温度Tの系が微小熱量Qをゆっくり放出すると、系のエントロピーはQ/Tだけ減少する。逆に系が熱量Qを吸収すると、系のエントロピーはQ/Tだけ増加する。このことから、温度Tの系から出た熱量Qの熱はQ/Tのエントロピーを持つと考えることができる。この熱の持つエントロピーとは、その熱に含まれるゴミの量のようなものと考えることができよう。
10℃の水1㎏の温度を1℃上げて11℃の水にするには、1㎉の熱量が必要になる。また90℃の水1㎏の温度を1℃あげるにも、同じく1㎉の熱量が必要になる。しかし、両者の場合、熱量は同じであるが、その質は異なる。10℃の水を温めるには、高温の熱源を必要としないが、90℃の水を温めるにはガスや電気を使った高温の熱源が必要になる。
臍からでた熱は直接には臍の温度以上に他のものを熱することはできないが、ガスの炎はぬるいお茶も熱いお茶も沸かすことができる。熱量が同じでも、熱い熱源から出た熱ほど価値があり、低温の物体から出る熱は価値が小さい。
しかし、これを低温の物体に価値がないと勘違いしてはいけない。夏の甲子園の風物詩であるカチワリは、ただの氷水であるが、観客にとって充分価値がある。低温の物体は価値のない熱を引き受けてくれるから価値がある。つまり、ゴミには価値がないが、価値のないゴミを引き受けてくれるゴミ捨て場には価値がある。(さらに詳しくは→ポッチャン便所からの熱力学)
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