなら・・・。以下のような訳でいいと思うが。
 車が止まった状態から加速して動き出す時、車の力学的エネルギーは、車が走っている間に働く道路からの摩擦力によってなされる仕事に等しいように見える。しかし、摩擦力は仕事をしない。車の力学的エネルギーはガソリンの燃焼によって生まれるものであり、道路から生み出されるのではない。
サルビアチ:シンプリチオ君の訳に比べると、僕はとんでもない誤訳をしてしまったようだが、ま、僕の下手な訳も見てくれたまえ。
 惑星だけを見れば、その運動から、すべての惑星は太陽の周りの軌道を運行しているように見える。だけど、太陽は宇宙の中心ではない。夜空を見上げれば、無数の銀河が我々の周りを一様に回っているではないか、宇宙の中心が地球であることは歴然であり、太陽が中心ではない。
シンプリチオ:え? 何だこれは!
ザグレド:誤訳というより超訳ですか! サルビアチ君の言う天動説の意味、分かりました! 天動説で惑星の運動を説明するには、搬送円や周転円を導入しなければならなかったが、Pseudo workもそれと同じような理由で導入されたと言いたいのですね。
サルビアチ:英文中の“Yet”には著者の苦悩が滲みでているように思えてね。それを汲みとろうとしたら、こんな訳になってしまったんだよ。僕には、この論文は、なんとかして束縛力を仕事から排除しようと悩んでいるように思えてならないけどね。
 確かに束縛力は、ほとんどの場合は仕事をしないが、どんな場合にも束縛力は仕事をしないと考えると、どこかでほころびが生じる。それを繕うためにPseudo workが必要になったのだろうよ。
 しかし、「束縛力が仕事をするはずがない」という先入観の呪縛から抜け出せば、悩む必要もなく、Pseudo workなども必要ない。この論文は歴史に逆行し、汲々と天動説に固執して、地動説に反対しているようなものだよ。
ザグレド:筋力説と張力説のどちらが天動説でどちらが地動説かは別として、日常の力学のなかに、まだコペルニクス的転回の余地が残っていたとは驚きです。サルビアチ君、日本物理学会の次はアメリカの物理学会に殴り込みをかけなさいよ。面白くなりそうだから私も外野席から応援しますよ。
サルビアチ:僕は、何も特別なことを言っているのではない。むしろ普通の考えをするべきだと主張しているのだよ。もちろん、殴り込みだなんてとんでもない。Pseudo workなどと難しく考えなくても、モノに力が働き、モノの重心が動けば、働いた力が、作用力だろうと、反作用力だろうと、仕事の定義どおり、その力がモノの重心運動に仕事をしたと素直に考えてはいけないのですかと、ジョルダノ・ブルーノのような勇気はない小心者の僕は、物理学会に恐る恐るお伺いを立てているだけだよ。
 Pseudo workとは、仕事のようで仕事でないのか、仕事らしくないのに仕事なのかは知らないが、日本国憲法よりも古くから存在している本来の仕事の定義を曖昧にすれば、教育現場が混乱するだけじゃないか。
ザグレド;シンプリチオ君、何かありませんか。
シンプリチオ:エネルギー保存則は、一応、満たしているようだから、サルビアチ君の張力説が「トンデモ説」でないことだけは認めよう。しかし、常識的には仕事をしたのは筋力だから、張力説のほうが筋力説よりも優位に立ったということにはならないと思うけどな。
ザグレド:ここでは、ほぼ、議論が出尽くしたと思いますので、あとは物理学の関係学会での議論にまかせる他なさそうです。
 話は変わりますが、お互い健康寿命を超え、今や「我や先、人や先」の域に入った身です。この際、大学教育について、今のうちに何か言っておきたいことはありませんか。
大学の昔と今
サルビアチ:そうだね。僕も最近、急に物忘れが酷くなったよ。ところで、シンプリチオ君、ザグレド君、君達、退職後、大学の研究室を訪ねたことあるかい。
シンプリチオ:邪魔したくないから一度もないね。それに俺の後任は物理の先生じゃないからな。
ザグレド:私は時々現職の先生を訪ねますが、皆さん忙しそうなので用件だけ済まして、さっさと退散することにしていますよ。
サルビアチ:最近の大学の先生はゆとりがなくなり、議論する時間がなくなったような気がするね。僕も含めて人は一人で考えると、つい思い違いをして独断に陥りやすいものだが、それから抜け出すためには人との議論が必要だと思うけどね。今回の仕事の問題も、実を言えば、僕も最初から蜘蛛の糸の張力が仕事をするという確たる自信はなかったよ。シンプリチオ君たちの鋭い指摘を受けて、必死でそれに答えようと、あーでもないこーでもないと考え、試行錯誤の末に辿りついた結論なんだよ。反対意見を言ってもらえることが本当は有り難いことだね。
ザグレド:しかし、今は、教育について物理の教員どうしで議論しようと思っても、まず相手がいないでしょう。とくに理学部を持たない地方大学では、教養部廃止後、物理の教員は絶滅危惧種ですからね。しかも、雑用に追われ、業績もあげなければならないので、コーヒー飲みながら、蜘蛛の糸がどうだの、昔はポッチャン便所でどうだったのと、身近な物理の話題について議論する余裕は気分的にも時間的にもないと思いますよ。
サルビアチ:我々はいい時代に大学で教員生活を送ったということかな。
ザグレド:シンプリチオ君、サルビチア君、久しぶりに有意義な議論ができましたよ。今後も、また、面白い話題があれば集まって議論し、続編をつくりたいものです。お二人とも今日は有難うございました。そして、最後になりましたが、Web上でこの論戦を観戦して頂いている皆様にも厚くお礼申しあげます。
参考:1. 本ホームページのなかのブランコ
     2. 後藤信行:「蜘蛛の糸」仕事をしたのはカンダタの筋力か? 
       日本物理学会誌2016年2月号談話室

コメント

  1. 鈴木 亨 より:

    高校教員をしています。現場では「できれば避けたい話題」です(笑)。興味を持つ生徒には話しますが,授業で持ち出すと混乱する生徒がほとんどになってしまいそうです。
    さて,物理学会でも指摘されていましたが,モデルとして一端が固定された質量のないバネとおもりの2物体系というモデルを考えると,「おもりに及ぼすばねの力」がおもりに対して仕事をします。「筋力派」の「糸に及ぼす力」と考えるからおかしくなるので,「重心に及ぼす筋肉の力」は上向きで変位も上向きですから正の仕事をすると思います。
    ちなみに後藤先生の「ブランコ」についても,糸を引いたり戻したりすれば張力の仕事になりますが,「自こぎ」はやはり筋力の仕事でしょう。
    また,タコマ橋も「共鳴」とするのは誤りとして知られています。

    • nobuyuki より:

       学会発表の後、温泉巡りをし、昨夜、長崎に帰ってきて、先生のコメントを発見しました。有難うございます。談話室に投稿したあと、数人の会員から賛否両論がメールで寄せられましたが、学会発表での質疑応答(応答する前に時間がなくなりましたが)とも、合わせると、争点は、人や車など、エネルギー源を内在した物体が、自らの重心運動を変化させるのに、不動点や不動面からの力をどのように利用しているかに尽きるかと思います。その点からすれば、重りとバネを組み合わせたモデルはエネルギー源がないので該当しないと思います。重りとバネが釣り合って静止した状態から、重りがバネの力で上昇することはありません。
       ブランコの張力も、車が路面から受ける静止摩擦力と同じく、正と負の一対の仕事をします。人の屈伸運動に負の仕事をすることによって、重心運動に正の仕事をしますが、負の仕事を見落とすと、縄の張力がどうしてエネルギーを生みだすのか、無限のエネルギーが得られ、エネルギー保存則に反しているではないかというおかしな議論になります。
       一つの力が正負二つの仕事をするというのは分かりにくいかも知れませんが、ヨーヨーを考えると分かります。ヨーヨーの運動方程式は、それぞれ、重心と回転に関する二つの運動方程式からなりますが、張力はどちらの運動方程式にも登場します。張力によって一方のエネルギーが増えると他方は減ります。
       談話室の記事は特に、新しいことを書いているのではありません。仕事の定義も、どの教科書にもある定義です。Pseudo work などの、名前からして怪しげな仕事の定義を使っているのでもありません。学会誌に私の記事についての反論が載るそうですので楽しみにしていますが、なぜ、かくも紛糾するのか不思議でなりません。タコマ橋についてはまたにして下さい。
       

      • 鈴木亨 より:

        単純化のために,ばねとおもりの二体と考えればいかが,という話です。つり合いの状態で始めるわけではありません。
        ばねを伸ばした状態からですと,ばねがおもりにおよぼす「上向きの力」がおもりに正の仕事をします。
        もちろんそのままならおもりは振動しますが,ばねとおもりの間でエネルギーのやり取りがあります。ばねを支える固定点とばねとのあいだに(もちろんおもりとも)仕事のやり取りはありません。
        ちなみに(どうでもいいことですが)後藤先生,私と誕生日がご一緒ですね(生まれ年は違いますが)。益川敏英先生とも一緒です。

        • nobuyuki より:

          この問題が紛糾するのは、もともと力学の範疇にはない筋力が登場するためだと思います。筋力がない系では問題はないと思います。
          誕生日が同じなのも何かの縁でしょう。これを機に今後もよろしくお願いします。

タイトルとURLをコピーしました